わが購読紙に『ふる里の風景』というコラム欄がある。先日の「ガリ版」という見出しに、60年近い昔が思い出され、懐かしさが込み上げてきた。先ずは掲載文を紹介しよう。(原文どおり)
【ガリ版とは謄写版印刷のことである。パソコンやコピー機の普及以前、この印刷方法が主にその役割を果たしていた。
ヤスリ状の鉄板を下敷きにして、先が鉄の筆でロウ引きの原紙に文字や絵を刻む。その際のガリガリという音がこの俗称の由来のようだ。これをシルク布を張った木枠の下に置き、インクを付けたローラーを転がすと、文字の部分をインクが透過、下の紙に印字された。
僕らが子どものころ、学校には専用印刷室があり、答案用紙から修学旅行の歌集まですべてガリ版刷りだった。今思うと、手間のかかる印刷方法だったが、それが文を短く簡潔にし、耐久性の低い版は、印刷枚数を抑える工夫を生んだ。そのことが資源節約になっていた点は、今注目し直す価値があるかもしれない。】
中学2年の頃、担任のK先生に「今日残ってくれ」と言われ、放課後、よくガリ版刷りを手伝わされたものである。鉄筆で原紙に文字を刻むことを「ガリを切る」といい、字が上手だからとおだてられて「ガリを切る」のが私の仕事。それに、インクの付いたローラーを転がして印刷する人、その用紙を1枚1枚めくり取って、インクが早く乾くように広げて並べる人など、何人かで作業を分担した。
家庭への連絡や予定表など、差し障りのない印刷物だったが、当時は放課後に、生徒が教師の手伝いすることはさほど珍しいことではなかった。それは、教師と生徒との信頼関係を築くためのコミュニケーション術だったのかもしれない。が、今だったら、生徒にこんな事をやらせると、PTA連中が黙っていないだろうネ。
当時は、親も生徒も教師に全幅の信頼を置いていた。また、教師もそれに応えうる能力と品格があったように思う。「教師はサラリーマン」という今の時代と、「教師は聖職」の時代とでは、教師の姿勢や態度は大きく違う。が、それは教師だけでなく、親や生徒にも言えることである。今の教育現場では、教師と生徒、また教師と親との信頼関係などあり得ない話だが、教育の原点は信頼関係にある、と私は思っている。
担任のK先生は20代半ば過ぎの男性教師、まだ新米のような先生だったからか、クラスのみんなからは兄貴のように慕われていた。夏休みや冬休みには、何人かで家に押しかけて行ったり、海辺でキャンプしたりと、楽しかった思い出が次々と浮かんでくる。今にして思えば、先生のご両親には迷惑だったろうに、いつも温かく迎えてくださったのがうれしかった。
60年を経た今でも顔と名前を覚えているのはこのK先生と、小学校5・6年担任のN先生のお二人だけである。とくにN先生には、よくいたずらをして叱られたし、ゲンコツももらった。が、成績をいつも高順位で頑張れたのも、充実した学校生活が過ごせたのも、このお二方の愛情あるご指導のおかげである。ついでに言えば、高校生になってからの成績はさんざんなもので、その成れの果てで今に至る。
小学校担任のN先生は、もうずいぶん前に泉下の人となられたと聞いた。K先生とは歳が一回りくらいしか違わなかったから、今でもご存命ではないかと思う。もうお会いすることは叶わないが、今も海を見下ろす丘の上に建つ、あの大きな家にお住まいだろうか。
私が高校の頃(S32年)には選択教科に和文タイプがありましたから、そろそろ「ガリ版」は御用済みだったのでは?
就職してからは、その頃まだ珍しかった大きな電算機を使った事を覚えています。
私が和文タイプの資格を取ったのは昭和48年、官公庁ではタイピストは花形職種だったようです。
それから後は電動タイプ、ワープロ、パソコンと進化は早かったですね。
手軽で楽になった分、頭に残る知識は減ってゆきます。
コピー機と直ぐに入れ替わったのでしょうか?
S35年にはコピー機が有りましたね。
FAXも出来、ワープロとどんどん進化し、反面
漢字はどんどん頭からサヨナラです。
ガリ版をご存知とは、世代が近いということでしょうか?
自分でガリを切って、それを印刷した卒業文集、いい宝物をお持ちですね。
PCの普及は漢字が書けない若者を生んでいます。かく言う私も、読めても書くとなると戸惑うことが多く困っています。
昔を懐かしむのは老いた証拠ですが、いい教師に恵まれたいい時代でした。
今の学校生活は勉強が第一、遊び相手はIT機器。学歴社会では子供達に楽しい学校生活なんて無理なことでしょうね。
今の便利な暮らしはありがたいけど、何かが欠けているように思えて仕方ありません。
物はなく、貧乏が当たり前の時代でしたが、心豊かでいられたような気がしています。
小学校の卒業文集をつくるときに、
「先が鉄の筆でロウ引きの原紙に文字や絵を刻む」っていうのを初めてやりました。(最初で最後)
緊張しながらガリガリ書きました。
自筆の文字が残っている印刷物は唯一それです。なつかしいですね。
今では、パソコンで打って、コピー機であっというまに印刷しちゃうんでしょうね。
先生と生徒のコミュニケーションの取り方も変わるわけですね。
青いインクが均一に摺られ、出来上がりを満足気に眺める別の生徒にも称賛の拍手係り
とこんな思い出ばかりですが、放課後残って担任の先生のお手伝いをするのはちょっと誇らしい気分でしたね。
すっかり制度が変わった社会、善き思い出は人格も丸くできますが。もう無理かな、甘いと言われそう、高学歴のママさん等に