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本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

岩本 仁志・・・テレビを「作ってきた尊敬する先輩達」

2007年10月26日 | テレビ
岩本 仁志(いわもと ひとし)は、日本テレビ放送網編成局所属のディレクター、演出家。代表作に『白線流し』、『ナースのお仕事』、『救命病棟24時』、『女王の教室』などがある。2002年に『明日があるさTHE MOVIE』で映画監督デビューも果たしている。東京大学卒業。

経歴
1989年、フジテレビジョンに入社。第一制作部に所属し、いくつかのヒット番組を演出するが、2000年にローカル営業部への異動が発令され、いったんはドラマ制作から遠ざかる。その後、日本テレビからのオファーがあり、2001年3月にフジテレビジョンを退職、日本テレビと「年度契約社員」として契約し、現在も活躍中。現在日本テレビ社員。


主な作品

フジテレビ系
君といた夏(1994年)
白線流し(1996年)
ナースのお仕事(1996年)
ナースのお仕事スペシャル(1997年)
白線流し~19の春(1997年)
ナースのお仕事2(1997年)
神様、もう少しだけ(1997年)
救命病棟24時(1999年)
白線流し~二十歳の風(1999年)
ナースのお仕事3(2000年)

日本テレビ系
ナースマン(2002年)
ぼくの魔法使い(2003年)
あした天気になあれ。(2003年)
ラストプレゼント(2004年)
女王の教室(2005年)
野ブタ。をプロデュース(2005年)
女王の教室~堕天使・悪魔降臨(2006年)
ギャルサー(2006年)
たったひとつの恋(2006年)
演歌の女王(2007年)
受験の神様(2007年)

映画
明日があるさTHE MOVIE(2002年)
白線流し DVD-BOX

ポニーキャニオン

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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
ひとつの高校の昼間と夜間で同じ机を共有していた男女の出会いを軸に、長野・松本で懸命に生きる7人の若者たちの姿を丁寧に描く青春ドラマ。1996年に放映したレギュラードラマ全11話を4枚のDVDに収録。


内容(「Oricon」データベースより)
長瀬智也主演による名作青春ドラマ「白線流し」が待望のDVD化! 全11話を収録した4枚組BOXセット。



多分、デビュー作の『夏子の酒』を観て、その演出にため息が出た。『白線流し』の踏切のシーンのクレーンアップのカットは素晴らしかった。

しかし、日テレでの「演出」は感心しない。何故、才能のあるディレクターだったのに、変わってしまったのだろう。これは僕の私見である。
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山田太一・・・テレビを「作ってきた尊敬する先輩達」

2007年10月26日 | テレビ
山田 太一(やまだ たいち、1934年6月6日 - )は、日本の男性脚本家、小説家。本名は石坂 太一(いしざか たいち)。東京都台東区浅草出身。戦後放送史を代表する脚本家のひとりである。

略歴
神奈川県足柄下郡湯河原町に疎開により家族で移住。
神奈川県立小田原高等学校を経て、1958年早稲田大学教育学部国語国文学科を卒業。
松竹に入社後、木下恵介監督に師事する。
1965年に退社してフリーのテレビドラマ脚本家になった。
1970年代には倉本聰、向田邦子(故人)と共に「シナリオライター御三家」と呼ばれていた。
最近は映画の脚本、戯曲、小説の執筆でも活躍しており、1988年には『異人たちとの夏』で山本周五郎賞を受賞した。
「山田太一ドラマ」「山田太一ドラマスペシャル」と作品のクレジットに冠されることが多く、現在のテレビ界において作品性が評価されている数少ない脚本家である。

人物
娘は、フジテレビジョン編成制作局ドラマ制作センター副部長・宮本理江子。ドラマや映画の演出を手がけている。
劇作家・寺山修司は早稲田大学の同窓であり、在学中影響を受けたという。寺山作品の映画『夕陽に赤い俺の顔』『わが恋の旅路』(松竹)では助監督を務めている。以降、寺山が亡くなるまで友情関係は続いた。

作風
「器用に生きることが出来ない名も無き人々」を主人公に据えて、人間の様々な生き方を見つめ掘り下げ肯定していくヒューマンドラマを作り続けている。しかし単なる人情劇ではなく、主人公と現代社会との関係性を丁寧に描き、「いまどきの風潮」を鋭く批判する社会派作品としての要素も強い。
ストーリーは比較的起伏が少なく、淡々と出来事が展開していくケースが多い。しかし、心に葛藤を抱える登場人物は日常生活のなかでその思いをセリフとして爆発させていく。また、しばしば山田作品の主人公は長ゼリフで青臭い主張を繰り広げるが、それはある種確信犯的な、ドラマを見ている者への挑発的な問いかけでもある。
ドラマの世界観を表現するという意味で、主題歌には強いこだわりを持っている。自らが脚本を担当した1972年のNHK連続テレビ小説『藍より青く』では山田自身が作詞し、湯浅譲二が作曲、本田路津子が歌唱した『耳をすましてごらん』を製作し、『岸辺のアルバム』ではジャニス・イアンの"Will you dance?"を自ら選び出した。また、『ふぞろいの林檎たち』シリーズでは当時新人のサザンオールスターズを効果的に使用するなど、山田ドラマを語る上で劇伴音楽は重要な要素となっている。

代表作品

テレビドラマ

1970年代
『二人の世界』(東京放送、1970年)
『藍より青く』(NHK総合、1972年)
『真夜中のあいさつ』(東京放送、1974年)※'74第29回文化庁芸術祭大賞(文部大臣賞)受賞作品
『男たちの旅路』(NHK総合、1976年)
『高原へいらっしゃい』(東京放送、1976年)
『岸辺のアルバム』(東京放送、1977年)
『沿線地図』(東京放送、1979年)

1980年代
『獅子の時代』(NHK総合、1980年)
『想い出づくり』(東京放送、1981年)
『終りに見た街』(テレビ朝日、1982年)
『早春スケッチブック』(フジテレビジョン、1983年)
『夕暮れて』(NHK総合、1983年)
『ふぞろいの林檎たち』シリーズ(東京放送、1983年~1997年)
『日本の面影』(NHK総合、1984年)
『職員室』(NHK総合、1984年)
『シャツの店』(NHK総合、1986年)
『時にはいっしょに』(フジテレビジョン、1986年)
『友だち』(NHK総合、1987年)
『夢に見た日々』(テレビ朝日、1989年)
『ながらえば』(NHK総合、1982年)
『冬構え』(NHK総合、1985年)
『今朝の秋』(NHK総合、1987年)

1990年代
『チロルの挽歌』(NHK総合、1992年)
『悲しくてやりきれない』(東京放送、1992年)
『丘の上の向日葵』(東京放送、1993年)
『春の一族』(NHK、1993年)
『せつない春』(テレビ東京、1995年)
『家へおいでよ』(NHK総合、1996年)

2000年以降
『この冬の恋』(フジテレビジョン、2002年)
『旅の途中で』(中部日本放送、2002年)
『それからの日々』(テレビ朝日、2004年)
『やがて来る日のために』(フジテレビジョン、2005年)
『終りに見た街』※1982年版のセルフリメイク(テレビ朝日、2005年)
『まだそんなに老けてはいない』(テレビ朝日、2007年)
『星ひとつの夜』(フジテレビジョン、2007年)
『遠い国から来た男』(東京放送、2007年)

映画
『少年時代』(東宝、1990年)

戯曲
早春スケッチブック(地人会制作)
砂の上のダンス(地人会制作)
あかるい郊外の店(地人会制作)
ラブ(地人会制作)
ほか


著書
路上のボールペン
いつもの雑踏いつもの場所で
飛ぶ夢をしばらく見ない
異人たちとの夏
丘の上の向日葵
沿線地図
君を見上げて
彌太郎さんの話
ほか


賞歴
エランドール賞特別賞(1980年)
第2回向田邦子賞(1983年度)
第33回菊池寛賞(1985年)
第1回山本周五郎賞(1988年) 受賞作「異人たちとの夏」
第14回日本アカデミー賞優秀脚本賞、最優秀脚本賞(1991年)
ふぞろいの林檎たち DVD-BOX

アミューズソフトエンタテインメント

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内容紹介
《放送日》 1985年3月~6月(連続ドラマ)
《脚本》 山田太一
《出演》 中井貴一 時任三郎 手塚理美 石原真理子 中島唱子 小林薫 根岸季衣 佐々木すみ江 石井均 吉行和子 高橋ひとみ 国広 冨之 柳沢慎吾
《最高視聴率》 21.5%

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「ふぞろいの林檎」とは規格外のために店頭に並べられないリンゴ、おちこぼれの意味。社会的におちこぼれとされる四流大学生たちの青春を描いた山田太一脚本によるTVドラマである。
1983年に放映され若者を中心に人気を呼んだ本作は、のちにシリーズ化もされた。出演は中井貴一、時任三郎、柳沢慎吾、手塚理美、石原真理子、中島唱子。また寺山修司最後の秘蔵っ子である女優、高橋ひとみがTVドラマデビューしたことでも知られている。
第1話のタイトルになっている「学校どこですか」は、三流、四流大学に通う学生が最も聞かれたくない質問からきている。学校名で人間性までもが判断される学歴社会での苦悩、就職、恋愛など若者にとってリアルな問題を取り入れたドラマ性は、時代の空気を切り取りながら、時代を超えて共感を生むものとなっている。またサザンオールスターズの『いとしのエリー』などの曲が作品を見事に彩っている。(井上新八)
飛ぶ夢をしばらく見ない (新潮文庫)
山田 太一
新潮社

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内容(「BOOK」データベースより)
右足骨折で入院中の、人生に疲れ果てた中年男が、病室の衝立越しに出逢った女と不思議な一夜を過ごす。それからしばらくして彼女と再会したとき、驚くべき奇跡が起こっていた―。孤独を知り尽くした中年の男と、時間の流れに逆行して生きる女との激しい愛の日々。しかし2人で同じ夢を見ることはできない…。男と女の切ない愛と孤独を、ファンタジックに描いた感動の長編小説。



『ふぞろいの林檎たち』他、すべてのドラマ・映画・本が好き。山田太一に出会って、僕はドラマのプロデューサーになろうと思ったのだ、きっと。

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遊川 和彦・・・テレビを「作ってきた尊敬する先輩達」

2007年10月26日 | テレビ
遊川 和彦(ゆかわ かずひこ、1955年10月24日 -)は、日本のテレビドラマの脚本家である。

プロフィール
1955年10月24日、東京都生まれ、広島県育ち。
修道高等学校在学中、文化祭で脚本を書いた喜びがこの仕事を始めた契機。広島大学政経学部を卒業後、テレビ制作会社ディレクターを経て1987年に脚本家としてデビュー。主にTBSを中心として、数多くの人気ドラマ作品を手がけた。また、ドラマのノベライズ本も多数出版している。
2003年、TBSスペシャルドラマ『さとうきび畑の唄』の脚本を担当し、同作品が文化庁芸術祭大賞(テレビ部門)を受賞する。
2005年、『涙そうそうプロジェクト「広島 昭和20年8月6日」』(2005年8月29日、TBS)が2006年日本民間放送連盟・民放連賞・番組部門・最優秀作品に選ばれた。
同年、日本テレビの連続ドラマ『女王の教室』を手がける。近年のオリジナル脚本の弱さを憂い、舐めてる視聴者の横っ面を引っぱたくつもりで大きな賭けに出る。鬼教師が児童を徹底的に管理するといった番組内容が大きな反響を呼び、初回から日本テレビに抗議の電話が殺到した。番組ホームページの掲示板は賛否両論、議論が沸騰。自身も初めて視聴者に放送をやめろと言われたが、プロデューサーと覚悟を決めて曲げずに信念を貫いた。
近年は、田村正和が主演を務めるドラマの脚本を多数手がけている。
2006年4月5日、『女王の教室』の脚本が評価され、「第24回向田邦子賞」を受賞した。

主な脚本作品

連続テレビドラマ
『おヨビでない奴!』(1987年、TBS)
『金太十番勝負!』(1988年、フジテレビ)
『ママハハ・ブギ』(1989年、TBS)
『予備校ブギ』(1990年、TBS)
『学校へ行こう!』(1991年、フジテレビ)
『ADブギ』(1991年、TBS)
『十年愛』(1992年、TBS)
『もしも願いが叶うなら』(1994年、TBS)
『禁断の果実』(1994年、日本テレビ)
『人生は上々だ』(1995年、TBS)
『真昼の月』(1996年、TBS)
『智子と知子』(1997年、TBS)
『GTO』(1998年、フジテレビ)
『魔女の条件』(1999年、TBS)
『オヤジぃ。』(2000年、TBS)
『お前の諭吉が泣いている』(2001年、テレビ朝日)
『恋がしたい恋がしたい恋がしたい』(2001年、TBS)
『おとうさん』(2002年、TBS)
『幸福の王子』(2003年、日本テレビ)
『夫婦。』(2004年、TBS)
『女王の教室』(2005年、日本テレビ)
『誰よりもママを愛す』(2006年、TBS)
『演歌の女王』(2007年、日本テレビ)

単発テレビドラマ
『家庭の問題』(1987年3月15日、TBS)
『百年の物語・第三話』(2000年8月30日、TBS)
『さとうきび畑の唄』(2003年9月28日、TBS)
『涙そうそうプロジェクト「広島 昭和20年8月6日」』(2005年8月29日、TBS)

映画
『喜多郎の十五少女漂流記』(1992年)※原作担当
『恋は舞い降りた。』(1997年)※原案担当
『ekiden[駅伝]』(2000年)


『予備校ブギ』を観ていて、この人と仕事をしたいと痛烈に思っていた。それが実現した。僕に「運」はあったのだ。『さとうきび畑の唄』『女王の教室』も素晴らしい。

これは全く僕の推測だが、『オヤジぃ。』は木下恵介の映画『破れ太鼓』を、『女王の教室』は映画『コーチ・カーター』を、参考にしているのではないかと思うのだが・・・それにしても素晴らしい脚本家だ。

破れ太鼓

松竹ホームビデオ

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内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
日本映画全盛時代を支えた名匠・木下惠介監督が、時代劇史上最大のスター“阪妻”こと阪東妻三郎の主演で描いた戦後喜劇の傑作。津田家の当主で土建屋の軍平は、傲慢な性格ゆえ家族と理解し合えない。ある日、ついに家族全員が家出してしまい…。

内容(「Oricon」データベースより)
時代劇の大スター阪東妻三郎が初の現代劇で典型的頑固親父を演じたこの作品。家庭内のドタバタな出来事をユーモアたっぷりに描いた作品。
オヤジぃ。 DVD BOX

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内容紹介
《放送日》 2000年10月~12月(連続ドラマ)
《脚本》 遊川和彦
《出演》 田村正和 広末涼子 水野美紀 岡田准一 及川光博 石田ゆり子 黒木瞳
《最高視聴率》 28%

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田村正和の十八番となった感さえある、頑固オヤジとその家族が巻き起こす、愛と笑いと涙のドラマシリーズ。なにかにつけて怒鳴り散らす、曲がったことが大嫌いな開業医の完一(田村)は従順な妻(黒木瞳)、小学校教師の長女(水野美紀)、短大生の次女(広末涼子)、浪人中の長男(岡田准一)の5人家族。ある日、それまで真面目な優等生だと思っていた長女が突如として「妊娠している」と告白。次女はエリート会社員(及川光博)と「結婚する」と宣言し、長男の志望大学合格はほぼ不可能と判断されてしまう…。
このほか、完一行きつけのクラブのシングルマザーのホステスに石田ゆり子、ガングロ女子高生に矢沢心、妻のかつての恋人に山口祐一郎と、いかにも安全パイなキャスティングで日々の騒動を描いているが、結局は正和の説教の正論性と家族のきずなに、心地よい涙を流してしまうのが悔しい。花*花の歌う主題歌「さよなら大好きな人」がドラマの内容とマッチしていて、物語を盛り上げる。(斉藤守彦)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
2000年秋の連続ドラマでトップを争う高視聴率をマークした『オヤジぃ。』の6枚組BOXセット。初回限定。


内容(「Oricon」データベースより)
“ガンコオヤジ”が自分の家族のため、子供達のために、社会のために奮闘する姿を描いた、田村正和主演で贈るホームドラマ。初回限定6枚組BOXで発売。
コーチ・カーター スペシャル・コレクターズ・エディション

パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン

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大学進学率が最低で、卒業後は犯罪者の道を歩むものも多いという落ちこぼれリッチモンド高校のバスケットボール・チーム“オイラーズ”に、同校のOBカーター(サミュエル・L・ジャクソン)がコーチとして赴任してきた。彼は厳しい指導とともに学業や生活態度も重視。はじめ反発していた生徒たちも徐々に彼の教えに従うようになり、チームはめざましい活躍を見せるようになるが……。実話を基にしたヒューマン・スポーツ映画。スポーツのみならず、学業をおろそかにしたら試合に出さないという主人公コーチの信念が、生徒よりもむしろ大人たちから反発を食らうあたりがリアルで面白い。生徒たちひとりひとりにも焦点が当てられ、青春ものとしてもきちんとできている。アメリカ映画ならではの水準作。監督は『セイブ・ザ・ラストダンス』などのトーマス・カーター。(増當竜也)

内容(「DVD NAVIGATOR」データベースより)
ひとりのコーチがバスケットを通じて生徒たちに夢と希望を与えていく、サミュエル・L・ジャクソン主演による青春ドラマ。卒業後に犯罪者の道を歩む者も少なくないリッチモンド高校のバスケットチームに、ケン・カーターがコーチとしてやって来る。
女王の教室 DVD-BOX

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内容紹介
彼女は暴君?それとも病める学校を救う平成のジャンヌ・ダルク??

さまざまな波紋を呼んだ話題のドラマをDVD化。天海祐希が演じる“連続ドラマ史上最悪の女教師”と、教師に敢然と立ち向かう24人の生徒たち……。日本テレビ系にて'05年7月~9月放送。

<解説>
 彼女はただの暴君なのか、それとも“病める学校”を救う平成のジャンヌ・ダルクなのか?──日本テレビ系で'05年7月から9月にかけて放送された『女王の教室』(土曜夜9時~)は、前代未聞の異色教師、それも“連続ドラマ史上最悪の主人公女教師”を天海祐希が演じ、さまざまな波紋を投げかけた話題のドラマです。この『女王の教室』全11話がDVDで登場!
 学級崩壊、校内暴力などの問題で学校の危機が囁かれる昨今、天海祐希扮する阿久津真矢は、成績で生徒を差別し、教え子たちの秘密を握り、親まで手なずけ……と冷酷な鬼教師ぶりを発揮。そんな教師像に対して、視聴者から賛否両論、さまざまな意見が寄せられ、大きな関心を呼ぶドラマとなりました。しかし、この物語のテーマは「子供の成長」。逆境に立ち向かい、クラスが一つにまとまり、生徒たちは次第に自信とたくましさを身につけるようになっていきます。そんな前向きな展開と歩調を合わせるように、終盤に向かって視聴率も上昇の一途。最終回ではついに25%を超える人気を獲得しました。
 天海にとっては、新たな“当たり役”誕生! 鬼教師に敢然と立ち向かう24人の生徒たちの奮闘ぶりとも併せ、見どころの多いドラマです。

<ストーリー>
 6年生になった和美(志田未来)は始業式の朝、新しいクラスと小学校生活最後の1年間への期待に胸を膨らませていた。しかし、担任になったのは、「彼女が担任になったら地獄の1年間を送ることになる」と生徒たちの間で噂される阿久津真矢(天海祐希)だった。ガックリする和美や生徒たち。そんな中、教壇に立った真矢はいきなりテストを始める。さらにテストの成績により、上位2名には特権を与え、最下位2名にはクラス内すべての雑用を担当させると宣言する。それは悪夢のような1年の幕開けだった……。

<特典>
■Vol.1のみ映像特典を収録
 ○30秒TVスポット×15タイプ

■特典Disc内容(DVD-BOXのみ)
 ○アーンド日テレ・プレゼントスポット集
 ○エンディング 天海祐希フルダンスバージョン
 ○未公開CUT映像集
 ○オーディション・リハーサル・カメラテスト
 ○劇中お笑い番組「エンタの悪魔」
  「ザ・情報ツウ」取材VTR
 ○全キャスト紹介

<STAFF>
脚本:遊川和彦(NTV『平成夫婦茶碗』、『幸福の王子』)
音楽:池頼広
主題歌:「EXIT」 EXILE(リズムゾーン)
演出:大塚(塚=旧字で)塚恭司・岩本仁志・渡部智明
制作協力:日活撮影所
製作・著作:日本テレビ

<CAST>
天海祐希、羽田美智子、原沙知絵、尾美としのり、夏帆、志田未来、泉谷しげる、内藤剛志、他

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教室に君臨する冷酷かつ独裁的な鬼教師に戦いを挑む子供たちの慄きと成長を描いた異色の学園ドラマ。期待に胸膨らませて6年生に進級した神田和美(志田未来)はクラス替えで6年3組になった。担任は2年間現場から離れていたという新任の阿久津真矢(天海祐希)らしいが、真矢の姿は始業式にない。ついに教室に現れた真矢は名簿の名前を読み上げることもなく、いきなり全員にテストを強いる。そのテストで実力を発揮できずに最下位になってしまった和美は、代表委員とは名ばかりのありとあらゆる雑用係をやらされることに。これが6年3組24名にとっての、小学校生活最後の地獄のような1年間の始まりだった。
社会的敗者は差別と不公平に苦しみ、逆に勝者はいろいろな特権を得て豊かな人生を送ることが出来る、といった真っ当極まりない現実社会の不公平、厳しさを説く阿久津真矢の発言は随所に的を射ており、その言葉の一つ一つには奇妙なほどの説得力がある。そんな痛いほどの正論を吐く真矢の強烈な存在感こそが、このドラマを支配する独特のトーンそのものだ。黒づくめの衣裳に身を包み、生徒たちを成績で差別し、従わないものには体罰を与える、社会の不合理そのもののような教師像を怪演する天海祐希が圧巻。その完全無欠ぶりに最初はケレンも感じるが、子供たちの前に大いなる壁として立ちはだかる真矢そのものが生きていくことの示唆のようにも次第に思えてきて、独特の感慨を与えてくれる。エンディングロールも一工夫あって面白い。好き嫌いを超えて圧倒させられるドラマである。(麻生結一)


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鈴木雅之・・・テレビを「作ってきた尊敬する先輩達」

2007年10月26日 | テレビ
鈴木雅之(すずきまさゆき、1958年9月6日 - )は、フジテレビジョンドラマ制作センター所属のテレビドラマ演出家、映画監督。東京都出身。日活芸術学院卒業。

共同テレビジョン時代は若松節朗の下で演出補を担当。1994年12月に共同テレビ系列子会社のベイシスよりフジテレビに移籍。


テレビドラマ
1990年『世にも奇妙な物語』
1993年~1995年『白鳥麗子でございます!』(ボクたちのドラマシリーズ)
1994年『総務課長、戦場を行く!!』
1994年『29歳のクリスマス』
1995年『王様のレストラン』
1996年『ロングバケーション』
1997年『総理と呼ばないで』
1998年『ショムニ』
1999年『古畑任三郎』
2001年『HERO』
2001年『スタアの恋』
2003年『ショムニ(3)』
2002年『天才柳沢教授の生活』
2003年『熱烈的中華飯店』
2003年『太閤記 サルと呼ばれた男』(年末時代劇)
2004年『徳川綱吉 イヌと呼ばれた男』(年末時代劇)
2005年『恋におちたら~僕の成功の秘密~』
2006年『おかしなふたり』(新春スペシャルドラマ)
2006年『ザ・ヒットパレード~芸能界を変えた男・渡辺晋物語~』(スペシャルドラマ)
2007年女の一代記『向井千秋 ~夢を宇宙に追いかけた人~』(スペシャルドラマ)

映画
1999年『GTO』
2000年『世にも奇妙な物語 映画の特別篇』 「携帯忠臣蔵」
2004年『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』
2007年『HERO』
HERO DVD-BOX リニューアルパッケージ版

Viictor Entertainment,Inc.(V)(D)

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内容紹介
8月22日 発売作品情報
伝説のドラマ、今秋映画化 9月8日~全国東宝系ロードショー決定。
公開に先がけ、パーッケージを一新して、ドラマ版待望のDVD-BOX再発売決定!!

放送当時、平均視聴率34.3%を記録した、木村拓哉主演「月9」ドラマ
◇「HERO」DVD-BOX リニューアルパッケージ版

■8月22日発売■6枚組DVD-BOX(トールサイス゛仕様)■VIBF-5194POS:4988002532803
■2001年1月~3月全国フジテレビ系放送■ステレオ■カラー■画面4:3■収録時間本編563分+映像特典25分/計588分■各片面1層
※収録内容は2001年発売時のDVD商品と同一です。

<キャスト>
木村拓哉 松たかこ 大塚寧々 阿部寛 勝村政信 小日向文世 八島智人・角野卓造 児玉清
<スタッフ>
脚本:福田靖、大竹研、秦建日子、田辺満 音楽:服部隆之(東芝EMI) 主題歌:宇多田ヒカル「Can You Keep A Secret?」(東芝EMI)
演出:鈴木雅之、平野眞、澤田鎌作、加門幾生 プロデュース:石原隆、和田行 協力プロデュース:東海林秀文

ビデオ企画・発売元フジテレビ映像企画部
販売元ビクターエンタテインメント(株)

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2001年にフジテレビ系で放映され、全11話すべてが視聴率30%を超えた伝説のドラマをDVD化。主演は、SMAPの木村拓哉と松たか子。高校中退・大検を経て司法試験をクリアした元ヤンキーの若手検事・久利生公平(木村拓哉)が、大胆かつ斬新な視点で事件の真相を追う! 茶パツにジーパン姿で破天荒にふるまう公平は、旧態依然とした東京地検の面々に鼻をつままれるが、担当事務官の雨宮舞子(松たか子)は、しだいに彼に心惹かれてゆく…。大衆が求めてやまない“HERO”像を確立した木村のあざやかな演技は好もしく、観た後は爽快感に包まれる。また、阿部寛、大塚寧々、勝村政信、角野卓造、児玉清ら脇を固める豪華キャストの快演もきわだっていて、楽しい。(みきーる)




『29歳のクリスマス』の演出が素晴らしかった。『ショムニ』を1ヶ月あまりで立ちあげた。推測だが、決まっていた企画が突然ドタキャンになり、考えられない様な短期間で、キャスティングから撮影・仕上げまでこなし、ヒット作にした能力とエネルギーは凄い。
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佐藤 孝吉・・・テレビを「作ってきた尊敬する先輩達」

2007年10月26日 | テレビ
佐藤 孝吉 (さとう たかよし)

テレビプロデューサー / 現役ディレクター 兼 顧問


1935年 東京生まれ。

1959年 一橋大学社会学部卒業、同年日本テレビ放送網株式会社入社。

1970年までドラマのディレクターを、以後、ドキュメンタリーのディレクターを勤める。

1984年 制作部長

1989年 エグゼクティブディレクター(ED)

1993年 取締役エグゼクティブディレクター

2000年 常務取締役ED

2001年 執行役員専務ED

実績
<主な演出番組>
【ドラマ系】
  「ダイヤル110番」「われら弁護士」など
【ドキュメンタリー/スペシャル系】
  1977年~「アメリカ横断ウルトラクイズ」
  1978~82年「ピラミッド再現計画」
  1985~87年「かるがもさんのお通りだ」
  1989~94年「追跡」シリーズ(青島幸男司会) 1,100本演出

<受賞>
1976年 テレビ大賞
     「航空母艦エンタープライズ」
1983年 国際エミー賞
     「ピラミッド再現計画」
1986年 ギャラクシー優秀賞/ゆうもあ大賞/科学技術庁長官賞/動物愛護優秀賞
     「かるがもさんのお通りだ」
1990年 科学技術庁長官賞
     「アホウドリ240日の記録」
1992年 ギャラクシー賞
     「はじめてのおつかい」
2000年 橋田寿賀子賞
     「はじめてのおつかい」
2001年 全国テレビ制作者連盟個人賞
     長年のテレビ活動に対して...

<映画>
東映映画「かるがもさんのお通りだ」監督

著書
「かるがもさんのお通りだ」(児童向け絵本)
「僕がテレビ屋サトーです」(文藝春秋社刊)
雑誌「WILL」に随筆を連載中


「アメリカ横断ウルトラクイズ」・・・僕がすべてのテレビ番組でいちばん好きな番組を生み出した人。
「アメリカ横断ウルトラクイズ」・・・復活して欲しい。


アメリカ横断ウルトラクイズ

日本テレビ (*1)昭和52年('77)~平成4年('92)

海外に飛び出した大規模なクイズ

 
下記文章はこちらのHPより引用しました→http://www5a.biglobe.ne.jp/~yoshi-oh/shiryo/shiryoshitsu.htm
■「逆」の発想で敗者のドラマも
 「ニューヨークに行きたいかァー」「ウォー」。司会の福留功男の声に、予選会場の東京・後楽園球場(現・東京ドーム)が熱く揺れる。クイズを解きながら世界を回り、ゴールのニューヨークをめざす。途中で負けた人は“強制送還”――。すごろくのような「アメリカ横断ウルトラクイズ」は、それまでのクイズ番組の形を一変させた。
 きっかけは、「逆」の発想だった。なぜクイズ番組はスタジオの中で収録されるのか、外に飛び出してもいいはずだ。なぜ勝者ばかりにスポットライトが当たるのか、負けた方にだってドラマがあるのに・・・・・・。
 昭和51年、日本テレビの「木曜スペシャル」のチーフプロデューサーだった石川一彦・(*2)現取締役報道局長(60)は、制作会社「ジャパンクリエート」の故山崎雅章社長から、こんな企画を持ち込まれた。「海外を飛び歩きながらクイズを解くアイデアは面白い。ぜひ形にしたい」と即座に乗った石川は、「大変なのはそれからで、準備にたっぷり1年かかったね」と苦笑する。
 勝ち抜き戦形式となったクイズの標語は「知力・体力・時の運」。大掛かりな○×クイズの予選で、参加者はまず100分の1に絞られる。さらに、空港ではジャンケンの勝負が関門となる。知識だけでは勝ち抜けない。有名校の学生も次々に落ちていく。新品の旅行トランクを用意しても、負ければそれまで。飛び立つ飛行機に、手を振るしかない。
 答えを誤ると泥のプールに突っ込む「泥んこクイズ」は、グアム島名物として定着した。「日本とは違う広い大地を、目いっぱい走らせたい」と生まれたアメリカ本土での「ばらまきクイズ」。そして、敗者に与えられる罰ゲームにも毎回趣向が凝らされた。
 決勝地点は(*3)ニューヨークの自由の女神像の前。これだけはいつも同じだが、コースは毎回変わった。南アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア・・・・・・。(*4)参加者には、どこへ行くかは知らされない仕組みになっていた。
 この画期的な企画が実現するまでは、局内の多くの人が「不可能」と一笑に付した。旅行代理店や航空会社はもとより、相手国の観光局や同行する医師にも、趣旨を理解してもらわなければ進まないからだ。
 特に、移動の方法や宿泊先を手配する旅行代理店の負担は大きかった。番組が軌道に乗るまでこの苦労を一身に背負ったのが、近畿日本ツーリストで現在、東京第2エージェントセンターで支店長を務める小出靖夫(49)だった。
 「ジャンケンに勝てば、飛行機に乗れる」というのでは、出発直前まで誰が乗るかわからない。小出は「通常のやり方では、航空券の予約すらできない。参加者全員のチケットを用意して、負けた人の分をキャンセルしたが、帰りの飛行機も、誰がいつどこで乗るのか全く不明。まだアメリカ入国にビザが必要なころでしたからね」と苦心談を語る。現地でもハプニングは続出。台風のために撮影が延びて飛行機を予約し直したり、ホテルが予約超過になったりした。

■アメリカ旅行へのあこがれ
 出題の規模も、ほかのクイズ番組とはけた違いだ。毎年、約40人のスタッフが3ヶ月かけて2万問を用意する。これを絞り込み、3次にわたって念入りにチェックした。「面白い問題ほど危険をはらんでいる。参加者が1問でサヨナラとなるこの番組に、ミスは絶対に許されない」と、担当の制作会社「トマホーク」の萩原津年武(つとむ)社長(55)。(*5)「一度も誤りがなかった」と胸を張る。
 一番印象に残る問題は(*6)「左巻きの蚊取り線香は、裏から見ても左巻きか」。萩原は「こういう身近な盲点をついた発想がいい問題なんです」と言う。
 大掛かりなクイズ番組が成立したのは、「参加者にも視聴者にも、アメリカへの旅がまだあこがれの時代だったから」と(*2)日本テレビの石川取締役は言い切る。「当然、制作費も普通の3倍かかった。それでも、絶対にいける自信があったし、実際、毎回30%以上の視聴率が取れたから続けられたんですよ」
 昭和52年、第1回の予選は後楽園球場で行われた。会場に集まったのは404人。ガラガラの様子をごまかすため、1つおきの席にした。番組の人気が高まるとともに、当初、1時間半で2回だった放送も年々回数が増え、最高で5回のシリーズにまでなった。
 参加者の方も増え続け、最高となった(*7)平成3年の第15回には2万8523人に膨らんだ。(*8)参加総数は16年間を通じて、21万3430人にもなったが、(*9)ゴールの自由の女神像にたどり着いたのは31人のみ(第9回はパリ決勝のため0、第11回は3人決勝)だった。
 その中で、初代チャンピオンの栄冠を勝ち得たのは、京都の材木会社社長松尾清三。番組の人気とともに大学生の参加が増え、各大学には、「ウルトラクイズ」出場を目指すためのクイズ同好会も、次々に生まれた。中でも強豪の立命館大学のクイズソサエティーは、三連覇を達成した。女性の優勝者は1人だけだ。
 頂点の「クイズ王」をめざして戦うサバイバルゲームは、「実は青春ドキュメンタリーだったからこそ、見る人を引き付けた」と、日本テレビのエグゼクティブディレクター佐藤孝吉(たかよし)(58)は振り返る。
 国際エミー賞優秀賞を受けた「ピラミッド再現計画」や「カルガモさんのお通りだ」といったヒット作を生み、「はじめてのおつかい」シリーズなどで知られる情報番組「追跡」を人気番組に育てた。ドキュメンタリーを基本に、エンターテイメントを融合させた分野を得意とし、平成5年6月、制作現場の人間としては同局初の取締役に昇進した。
 佐藤自身がこの新しいクイズ番組の底知れないパワーに気付いたのは、「審査委員長」として第1回のロケ隊に加わってからだった。「(*10)羽田を出て、ハワイ経由でサンディエゴに着いたころだね、ぞくっと来た。これはすごいものを始めてしまった、新しい歴史になるぞ、とね」。素人たちが、1歩先はどうなるかわからない状況で戦った様子を、「勝ち抜くことで自信をつけていく。わずか数週間の時間軸の中での成長物語」と表現する。

■汗と涙のドキュメントの魅力
 この成長をうまく引き出したのが、司会の福留功男アナウンサーだ。スタート時は、「木曜スペシャル」のナレーターとして売り出していた。「司会だけではなく、出題も1人でする体験が今の僕を作った」と言い切る。
 「問題を出す時は、客観に徹する。誤解されないように、わかりやすくて公平でなければならないから。一方、司会は主観なんだ。出題前に主観で話していて、『さて、問題』で客観へ。戦いが終わったとたんにまた主観に戻って、『どうしたんだよ、お前』と兄貴役を務める。すべて、今の僕のテンポや持ち味につながっているんだ」
 海外ロケは1ヶ月に及んだ。(*11)早朝の帯番組「ズームイン!!朝!」に加えて、5月からは毎週「全国高等学校クイズ選手権」の予選に立ち会う。9月だけ早朝の生番組を休んで、「アメリカ横断ウルトラクイズ」を担当するというハードスケジュールだった。
 問題は事前に用意されるが、構成台本は1冊もない。参加者たちへのニックネームも、福留が現場でつけた。
 (*12)メキシコで負けた若い女性が、罰ゲームで闘牛場に立たされたことがある。「子牛が出てくるはずだったのに、出てきたのは何と大きな牛。必死でかわして、終わった時の彼女の涙には、僕ももらい泣きしたよ」
 解答者の真剣勝負の行方をリアルにカメラが追い、こぼした部分を福留が言葉で拾い上げる。誇張もやらせもない本物の涙や汗が、視聴者の共感を呼び、勝ち抜き戦が進むにつれて個々の参加者にファンがついた。
 「ニューヨークにたどり着くよりも、そこに着く前に敗れ去った人たちが花。あれは、敗者の歴史の集約なんだ。彼らは非日常の冒険の中で、本人ですら気付いていない輝きを見せてくれたんだよね」
 こう語る福留は(*13)独立してフリーになってからも、「この番組はやりたい」と司会を続けた。そんな名物男も、14回目の放送を見た時、降板を決意する。「プロデューサー福留として番組の中の司会福留を見て、年を感じた。引き際だった」。(*14)第15回の1問目を終えて、若い局アナの福沢明にバトンタッチして走り去った東京ドームには、「福留コール」が響いた。
 平成5年夏、番組は制作されなかった。局側は「予算は1回分で1億円以上。通常の番組の3倍かかる割に、視聴率が取れなくなった」と説明した。
 福留はさらに、「結局、クイズがメーンになって、人生ドラマの部分が薄れた。それが命を縮めたんですよ」と分析する。そのうえで、「あの番組をやったことは、僕の誇り。あれ以上のクイズはない。だから、クイズの司会はやらない」。こう言葉を結んだ。

本文中の記述は1994年現在のものである。
(*1) その後、1998年にも制作されている。
(*2) 2000年現在、福岡放送社長である。
(*3) 実際に自由の女神像前で行われたのは第10~11回のみである。第1~8回はパンナムビル屋上、第9回はパリのエッフェル塔前、第12~16回は船の上であった。
(*4) 実は参加要綱や○×クイズ通過後の説明会で知らされたりするが、これがダミーのコースだったりする。従って、知らされていないも同じである。
(*5) というが、実際には第4回の○×クイズで誤り(「日本では太陽が頭の真上に来ることはない」)があった。
(*6) 実際の問題は「右巻きの蚊取り線香を裏返すと左巻きになる」。問題制作者は青島美幸氏(青島幸男氏の娘)である。
(*7) 2000年現在までの最高は、1998年の今世紀最後大会の5万453人である。
(*8) 第16回までの参加者総数は21万3429人という資料もある。
(*9) (*3)にもあるように、普通は自由の女神にたどり着くという考え方はしない。ニューヨークにたどり着いたのは過去17回で41人(第9回は6人、第11回は3人、第17回は4人)である。
(*10) 当時はまだ成田空港開港前である。
(*11) 「ズームイン!!朝!」のキャスターは1988~1998年に務めた。従って、このスケジュールは1988~1990年の3年間だけである。
(*12) 第5回のプラサメヒコ。
(*13) フリーになってから司会をしたのは第14・17回だけ。
(*14) 走ってきたのは福沢アナの方で、福留アナは歩いて去っている。「福留コール」というよりは「トメさん」コールと言う方が適当だろう。
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井原 高忠・・・テレビを「作ってきた尊敬する先輩達」

2007年10月26日 | テレビ
井原 高忠(いはら たかただ 1930年6月6日 - )は日本のテレビディレクター、演出家。株式会社井原高忠事務所取締役。ザ・ピーナッツやとんねるずのユニット名の考案者としても知られる。


略歴
東京市滝野川区王子(東京都北区王子)にて、本村町三井家(三井財閥)の分家に生まれる(父は本村町家初代当主の次男。分家した際に井原姓を名乗る)。戦前戦後を通じてアメリカ映画に熱中し、フレッド・アステアのタップ映画や、ローレル&ハーディの喜劇映画などから影響を受けた。旧制学習院高等科在学中、学制改革に遭遇。1949年、新制学習院の入試に失敗して1年間浪人生活を送っていたとき、 鳥尾敬孝や黒田美治と共にウェスタンバンド「チャックワゴン・ボーイズ」を結成し、ベース奏者として活躍。1年浪人後、慶應義塾大学文学部に補欠入学。学業の傍らベース奏者として駐留軍キャンプなどを廻る。1953年、開局まもない日本テレビの音楽部でアルバイトをする。1954年、慶應義塾大学文学部東洋史学科を卒業し、第1期社員として日本テレビに入社。1955年ごろ、肺に影が出たため、アシスタントとして秋元近史を採用。

1958年、『光子の窓』でディレクターとしてデビュー。放送作家として永六輔を起用。

1959年2月、まだ日本人の海外渡航が困難だった時期に、NBCのスペシャル番組「ジャパン・スペクタクル」のスタッフとして渡米。ロサンゼルスとニューヨークを廻り、NBCの「ペリー・コモ・ショー」やCBSの「エド・サリヴァン・ショー」といった著名な番組の制作現場を見学。アメリカのテレビ局からバラエティ番組制作のノウハウを持ち帰り、これを日本のテレビ番組で実践。日本におけるバラエティ番組の草分けとなった。

1960年、デモに熱中して台本の締切を守らなかった永六輔を日本テレビから追放(のち解除)。同年、芸術祭賞奨励賞受賞。その後『あなたとよしえ』『九ちゃん!』などを手がける。台本作家として中原弓彦や井上ひさしを起用。1963年、『夜をあなたに』でラジオ・テレビ記者会賞受賞。1965年に『11PM』を、1969年に『巨泉・前武ゲバゲバ90分!』を手がけた。

1973年3月、制作局次長。1978年6月、第一制作局長に昇進。第1回「24時間テレビ」を手がけ、大成功を収める。しかし、50歳になったら会社を辞めると公言していたこともあり、1980年6月、胆石の手術を機に辞職。正力松太郎の死後、日本テレビの中で讀賣新聞のカラーが強くなり居心地が悪くなったことも、辞職の一因だった。同年7月1日、赤坂プリンスホテルにて「井原高忠 フェアウェル・パーティ」を開催。以後はホノルルの自宅マンションと東京を往復し、レビューの演出などフリーの立場で活躍。

1985年に日本を去り、ハワイに定住。1992年、静岡第一テレビのハワイ現地法人SDTの社長に就任。著書に、自伝『元祖テレビ屋大奮戦!』(1983年、文藝春秋社)がある。

日本のバラエティーを作った人と言えばこの人。憧れの存在。
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藤田 明二・・・テレビを「作ってきた尊敬する先輩達」

2007年10月26日 | テレビ
藤田 明二(ふじた めいじ、1948年 - )は、テレビ朝日制作2部所属のテレビドラマ演出家、映画監督。

東京都出身。1971年に玉川大学文学部芸術学科を卒業後、テレパックに入社し、制作部に配属される。1985年に共同テレビ制作部に移籍。数年間演出を手掛けた後、2004年末頃にテレビ朝日へ移籍し現在に至る。特に社会派ドラマや恋愛ドラマの演出を手掛ける。2006年に「アジアンタムブルー」で初映画監督を務める。

主な作品
※単発も含む。


テレパック時代
東京メグレ警部シリーズ(1978年、朝日放送)
チェックメイト78(1978年、朝日放送)
新・太陽がいっぱい(1979年、テレビ朝日)
子供たちのいちばん危険な夜…(1980年、フジテレビ)
天皇の料理番(1980年、TBS)
血のような太陽(1981年、朝日放送)
鞍馬天狗(1981年、TBS)
見知らぬわが子(1983年、TBS)
若き血に燃ゆる(1984年、テレビ東京)
激愛・三月までの…(1984年、TBS)
都会に堕ちた女(1984年、フジテレビ)
ヴァージン・ロード(1984年、フジテレビ)
二重生活(1985年、フジテレビ)
赤川次郎ののぶ子マイウェイ(1985年、フジテレビ)
南海幻想(1985年、テレビ西日本)

共同テレビ時代
孤独な週末(1985年、フジテレビ)
失踪・夫が消えた!(1986年、フジテレビ)
ぼくらの時代(1986年、フジテレビ)
赤い誘惑(1986年、フジテレビ)
わたしの可愛いひと(1986年、フジテレビ)
十六年目の恋文(1987年、TBS)
アナウンサーぷっつん物語(1987年、フジテレビ)
もう一人の乗客(1987年、フジテレビ)
熱くなるまで待って!(1987年、フジテレビ)
立体ドラマ5時間「蒸発」(1987年、フジテレビ)
窓を開けますか?(1988年、フジテレビ)
ニューヨーク恋物語1、2(1988年・1990年、フジテレビ)
過ぎし日のセレナーデ(1989年、フジテレビ)
さよなら李香蘭(1989年、フジテレビ)
昭和推理傑作選(1990年、フジテレビ)
LOVE「愛のぬくもり」、「チェーホフ 妻への手紙」、「まひる」(1991年、フジテレビ)
波の塔(1991年、フジテレビ)
ヴァンサンカン・結婚(1991年、フジテレビ)
ハンサムガールズ1、2(1991年、読売テレビ)
10年目のクリスマス・イブ(1991年、テレビ朝日)
ジュニア・愛の関係(1992年、フジテレビ)
銀座ママ亜弥子の日記(1992年、フジテレビ)
パイナップルの彼方へ(1992年、フジテレビ)
聖夜に逢いたい(1992年、フジテレビ)
モナリザは二度微笑む(1993年、読売テレビ)
ラブストーリーは終らない(1993年、読売テレビ)
結婚・私が好きですか(1993年、朝日放送)
愛されること(1993年、朝日放送)
結婚式(1993年、フジテレビ)
おさななじみ(1993年、朝日放送)
課長島耕作(1993年・1994年・1998年、フジテレビ)
あおげば尊し「放課後に逢いたい」(1994年、フジテレビ)
美味しんぼ(1994年・1995年・1996年・1997年・1999年、フジテレビ)
刑事の恋(1994年、テレビ朝日)
ざけんなョ!7、9「めざめろマザコン亭主」、「私を旅行に連れてって!?」(1994年・1995年、フジテレビ)
ひとりにしないで(1995年、フジテレビ)
恋人みたいに泣かないで(1995年、テレビ朝日)
せつない探偵柚木草平の殺人レポート(1995年・1996年・1997年・2000年、フジテレビ)
横溝正史サスペンス(1995年、フジテレビ)
結婚式場(1996年、関西テレビ)
3番テーブルの客(1996年、フジテレビ)
女怪(1996年、TBS)
海峡(1997年・1999年、NHK衛星第2テレビジョン)
シングルス(1997年、関西テレビ)
チョコレート革命(1998年・1999年、NHK・NHK衛星第2テレビジョン)
その男の恐怖(1998年、関西テレビ)
食卓から愛をこめて(1998年、テレビ東京)
お水の花道(1999年、フジテレビ)
めぐりあい(1999年、フジテレビ)
砂の上の恋人たち(1999年、関西テレビ)
モーニング娘。の愛物語(2000年、テレビ東京)
愛をください(2000年、フジテレビ)
三億円事件(2000年、フジテレビ)
ミスDJ(2001年、フジテレビ)
愛と青春の宝塚~恋よりも生命よりも~(2002年、フジテレビ)
女マネージャー金子かおる 哀しみの事件簿(2002年、フジテレビ)
結婚の条件(2002年、テレビ朝日)
整形美人。(2002年、フジテレビ)
闇に沈む殺意(2003年、フジテレビ)
買物代行人桃子の事件簿(2003年、フジテレビ)
流転の王妃・最後の皇弟(2003年、テレビ朝日)
新ニューヨーク恋物語(2004年、フジテレビ)
電池が切れるまで(2004年、テレビ朝日)
熱き夢の日(2004年、フジテレビ)
世にも奇妙な物語(フジテレビ)
冬の特別編「昔みたい」(1991年)
秋の特別編「40年」(1991年)

テレビ朝日
黒革の手帖(2004年)
けものみち(2006年)
氷点(2006年)
わるいやつら(2007年)

映画
アジアンタムブルー(2006年)
ラストラブ(2007年)

 舞台
ポロロッカ

その他
内閣特務捜査官 ORDER(1996年)


「ニューヨーク恋物語」「過ぎし日のセレナーデ」「さよなら李香蘭」の演出に惚れました。リズム感もいいし、スタイリッシュな映像で僕を魅惑。
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近藤晋・・・テレビを「作ってきた尊敬する先輩達」

2007年10月26日 | テレビ
近藤晋 こんどう・すすむ



【フィルモグラフィー】
  青空のルーレット (2007) 企画
  陰陽師 II (2003) 企画
  精霊流し (2003) 企画 /翻案
  天国への階段 (2002) <TV> プロデューサー /企画
  陰陽師 ~おんみょうじ~ (2001) 企画
  陰陽師 (2001) <TV> プロデューサー
  永遠の仔 (2000) <TV> 企画
  長崎ぶらぶら節 (2000) 企画
  義務と演技 (1997) 企画
  愛の黙示録 (1997) 統合プロデューサー
  失楽園 (1997) <TV> プロデューサー
  夏の一族 (1995) <TV> プロデューサー
   秋の一族 (1994) <TV> プロデューサー
  春の一族 (1993) <TV> プロデューサー
  クライムブローカー/仮面の誘惑 (1992) 製作総指揮
  ミスター・ベースボール (1992) 製作総指揮
  シャツの店 (1986) <TV> 制作
  男たちの旅路 スペシャル ~戦場は遥かになりて~ (1982) <TVM> 制

  獅子の時代 (1980) <TV> 制作
  黄金の日日 (1978) <TV> 制作
  およね平吉時穴道行 (1977) <TV> 制作
  男たちの旅路/廃車置場 (1977) <TVM> 制作
  男たちの旅路/冬の樹 (1977) <TVM> 制作
  男たちの旅路/釧路まで  (1977) <TVM> 制作
  男たちの旅路/非常階段 (1976) <TVM> 制作
  男たちの旅路/路面電車 (1976) <TVM> 制作
  男たちの旅路/猟銃 (1976) <TVM> 制作


近藤晋さんとも仕事ができた。「男たちの旅路」「黄金の日日(脚本 市川森一)」「シャツの店」・・・山田太一さんとされたドラマが大好きだった。
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中山和記・・・テレビを「作ってきた尊敬する先輩達」

2007年10月26日 | テレビ
【プロデューサー/中山和記】

長崎県出身。
共同テレビジョン常務取締役、制作センター室長兼映画製作室長兼エグゼクティブプロデューサー。
75年「時間(とき)よとまれ」で文化庁芸術祭大賞優秀賞、91年「金(キム)の戦争」で放送文化基金賞など多数受賞。
95年日本映画テレビプロデューサー協会の「エランドールプロデューサー賞」個人賞を受賞、05年「黒革の手帖」にてATPドラマ部門最優秀作品賞を受賞。
ほか主な作品として「ニューヨーク恋物語」、「ヴァンサンカン・結婚」、「29歳のクリスマス」など。


中山和記プロデューサーとは一緒に仕事ができたので、ラッキーだった。「金(きむ)の戦争」「ニューヨーク恋物語」は最高のドラマ。
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菅原正豊・・・テレビを「作ってきた尊敬する先輩達」

2007年10月26日 | テレビ
菅原正豊(すがわら まさとよ、昭和21年(1946年)1月28日-)は、テレビプロデューサー・番組制作会社ハウフルス創業者・社長。特にタモリ、三宅裕司司会の番組をプロデュースしていることが多い。


経歴
東京都大田区出身。慶応義塾幼稚舎、慶應中学、慶應高校、慶應義塾大学法学部卒業。大学時代に日本テレビのバラエティー番組『11PM』のアシスタントディレクターを学生アルバイトで務める。大学卒業後は、就職せずに放送作家として企画構成や知人の広告代理店を手伝い、1973年5月にPR代理店フルハウスを関口晃弘、原伸次とともに設立(ハウフルスはフルハウスの番組制作部門を分社化した会社の後身である)

1992年8月の日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の総合演出を担当。それまでのボランティア路線から、芸能人のマラソンと歌によるエンターテインメント路線に変更を行なった。タモリ、三宅裕司らと親交を結んで、番組に起用することが多い。1993年度のATP賞特別賞が贈られた。


プロデュースした番組
『11PM』(日本テレビ系)
『EXテレビ』(月、水、金担当日本テレビ系)
『クイズ世界はSHOWbyショーバイ!!』(日本テレビ系)
『マジカル頭脳パワー』(日本テレビ系)
『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系)
1992年の24時間テレビ
『タモリのスーパーボキャブラ天国』(フジテレビ系)
『新どっちの料理ショー』(日本テレビ系讀賣テレビ製作)
『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)
『チューボーですよ!』(TBS系)
『出没!アド街ック天国』(テレビ東京系)
上記の他、『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)のスーパーバイザーも務める。


良質の、子供も観られる温かい番組を作って来られた。なかなかテレビ界で、その信念を押し通す事は難しいのに・・・
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カリフォルニア州の山火事で数社のIT企業が業務を中止

2007年10月26日 | エッセイ・日記・意見
米カリフォルニア州の大規模火災では、数多くの企業で操業が困難な状況に陥っている。Qualcommスタジアムは被災者の避難所となっている。
2007年10月25日 20時15分 更新
 カリフォルニア州南部の大規模な山火事のせいで、QualcommやSony Electronicsなど地元の数社のIT企業が営業所の閉鎖を余儀なくされた。だが、最大の危険にさらされているのは企業よりも従業員の自宅だ。

 Sony Electronicsは、10月22日に引き続き23日も米国本社を閉鎖し、約2500人の従業員をランチョバーナード地区にある同社の71エーカー(約29万平方メートル)のキャンパスから帰宅させた。この地区では10月22、23の両日、火災が猛威を振るった。

 やはりランチョバーナード地区にあるHewlett-Packardのプリンタ/イメージング部門は、10月23日の通常業務時間に連絡がつかない状態で、山火事のためにオフィスが閉鎖されているものと予想される。

 サンディエゴで約1万1000人の従業員を雇用しているQualcommの事業所は、山火事の進行方向から外れているが、被災地域や火事が迫っている地域に住んでいる従業員もいる。Qualcommの本社は、山火事が最も激しい地域の南部に位置する。

 地元テレビ局の報道によると、サンディエゴとその周辺地域で現地時間(太平洋夏時間)10月23日午後6時の時点で、1700軒以上の住宅および約100社の社屋が焼失した。35万家庭に避難命令/勧告が出され、避難した住民の数は50万~70万人に上ると推定される。

 山火事は「Santa Ana」と呼ばれる風速50~70マイル/時(秒速約22~30メートル)の強い季節風にあおられて拡大し、Qualcommスタジアムは数万人の避難住民や家屋を失った人々の避難所として開放された。同スタジアムの収容能力は10万人である。

 4カ所で起きている山火事の中で最も規模が大きく、現地で「Witch Creek」と呼ばれている火災は、サンディエゴ北部から太平洋の方角に向けて大きな爪痕を残した。10月23日午後の時点で、焼失面積は26万エーカー(約1000平方キロ)に上ると推定される。

 山火事はほかの地元企業にも影響を与えた。Mission Valleyなどのショッピングモールでは、ほとんどの店舗が10月22日午前の時点で閉鎖した。ラホーヤ地区に近いWestfield UTCでも、10月23日にはほとんどの店舗が閉店となった。

 現地のインフラも災害の影響を受け、サンディエゴ地域のところどころで携帯電話がつながらない状態になった。

 QualcommとSonyのほかにも、Gateway(現在はAcerの子会社)、EMC、Intel、Microsoftといった大手IT企業がサンディエゴやその周辺地域に現地営業所を構えている。

 Gatewayの営業所があるポーウェイ地区は、Witch Creek火災の進行方向に当たっていた。10月21日夜から10月22日にかけて同地区は大混乱となったが、10月23日夕方までに危機を脱し、ポーウェイの一部の住民に出されていた避難命令は解除された。

 Acer/Gatewayの広報担当者、ライザ・エマード氏は、「現時点ではオフィスに危険が迫っているような状態ではないが、建物内部や周辺一帯に少し煙が立ちこめている。従業員には自宅で仕事をしても構わないという許可が出されている。避難対象地域に住んでいる従業員もいるので、彼らの安否が心配だ」と話している。
(IT Mediaより引用)

来月、ロスやサンディエゴに行こうと思っている・・・が大変な事になっている。心配。
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福山雅治の「壁紙」が無料でダウンロードできるサイトがあった!

2007年10月26日 | インターネット
福山雅治壁紙サイト

http://cgi.members.interq.or.jp/cool/new/yomi/yomi.cgi?mode=kt&kt=50_28_01

http://www7a.biglobe.ne.jp/~musounoyakata/saku/idol_m/fukuyamamasaharu.htm

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一編の詩があなたを強く抱きしめる時がある

2007年10月26日 | 本・雑誌・漫画
一編の詩があなたを強く抱きしめる時がある
水内 喜久雄
PHPエディターズ・グループ

このアイテムの詳細を見る

出版社/著者からの内容紹介
どうぞ、ここにある一編の詩を読んでください。生きることがつ
らくなったり、自分自身を支えきれなくなった時、ここにある一編の詩を読んで
ください。一編の詩があなたに話しかけるでしょう。それをそのまま受けとめて
ほしいのです。
[50編の詩の作者]糸井重里/立原えりか/すずきゆかり/岡崎純/玉城千春/
小林育子/田村隆一/大岡信/吉田美和/谷川俊太郎/工藤直子/葉祥明/川
崎洋/高階杞一/宮沢和史/ビートたけし/吉元由美/金井雄二/覚和歌子/ま
ど・みちお/福山雅治/田中章義/黒田三郎/辻征夫/宇佐美孝二/大橋政人/
草野信子/江國香織/吉野弘/甲本ヒロト/木村信子/桜井和寿/高橋新吉/笹
野裕子/小泉周二/絢香/あわやまり/茨木のり子/三島慶子/みつはしちかこ
/津坂治男/新川和江/黒木瞳/坂本のこ/清野倭文子/岸田衿子/高丸もと子
/真島昌利/大木実/折原みと



ちょっとした「言葉」を読んだり、人から言われたりする事で、人間の感情は時に大きく揺れ動く。そんな「言葉」が好きだし、大切にしたい。日本語は繊細だ。
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