つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

「コロナと五輪」・・・

2021-06-15 | どう思いますか

 菅首相は東京オリンピック・パラリンピック開催に、G7サミットで全首脳から力強い支持を得たとご満悦だ。が、しょせんは他国の問題だ。反対する首脳がいるはずはなかろう。
 このG7のお墨付きにどれほどの影響力があるのか、国民の意思を変えられるとはとうてい思えないのだが…。
 先日、わが購読紙掲載の小沢孝人・東海大教授の「コロナと五輪」を読んで、文句なしに賛同、うなずくことしきりだった。
 東京五輪は開催年の2020年に新型コロナウイルス感染症のパンデミックに見舞われた。そして1年延期後の現在、その開催が大きな波紋を広げている。なぜなのか?
 世界的にコロナ禍が収束しない中、開催決行へと突き進むIOCや運営サイド(東京都、組織委員会、政府)と、開催反対の世論とが真っ向からぶつかり合っている。選手はその間で板挟みである。
 問題の根は、開催国の日本が感染抑止に失敗した点にある。開幕予定日まで2カ月を切る中で緊急事態宣言が続き、ワクチン接種率も当初は世界100位を下回った。聖火ランナーの辞退が相次ぎ、「開催中止」の署名は40万人以上、全国の医療従事者からも開催反対の声が上がった。
 世論の多くは、コロナ禍での五輪開催による感染リスク拡大と医療逼迫への懸念、長引く自粛下でのお祭りイベントへの違和感などから、「国民の命と健康を犠牲にする五輪は不要」「今の日本には五輪開催の余裕がない」と主張する。
 しかし結局これまで、「なぜ今」五輪開催するのか説得的な理由が示されず、開催条件やシミュレーションもなく、実現可能性を示す根拠も出されないまま、運営サイドは「安全安心の大会」と開催強行の方針を繰り返してきた。
 IOC委員らの発言も世論の火に油を注いだ。国民の不安やストレスは膨らみ、「国民が置き去りにされた五輪」のイメージが濃厚である。
 しかし今回、筆者の目にも不可解な点が多い。それほど五輪開催が重要であるなら、なぜ過去1年、政府の需要喚起策「Go To キャンペーン」の実施、欧米の都市封鎖に比して緩い感染対策、ワクチン接種の遅れなどでコロナ禍の長期化を招いてきたのか。果たしてコロナ対策、五輪開催、経済対策のうち何が優先されたのか、不明である。
 なぜ昨年「1年延期」の条件でIOCと合意したのか。パンデミック収束には通常2~3年を要する。今この決定に縛られ、国民も運営サイドも苦しんでいる。
 考え方の転換はできるはずだ。「開催か中止か」だけではない。今すぐIOCと再交渉し、無理は承知で「返上」また「再延期」を求める方途がある。開催中止を選んだ場合でも、それが全ての終焉を意味するものではない。会場建設などに伴う経済効果は発揮され、観光政策や都市再生など肯定的なレガシー(遺産)も多い。中止を選択する余地はある。
 21世紀に入って世界各国は、メガイベントの活用により、都市再生や観光、ビジネス、国家のブランディング戦略を進めてきた。その集客力広報効果、変革を促す「触媒」効果など、多様なメリットを得るためだ。筆者が良く知る12年のロンドン五輪も同様である。
 現状を見ると、開催経費など総額3兆円を投じて「日本の魅力」よりも、長引くコロナ禍やデジタル化の遅れなど、負のイメージを海外発信しているかのようである。関係企業や国内政治など内輪の視点で開催に突き進むなら、判断を誤るだろう。世界が今の日本をどう見ているかを考え、戦略的に判断すべきである。
 開催したとして、選手や大会関係者・報道陣など、マナーや生活習慣が異なる外国人が大勢やってきて、何事も起こらないはずはなかろう。政府の方針に従い、モラル、マナーをきちんと守って行動する人ばかりだといいが、日本人でさえ窮屈に感じているのに無理な話だ。オリンピック開催はイチかバチか、国民の命を賭けた大博打だ。「運を天に任せる」なんて軽々しくいえることではない。

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