いろはにぴあの(Ver.3)

ピアノを趣味で弾いています。なかなか進歩しませんが少しでもうまくなりたいと思っています。ときどき小さな絵を描きます。

仕事始め等

2012年01月05日 | 日記

 今日から仕事始めでした。年末からほとんど日にちがたっていないような気がしたのは気のせいでしょうか?今日は年末以上にせわしくあわただしく初日が過ぎていきました。

 家に帰ったらご飯とピアノ。昨日はいちゃもんをつけたものの、それだけじっくり譜読みできたということでもあり(?)、プレリュードについては以前と比べると格段の進歩でした。よたよたではありますが。そこで今日はその後のレント、そしてフーガに入りました。もう、最高にしぶくてかっこいいです(うまく弾けたらという大前提がありますが)。他にもバッハのオルガン曲をピアノで編曲したものがあったのですが、レントの雰囲気はどことなくその曲と似ています。びしっと決めたいところだと。そして問題のフーガ。これがまたいいのですが、早速難題が持ち上がりました。声部ごとにわける、ということ以上に大変そうなのは、音符通りに弾けるか、ということ。10度以上に広げそうなところをいくつか発見。これらの音、私の手では物理的に同時に弾くことはかなり厳しそうなのです。かといって省略したりずらして弾いたりするのもいまいちな気がするし。Youtubeの模範演奏の演奏者の方は手が大きいのかもしれませんが、省略やずらすというようなことをしていないように見えました。となるとやっぱり指広げの練習でしょうか?


シャープの存在 その2

2012年01月04日 | ピアノ・音楽

 もう一つ、同じくプレリュード、フーガと変奏Op.18のプレリュードで、♯がついているものの、なくても自然なのでは、と感じるところがありました。23小節目のはじめのほうで、上の楽譜で○を囲んだところです。ここのファ(F)は♯をつけて弾くのですが、ナチュラルにしても自然で、先ほどの4小節目と同じくちょっとおどろおどろしい雰囲気が出せてぴったりなのではないか、と思いました。しかも音源、先ほどの4小節の例では、あきらかにファ(F )に♯がついていましたが、こちらの場合はファ(F)に♯がついているのかどうか、ひょっとしたらついていずにナチュラルになっているのでは、とも思えてきたりもします。

 上のピアノのYoutubeでは1:50、下のピアノとハーモニウムのYoutubeでは1:20時点の、楽譜のまるで囲んだシャープの部分に注目です。ちなみに同じ小節内の最後のところはちゃんとナチュラルになっているので(○で囲んでいます)、そこのナチュラルを引き立てるためにシャープのままになっているのかもしれませんが。このシャープはその後のどっしりした世界の前にさす一瞬の光、きらめきのような気がします。


シャープの存在 その1

2012年01月04日 | ピアノ・音楽

 久しぶりに楽譜を載せようと思います。

 フランク作曲のプレリュード、フーガと変奏Op.18のプレリュード、音の響きを聴いたり、音の動きを感じ取ったりする余地があるぐらいゆっくりゆっくり練習しました。この音に重なっている音はこの音、また、この音の次に来るのはこの音になるんだな、と、流れや響きを聴きながら練習したら、間違えにくいし覚えやすくなるだろう、と思ったからです。どうもこのプレリュード、練習を始めて以来、練習した、という実感がずっと持てない状態でした、弾くと同じところで間違えるし、どうして間違えるのか訳が分からないし、間違えたくないのに間違えるという悪循環からも解放されないもやもやした感じでした。しかし、ゆっくりゆっくり練習をしたら、やっとそのもやもやが解消された感じがしました。このような流れになっているからここにこの音が来るとぴったりなんだ、と思えるところがいくつかありました。転調も面白いです。ゆっくりと転調しているところもあれば、一小節単位で激しく転調しているところもあります。本当にここまでよく考えたものだと思います。作曲家はえらい、と感じる瞬間。そのように感じられるときは練習も楽しいです。このように弾きたい、というようなイメージもわいてきます。まだまだぎこちなく、思うようには弾けないのですが。

 しかし、いつもぴったりとここにあてまはるべきだ、と断言できそうな音が来ているから、曲が素敵なのだとは限らないかもしれません。ちょっと意外でずれたような雰囲気になっているところが、面白いところもあるような気がしました。そういうところは実は私がよく間違えるところでもあります。たとえば上の楽譜の4小節目のまるで囲んだところは♯がついた状態になっていますが、♯がなくてナチュラルになっていても、この曲の雰囲気に合うような気がします。むしろナチュラルのほうが、おどろおどろしくてどきどきしそうな雰囲気がでてきそうな気がするのですが、ここでは♯がついたままで、さらりと流したような状態になっています。下のyoutubeでは、0.15時点です。ここでナチュラルにしないことによって、その後を引き立てているのでしょうか?

 楽譜にいちゃもんをつけるなんて、態度の悪い弾き手かもしれません。しかも細かそうなところだし(汗)しかし、そのような疑問を見捨てないことによって曲の特徴や魅力を実感できることもありそうな気がしています。というわけで、はてな記録です。


弁天島から見た日本海

2012年01月03日 | 気になる場所、風景

 弁天島から見た日本海です。かなたに灯台、そしてもっと遠くに起伏のある山々が見え、とても美しい風景です。みすゝ゛さんもこの海を見ていたのでしょうか?さすがに灯台はなかったかな?

 昨年は大好きな海をはじめとし、絵をほとんど描きませんでしたが、今年は復活させたいです。


弁天島

2012年01月03日 | 気になる場所、風景

 金子みすゝ゛さんも大好きで、詩にも書いていた仙崎地区の弁天島です。ごらんのとおりかわいらしい島です。今は人口島にちょっとくっついたかたちになっています。弁天島には「厳島神社」があり、仙崎地区の守り神になっています。

 弁天島の詩ではありませんが、土の詩を掲載します。なんだか元気になれそうです。

こツつんこツつん
打たれる土は
よい畠になつて
よい麥生むよ。

朝から晩まで
踏まれる土は
よい路になつて
車を通すよ。

打たれぬ士は
踏まれぬ土は
要らない土か。

いえいえそれは
名のない草の
お宿をするよ。


帰りました

2012年01月03日 | 日記

 横浜に帰ってきました。

 主人の実家から、近いところにあったため、金子みすゝ゛記念館に行くことができました。金子みすゝ゛さんは感性豊かで非常にかしこく、のびやかな人生を送っていました。広い視野を持ちながらも、身近なもの、小さなものへの目配りも細かく、詩によって丁寧に言葉をつむいでいました。しかし彼女は若くして自ら命を落としました。そういう選択はよくない、とはいわれますが、彼女の場合、本当に気の毒すぎる状況でした。詩作よりも商売に熱心だった夫に、詩を作るのをやめるようにと言われました。そして、愛娘を自分の手でのびやかに育てようと考え、理解のない夫と別れたものの、娘の親権を夫に要求され、当時の時代背景からその要求を受け入れざるを得ないような状況でした。その前日の、彼女の愛娘への接し方は、涙をそそらずにはえられないようなものでした。そういうなかでも他の選択肢がなかったのか、と、今なら言えるのかもしれませんが。。。現在金子みすゝ゛さんが生きていたら、ずっと幸せな人生を送れたにちがいありません。実際に彼女へのお手紙コーナーという所には、友達になりたかったということばがたくさんありました。私も友達になりたかったです。

 ちなみに私自身の行動を振り返ってみると。。。反省点ばかりです。今年になってマイナス思考?いや、そういうつもりではないのですが。向上心を持ちながら、がんばっていきたいです。

 一番好きな詩(歌もあります)「星とたんぽぽ」です。

星とたんぽぽ


青いお空の底ふかく、
海の小石のそのやうに、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼にみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。

散つてすがれたたんぽぽの、
瓦のすきに、だぁまつて、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根は眼に見えぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。