[ハンギョレS]キム・ソンギョンの脱分断の理由
野党は検察権に憤る有権者狙い
与党は北朝鮮の脅威を強調し支持層を結集
「相手の攻撃」ばかり、多様な政見や政策なし
「従北勢力利用」最後の選挙になることを願う
3月17日、京畿道水原市霊通区の水原コンベンションセンターで、京畿道選挙管理委員会が政策選挙の活性化に向けた広報キャンペーンをおこなっている/聯合ニュース
第22代総選挙が10日後に迫っている。今回の総選挙に候補を立てた政党の数は45。21の政党が選挙区に候補を立てることを表明しており、比例代表選挙に候補を出す政党は実に38にのぼる。民主主義制度において、多数の政党が様々な政治的意見を述べることを肯定的にとらえるべきなのは確かだ。にもかかわらず、今回の総選挙に参加した大半の政党に合理的な政見や政策がないというのは、韓国民主主義の残酷な素顔でもある。現行の政党法が定義するように、政党は「国民の利益のために責任ある政治的主張や政策を推進」しなければならないにもかかわらず、総選挙に候補を立てた多くの政党は、国民のための公的な役割と責任を考えているというより、各自の利害「のみ」を代弁するか、相手に対する嫌悪を刺激して支持層を結集することばかりに没頭している。急造された諸政党の奇想天外な名前と同様、徐々に乱暴になっていく一方の二大政党の発するメッセージを聞いていると、挫折を通り越して自嘲的な笑いがこみ上げてくるほどだ。何かが大いに間違っていることは明らかだ。
票獲得のために敵対的対決を強化
多くの人々が、今回の総選挙は過去の選挙とは異なる様相を呈していると分析している。構図、人物、そして政策より「政権審判」と「野党審判」という二つの論点があらゆるアジェンダを飲み込んでいる選挙だというのだ。野党は尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権の暴政を止めるとして政権に審判を下してほしいと叫び、与党は政府の政策に反対してきた野党ではなく政府に力添えしてほしいと叫ぶ。相手に対する「審判」が絶対的論点になってしまった今回の総選挙において、多様な政見や政策が足場を見出すのは容易ではない。第三地帯が有名無実になってしまったのもそのためだし、斬新な人物を起用するどころか女性、青年、マイノリティーが徹底的に排除された候補公認も、すべて相手の「審判」のために容認される。韓国社会の当面の課題についての与野党のビジョンと解決策は姿を消し、有権者に相手がどれほど悪い奴なのかを告げ口してばかりの選挙へと転落してしまったのだ。与党「国民の力」のハン・ドンフン非常対策委員長が困ったことを聞かれるたびに繰り返す「民主党は? イ・ジェミョンは?」との問い返しと、共に民主党のイ・ジェミョン代表の「長ネギの値段を知らない尹錫悦大統領」という攻勢は、結局のところ鏡像であるわけだ。
それでも結局、選挙は片方だけが有権者の心をつかむようにできている。「誰がより誤っているか」をめぐって競争する今回の総選挙は、どちらの方が市民の暮らしを疲弊させたのかをめぐって「審判」が下される可能性が高い。結局、両党の掲げる「審判」の対象と理由がどれほど有権者に妥当だと認識されるかがカギだ。民主党は政権審判論を掲げつつ、「検察独裁」を審判の理由として全面化したとすれば、国民の力は選挙序盤には「議会独裁」の清算を議題として掲げていたかと思えば、支持率が足踏み状態なものだから、またも「従北勢力」の審判を言い出している。相手に対するこのような呼び名は、互いをどのようなものであると規定しているのかを表現すると同時に、各党の支持基盤がどこにあるかを示す。民主党は検察権力に怒る有権者に支持を訴えているとしたら、国民の力は「従北勢力」という空虚なかかしを掲げて支持層を結集しようとしている。
これは決して選挙の過程で導き出された偶然の戦略ではない。民主党と国民の力の選挙公約でも、このような傾向が確認できる。民主党が検察改革、公営放送の独立、放送通信審議委員会の政治的中立、警察の民主的統制などを掲げつつ、「検察勢力」の清算という目標を明確にしたとすれば、国民の力は国会議員の特権の廃止などを全面化して野党審判を強調しつつも、「自由」という価値観を強調する朝鮮半島政策で差別化を図っている。興味深いのは、国民の力の公約集は分断体制の被害者である北朝鮮離脱住民、離散家族、拉致被害者の家族に対する支援や北朝鮮の人権問題の解決を代表的な「自由平和朝鮮半島」政策として掲げつつも、南北対話や朝鮮半島の軍事的緊張の緩和に向けた措置などについては言及さえしていないことだ。これは、国民の力が北朝鮮の失敗と「自由」韓国の優越性を強調する政策を優先し、「反自由」的な北朝鮮に対する敵がい心を隠さないことを「自由平和朝鮮半島」と定義していることを意味する。また「北朝鮮」と「従北勢力」という他者の脅威を強調することで有権者の票を得ようとしている国民の力にとっては、北朝鮮との対話や交流は最初から考慮の対象ではなく、彼らにとって「自由」を強調する統一案とは、結局のところ北朝鮮の自由化に他ならない。国民の力は支持者の票を得るために、北朝鮮との敵対的対決を強めることにしたのだ。
審判後、目をそらしていたものを見ることはできるのか
これまでの世論調査によると、「従北勢力」を云々しつつ「自由」を強調する国民の力の選挙戦略は、民主党の「検察独裁」の清算というフレームに対して相対的に劣勢にあるとみられる。おそらく「検察独裁」という脅威の方が、韓国の有権者の認識の地平からすでに消え去ってしまった「北朝鮮」や「従北」という存在より、はるかに現実的なものと感じられたからだろう。有権者は、検察権力はいついかなる時でも誰であろうと脅迫し、人生を根こそぎぶち壊しうると考えているが、「北朝鮮」と「従北勢力」は、その存在感も薄いばかりでなく、たとえ存在するとしても、個人の人生に直接的な影響を及ぼすだろうとは考えていない。これは、国家に包摂されない多様なアイデンティティーを持つ有権者が増えたことで、イデオロギーを前面に掲げた国家危機論の影響力が目に見えて弱まっていることを意味する。逆に民主化と新自由主義を経てこの上なく自由になった個人には、「検察独裁」が何よりも巨大な脅威として認識された可能性がある。
今回の総選挙が、有権者を結集させるための旗印として「北朝鮮」と「従北勢力」が呼び起こされる最後の選挙となることを願う。もちろん「検察独裁」も同様だ。特定の勢力や集団を「審判」するというのは結局のところ、それをめぐる多様な意見や政策的議論が封殺されるということを意味するからだ。もはや「北朝鮮」や「従北勢力」などというものでは票は得られないということを、今回の選挙で必ず確認させなければならない。そうしてはじめて、朝鮮半島の平和と軍事的危機の克服に向けた多様で創意あふれる政策と政見が、与野党を問わず登場しうるだろう。
いまや最後の問いが残った。総選挙後はどのような世の中になるだろうか。「審判」後の韓国社会は少しはましなものになっているだろうか。今までは、当面は「審判」が先だと言って見ないようにしていた人々の様々な要求と熱望を、政界は果たして現実のものとする能力を持っているのだろうか。
誰が当選しようとも、選挙での勝利がどれほど恐ろしいものかを知ってほしい。少しでも油断すれば審判を叫んだその口が審判の対象になる、ということも覚えておいてほしい。与野党いずれにも、国民のより良い暮らしのために政策で競争する政党へと変貌してくれるよう、心から願う。何よりも、総選挙後には政治が復元されていることを願う。
キム・ソンギョン|北韓大学院大学教授
英国エセックス大学で社会学博士を取得。聖公会大学、シンガポール国立大学を経て、現在は北韓大学院大学教授。研究分野は北朝鮮社会と脱分断文化。「分断された心」など学術論文多数。 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )