昭和11年発行 【小松町誌】
【産 業】
(一) 農 業
本町における主要農産物は米麦を主としているが、近年多角的農業の奨励される風潮に従って
菜園勢方面にも着目さるるに至ったことは喜ぶべきである。左に農業統計を掲ぐ。
農業戸数 自作農 小作農 自小作農 合計
農業戸数 九七 一四〇 六三 三〇〇
耕作地 自作 小作 合計九
耕作地 田 畑 田 畑五
四三町0 四四町0 八三町五 四八町四 二百十八町九
耕作地広狭別戸数 五反未満 五反以上 一町以上 合計
一九六 一〇二 二 三〇〇
【みかん】 本町も最近大島みかんの聲価発揚に連れて蜜柑の増殖頗る多く、現在の栽培面積
二十二町に上り、樹数約一万七千本、生産四万七千貫を見るに至った。これに雑柑類を加算
する時は二十四町、五万六千貫の生産量である。
蜜柑 面積 樹数 生産高
二二町二 一七一五〇本 四万七千貫
【家畜】 家畜数その他の統計見るに次の如し。
家畜 牛 兎 鶏 蜜蜂 豚
一二六頭 三七頭 二五〇〇羽 一二箱 八頭
【町農会】 町農会は主として農事の指導奨励に関する施設並びに農家の植利増進に関する方法
を調査考究しているが、昭和11年度から新たに屋代村農会と共同して青物市場を経営すること
になった。現在の役員は左の如し。
会 長 吉田 紋次郎
副会長 奈良本 壽輔
総 代 湯村 才助 松田 庄作 久保田 勇治 山本 知槌
松本 吉太郎 山中 源槌 木村 本三 廣田 七郎
木谷 亀太郎 田中 梅吉 川野 常蔵 金田 政一
金田 秀吉 山本 遠一 古崎 雛吉 向山 好一
廣田 亀吉 矢田部 輿一 金満 為之助 山本 弥助
小田村 伊太郎 栗本 達五郎 是永 林蔵 兒島 甚吉
藤谷 喜五郎
【農事実行組合】 疲弊せる農家の救済は実行組合によるを最良とするといふ近代風潮に従い
農事実行組合の組織さるるもの多く、昭和九年以来創立されたもの左の如し。
組合名 代表者 組合名 代表者
湯所上組合 湯村 才助 湯所下組合 金田 秀吉
志佐浜東組合 山根 宇一 志佐浜西組合 廣田 亀吉
郷組合 木村 本三 串五反田組合 花田 政一
砂堀組合 佐村 友右衛門 大川組合 古崎 雛吉
手崎組合 小林 辰一 中田組合 中元 眞澄
石丸組合 中村 辰三郎 北方組合 是水 林蔵
南町組合 加藤 源之助 北町組合 藤本 東一
笠佐組合 中島 慶一
【煙草耕作組合】 本町における煙草葉耕作は昭和六年に始めて試作を許可されたるものであるが
この耕作運動については当時の大島郡町村長集会長たりし吉田紋次郎氏が数年にわたって運動
努力したる結果で農家の副業として有利なものである。試作当時は面積五町であったが、昭和
十一年度には八町を配当された。この仕事は専売事業であるため採算的には割合に懸念のない
ことが特徴である。十年度の成績左の如し。
耕作人員 耕作面積 生産高 賠償価格
51名 8町17 13894瓩(キロ) 10525円
現在の役員左の如し
組合長 吉田 紋次郎
副組合あ帳 奈良本 壽助輔
総代 湯村 才助 向山 好一 清水 唯一
道中 初太郎 串崎 藤吉 廣田 七郎
山本 精一 萬岡 清一
源三注】 煙草葉は昭和30年代まで生産されていました。煙草は専売品ですので国の専売公社
(現・JT)の管理下にあり自由に耕作することは許されていませんでした。
小松は塩田があったので塩も専売品だったことから開作に専売公社出張所がありました
ので煙草葉の耕作許可を働きかけたのでしょう。煙草葉耕作は日当たりのよい志佐湯所
地区に多く、子供の背丈ほどの大きな葉で、表面にイガイガが多く肌に直接当たると
痒くなります。厳重な管理の許、一枚づつ数え納品されていました。この納めた場所が
開作の塩釜神社の隣の専売公社でした。今もレンガ造りの倉庫と崩れかかった事務所が
お化け屋敷のように残っています。町の文化遺産ですが知るものも少なくなりました。
【蜜柑出荷組合】 みかんの栽培普及と共に本町にも同業者により、昭和七年蜜柑出荷組合が組織
されて、生産方面の発達に対する販売方面の事を行ふて収支の上に力を致す事になって
ゐる。組合長は原田満太郎氏である。
【主要農産物】 昭和十年末より調査したる主要農産物の産額は次の如し
種別 作付反別 収穫量 価格
粳米(うるち) 92町9反 1,757石 64,130円
糧米 10町3反 178石 6,959円
大麦 5町8反 61石 803円
裸麦 28町4反 310石 4,602円
小麦 28町9反 342石 5,310円
豆類 21町0反 115石 2,400円
蜜柑 17,000本 47,460貫 8,068円
蔬菜(あおもの) 58町0反 18,620貫 4,716円
馬鈴薯(じゃがいも)5町7反 13,680貫 5,472円
【産 業】
(一) 農 業
本町における主要農産物は米麦を主としているが、近年多角的農業の奨励される風潮に従って
菜園勢方面にも着目さるるに至ったことは喜ぶべきである。左に農業統計を掲ぐ。
農業戸数 自作農 小作農 自小作農 合計
農業戸数 九七 一四〇 六三 三〇〇
耕作地 自作 小作 合計九
耕作地 田 畑 田 畑五
四三町0 四四町0 八三町五 四八町四 二百十八町九
耕作地広狭別戸数 五反未満 五反以上 一町以上 合計
一九六 一〇二 二 三〇〇
【みかん】 本町も最近大島みかんの聲価発揚に連れて蜜柑の増殖頗る多く、現在の栽培面積
二十二町に上り、樹数約一万七千本、生産四万七千貫を見るに至った。これに雑柑類を加算
する時は二十四町、五万六千貫の生産量である。
蜜柑 面積 樹数 生産高
二二町二 一七一五〇本 四万七千貫
【家畜】 家畜数その他の統計見るに次の如し。
家畜 牛 兎 鶏 蜜蜂 豚
一二六頭 三七頭 二五〇〇羽 一二箱 八頭
【町農会】 町農会は主として農事の指導奨励に関する施設並びに農家の植利増進に関する方法
を調査考究しているが、昭和11年度から新たに屋代村農会と共同して青物市場を経営すること
になった。現在の役員は左の如し。
会 長 吉田 紋次郎
副会長 奈良本 壽輔
総 代 湯村 才助 松田 庄作 久保田 勇治 山本 知槌
松本 吉太郎 山中 源槌 木村 本三 廣田 七郎
木谷 亀太郎 田中 梅吉 川野 常蔵 金田 政一
金田 秀吉 山本 遠一 古崎 雛吉 向山 好一
廣田 亀吉 矢田部 輿一 金満 為之助 山本 弥助
小田村 伊太郎 栗本 達五郎 是永 林蔵 兒島 甚吉
藤谷 喜五郎
【農事実行組合】 疲弊せる農家の救済は実行組合によるを最良とするといふ近代風潮に従い
農事実行組合の組織さるるもの多く、昭和九年以来創立されたもの左の如し。
組合名 代表者 組合名 代表者
湯所上組合 湯村 才助 湯所下組合 金田 秀吉
志佐浜東組合 山根 宇一 志佐浜西組合 廣田 亀吉
郷組合 木村 本三 串五反田組合 花田 政一
砂堀組合 佐村 友右衛門 大川組合 古崎 雛吉
手崎組合 小林 辰一 中田組合 中元 眞澄
石丸組合 中村 辰三郎 北方組合 是水 林蔵
南町組合 加藤 源之助 北町組合 藤本 東一
笠佐組合 中島 慶一
【煙草耕作組合】 本町における煙草葉耕作は昭和六年に始めて試作を許可されたるものであるが
この耕作運動については当時の大島郡町村長集会長たりし吉田紋次郎氏が数年にわたって運動
努力したる結果で農家の副業として有利なものである。試作当時は面積五町であったが、昭和
十一年度には八町を配当された。この仕事は専売事業であるため採算的には割合に懸念のない
ことが特徴である。十年度の成績左の如し。
耕作人員 耕作面積 生産高 賠償価格
51名 8町17 13894瓩(キロ) 10525円
現在の役員左の如し
組合長 吉田 紋次郎
副組合あ帳 奈良本 壽助輔
総代 湯村 才助 向山 好一 清水 唯一
道中 初太郎 串崎 藤吉 廣田 七郎
山本 精一 萬岡 清一
源三注】 煙草葉は昭和30年代まで生産されていました。煙草は専売品ですので国の専売公社
(現・JT)の管理下にあり自由に耕作することは許されていませんでした。
小松は塩田があったので塩も専売品だったことから開作に専売公社出張所がありました
ので煙草葉の耕作許可を働きかけたのでしょう。煙草葉耕作は日当たりのよい志佐湯所
地区に多く、子供の背丈ほどの大きな葉で、表面にイガイガが多く肌に直接当たると
痒くなります。厳重な管理の許、一枚づつ数え納品されていました。この納めた場所が
開作の塩釜神社の隣の専売公社でした。今もレンガ造りの倉庫と崩れかかった事務所が
お化け屋敷のように残っています。町の文化遺産ですが知るものも少なくなりました。
【蜜柑出荷組合】 みかんの栽培普及と共に本町にも同業者により、昭和七年蜜柑出荷組合が組織
されて、生産方面の発達に対する販売方面の事を行ふて収支の上に力を致す事になって
ゐる。組合長は原田満太郎氏である。
【主要農産物】 昭和十年末より調査したる主要農産物の産額は次の如し
種別 作付反別 収穫量 価格
粳米(うるち) 92町9反 1,757石 64,130円
糧米 10町3反 178石 6,959円
大麦 5町8反 61石 803円
裸麦 28町4反 310石 4,602円
小麦 28町9反 342石 5,310円
豆類 21町0反 115石 2,400円
蜜柑 17,000本 47,460貫 8,068円
蔬菜(あおもの) 58町0反 18,620貫 4,716円
馬鈴薯(じゃがいも)5町7反 13,680貫 5,472円
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