つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

また衝撃のニュース、王監督が入院・・・

2006-07-06 | Weblog
 中田英寿の引退表明に続き、またまたスポーツ界に衝撃のニュースが走った。
プロ野球ソフトバンクの王貞治監督が5日、胃の手術のため休養するという。記者会見では、淡々とした表情で、言葉を選ぶように語っていたが、心中穏やかざるものがあろうと、他人事ながら沈痛な気持ちになった。 
 手術をしなければならない腫瘍があるとの診断で、6日に東京都内の病院に入院、検査をしたうえで早ければ来週にも手術を受けるという。入院・加療には約1カ月かかる見込みというが、現場復帰の時期は未定だとのことで、王監督はシーズン中に戦列を離れることを残念がっていた。はっきりと病名は公表されなかったが、胃の腫瘍で1ヶ月の入院・加療といえば、もう胃ガンしか考えられないのでは……。

 王監督は、2001年12月に、妻・恭子さんを胃ガンで亡くしている。享年57歳の若さであったが、若かっただけに進行が早かったのだろう。それ以来、王監督は自分の体調には気遣い、年2回の人間ドックでの検診は欠かさなかったという。それだけに今回の思わぬ検査結果には、おそらく本人も半信半疑ではないだろうか。

 監督の重責を全うしようとすれば、精神的なストレスは計り知れないだろう。王監督の真面目な性格からして、おそらくいい加減では済まされない責任感は相当なものだろう。そういった日々の煩雑な生活のストレスがこんな形で表われようとは、神様は誰にも格差なく試練をお与えになるのであろうか。

 私は、太陽のような存在の長島茂雄元監督より、なぜか穏やかな静かな雰囲気を持つ王監督のほうが好きである。記者会見の王監督の顔を見ていると、加齢するごとに人間的な深みが感じられ、いい顔をしておられるなあと思った。王監督は私より1歳上であるが、どっしりとした貫禄、でんと肝の据わった頼りがいのある姿は、ずっと歳上に思えるほど落ち着いた魅力ある男性である。
 2002年12月、王家の墓所から亡き妻恭子さんの遺骨が何者かに盗まれるという事件があり、会見での王監督の悲痛な姿が印象的だった。恭子さんの一周忌法要を先日終えたばかりで、その直後にふりかかった予期せぬ災難にも王監督は決して怒りを表に出さず、まるで犯人に諭すような口調で話しかけたという。その後、遺骨が戻ってきたというニュースは聞かないが、一体誰の仕業で何の目的なのか未だに謎のままである。

 一日も早い現場復帰を願っている選手やファンのために、現代医学の最先端技術にすべてを任せて、休養のつもりでのんびりしてほしい。





死刑確定後の小原は以前にも増して荒れていた。家族、親類は誰も拘置所に面会には訪れなかった。そこである時、教誨師(※)・山田潮透師(日蓮宗僧侶)が短歌を勧める。当初、小原は教誨師の慰めは受け入れようとはしなかった。「自分は創価学会の信者だ」と言い、「坊主どもを折伏して見せる」と豪語する始末だった。そのため「何か拠り所を持たせてやらなければ」ということで、勧めたのが短歌だった。
 山田教誨師の差し入れの短歌雑誌を読んだ小原は「土偶」という同人誌の存在を知る。これは長期療養者や回復者を会員とする雑誌だったが、69年4月、小原は主催者に入会の相談の手紙を送る。「死を見つめるという意味では療養者も死刑囚も同じ」という文面に主催者は入会を許した。
 その後の小原は「土偶」主催者の指導により、めきめき上達し、朝日歌壇に選ばれるなど、その才能が世間に知られていくようになった。
 詩歌は「福島誠一」という名で投稿していたが、この名前は「今度生まれ変わる時は愛する故郷で誠一筋に生きる人間に生まれ変わるのだ」という願いが込められていた。彼が投稿した短歌は370首にも及んでいる
 一方、吉展ちゃんの母親・豊子さんは小原の死刑執行後の週刊誌の取材で彼の遺した歌を読み、次のように語った。
「あの人がこんなきれいな気持ちになれた代償が、吉展の死だったとしたら、やはり私どもにとっては大きすぎる犠牲ですね。まあ、あの人がこんな人間になって死んでいったことは、せめてもの救いですけど・・・・天国で、吉展をかわいがってほしいですね
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