つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

52年前の硯箱・・・

2020-07-17 | 私事ですが

 もう50数年も前のこと。当時、近所に大きな商家のご隠居さんがいて、茶道を教えていた。私は茶道にはあまり興味はなかったが、そのお弟子さんの一人が私の知り合いだった。彼女は師匠と個人的にも親しいそうで、他の2人のお弟子さんも交えて週に一度、書道の先生を招いて手ほどきを受けているという。
 茶道の弟子でもない私が仲間入りできるはずもない。が、私が書道に興味をもっていることを彼女が話したらしく、ある日、「ご一緒にどうぞ」というご隠居さんからのお誘いの言葉があった。うれしくてすぐに書道用品を買い揃えた。
 その折、母が用意してくれたのが、この岡山県特産「烏城彫り」の硯箱と文箱である。

  文箱は10年くらい前に壊れたので捨てた。硯箱は52年を経たが、外見は擦り傷や色褪せなど年季が入っているが、硯、文鎮、水滴、筆、それに後に必要になって作った小さな落款印も残っていて、いつでも使用可能だ。
 余談だが、亡父は抜群に筆文字が上手かった。私が中学校の生徒会役員選挙に立候補したとき、太筆で名前を書いた大きなポスターを何枚も作ってくれた。そのDNAを受け継いだのか、私も書道は好きで、小学校を卒業するまで書道塾に通っていた。
 中学生の時、担任に「字が上手い」とおだてられ、放課後、家庭に配布する印刷物のガリ切りを私、謄写版で印刷するのは他の生徒、そういう手伝いはしょっちゅうやっていた。今だったら“何とかペアレンツ”がうるさく言うだろうが、当時、そんなことは普通で、結構楽しんで手伝っていたなあ。

 ご隠居さんの家に行くと、いつも茶室でお茶を点ててくれて、帛紗の使い方や飲み方など一連の作法をご教授いただいた。その後、書道の先生が来られて練習が始まる。正式に師について習うのは小学生の時以来だが、この週に一度の「お茶と書道の時間」が楽しくて、次回が待ち遠しかった。
 最初は小筆を持って机に肘をつき、手首だけ動かして同じ太さの直線を書く。それができるようになると、次は仮名の「いろは」から始める。若い人はご存知ないだろうが、仮名を覚えるために古くから使われていたのが「いろは歌」で、勿論、ちゃんと曲もついている。
●いろはにほへと ちりぬるを (色は匂へど 散りぬるを)
●わかよたれそ つねならむ  (我が世誰ぞ 常ならむ)
●うゐのおくやま けふこえて (有為の奥山 今日越えて)
●あさきゆめみし ゑひもせす (浅き夢見じ 酔ひもせず)
 この「いろは47字」が書けるようになると、次は万葉仮名の練習だ。が、何の字を崩したらこの字になるのか、チンプンカンプン。先生が万葉集の中から選んで書いた歌をお手本に、それを真似るだけの練習だったが、それでも少しずつ分かるようになった。
 右写真は小倉百人一首に収録されている在原業平が詠んだ歌だが、歌を知っているからどうにか読めるが、あの頃はこんな読めもしない文字を一生懸命練習したのである。
 1年後くらい経ったころ、先生が所属する書道会発行の競書誌『錦江』に、私の作品が写真入りで2回掲載された。また先生の勧めで岡山県展に、最初は小筆で万葉集の歌を、2回目は大筆で、何を書いたかは忘れたが、掛け軸に表装して出品した。その頃はボールペンより筆を持つほうがよくて、年賀状はもちろん、手紙も巻紙に筆書きしていたくらいである。
 「お茶と書道の時間」が何年続いたかはよく覚えていない。が、先生が地元の短大の講師に就任され、時間が取れなくなってやむなく中止となったのは覚えている。その後、別の先生を紹介してもらってしばらく続けたが、諸々の事情により書道は断念した。
 「芸は身を助く」というが、筆文字が書けるおかげで、ギフト店で中元やお歳暮ののし書き、記念品の名入れ、封筒のあて名書きなどのバイトをして、結構稼いだものである。
 パソコンを使いだしてから筆書きはもちろん、手で書くこと自体が大儀になって、まったく不要になってしまった。亡母の形見でもあるこの硯箱、私が死んだら捨てられてしまうのだろうなあ。

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4 コメント

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烏城彫り! (sirousagi gamanoho)
2020-07-17 17:28:29
素敵ですね!
手彫りの四君子の一つ、蘭が施された漆塗りの硯箱。
50年の歳月が得も言われぬ雰囲気を醸しだして、文人、趣味人の域に達しているようです
お母さまの想いに応え見事な作品が次々と。
ちはやふる~かなの連綿体は日本人の美意識にピッタリですね。
勿体ないオールドレデイさん!是非とも筆文字を書きましょう、私は有る先生に勧められて、墨をすること無く水文字を
新聞誌に書き散らしています
ボケ防止にもなり、ストレス発散にも!
お手本は良書を。
時々王義之「蘭亭叙」などを眺めてゆったり気分で楽しんでいます。
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Unknown (オールドレディー)
2020-07-18 08:57:53
★shirousagi gamanohoさま
烏城彫りの硯と文箱のセット、当時でも万の値が付いた物だと思います。まだまだ長持ちしそうで捨てるには惜しいのですが、さてどうなるやら…。
年賀状の宛名くらいは筆書きしたいと思いますが、年のせいでしょうか最近は手が震えて書けません。小さな文字はもうダメですね。

あの当時、書道の師範になることを夢見た時もありました。が、それとはまったく縁のないパソコンを職業にしようとは、自分でも想定外でした。
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オールドレディさま (suri-riba)
2020-07-19 22:19:11
素敵な硯箱。私もお習字が大好きでしたが「姉に教えてもらえ」で、その代わり「絵画教室」に行くことに
。でも40代になって少し習いましたが、今度はお月謝や材料費がかさみ、途中敗退。なにも身につかず・・

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Unknown (オールドレディー)
2020-07-20 18:31:40
★suri-ribaさま
私もすべて中途半端です。年を取って習うのはお金がかかるので、何でも自己流です。
一時は県内で名の知られた先生を紹介してもらい、津山から岡山のお宅までバスで通ったこともありました。あの時本気で精進していたら、あるいは書道の先生になれたかも。そうしたら私の人生も変わっていたかもしれないなあ、と考えることもあります。
それでも好きなパソコンを生業としたことは後悔していませんが。
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