あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄方言を話し、習慣を知り、家族と住み、墓を沖縄に作らねばほんものの沖縄好きではない?

2008年09月05日 18時56分57秒 | Weblog
辺野古(へのこ)への移転で基地問題の中心になっている普天間飛行場。嘉数公園展望台から撮影した。画面中央が飛行場である。滑走路の右に灰色に見えるのは駐機場付近だと思われる。基地を取り囲む形で市街地が広がる。左クリックすると写真が拡大されるので、着陸態勢に入った輸送機を見ることができる。
嘉数公園展望台は那覇市から車で30分のところにある。



 今は場末となっている屋父祖(ヤフソ)の飲み屋街でのこと。
最近は、この屋父祖の値段の安さとウチナンチュー(沖縄県人)が集まる飲み屋街の気楽さが好きで飲みに出る。
 数日前、若い頃は美人だったろうと思われるママさんがやっているスナックがある。ブランド名を店名にしたスナックでのできごと。
 あとからひとりで入ってきた60前後の身なりもこざっぱりしていた男が隣に座った。酒が入っていたのか、やたら曲の説明をしてカラオケをかけさせ、気分良く唄い始める。一番を唄うと2番、3番を自責の両隣にすすめる。ここまでは、よく遭遇する沖縄県人が「沖縄人はやさしい」と自慢する光景だ。
そのうち、私の前を越えてマイクを隣の客にまわす。彼を挟んで反対側に座っている夫人連れの夫人まで巻き込む。
 こんな風景は沖縄ではしばしば遭遇する。厚かましい限りだと不愉快になる。それでもウチナンチューは「やさしが過ぎただけだ」という。
 迷惑な雰囲気が店の中に流れていたが、当人は丁寧語を使いこなしていたので、そこそこの良識ある社会人だろうとみなさんは受け流していた。
ちょっと油断した隙に、肩をたたかれた。
こっちを向けというのだ。
大好きな沖縄民謡「島情話」を歌い終えた直後だった。
「本土の方のようですね。どこからきました」ときた。
その次に
「今の唄の意味が判りますか」と。
むかっとしたので、
「もちろん」と応えた。
「沖縄に来てどれくらいになりますか」
「20年を越えました」
「いやあ、それではもう立派なウチナンチューだ。あんたのような人を沖縄ではウチトンチューという。方言わかりますか」
「いや、全く駄目ですね。単語くらいはわかりますけどね。ウチナーグチでしゃべられるとさっぱりですね。イントネーションが違うからでしょう」
「方言は早く覚えたほうがいい」
だんだん口調が先輩口調になる。それも勘にさわりはじめた。
「いま唄った島情話の物語を知っていますか」
「ええ」
「沖縄の習慣を覚えましたか」
「少しは」
「それはいかん、方言や言葉くらいは覚えないと」そうでなければここにいるな、と言わんばかりである。受け言葉に買い言葉、年甲斐もなく
「方言や言葉を覚えなければ受け入れないというなら何時でも帰ります」
酒の勢いもあったのか、我慢ならなかった。反撃した。
「ところで、あんたは沖縄から出たことはあるの」
「ある。大阪に住んだことがある」
「方言は難しいでしょう。そんなに簡単に方言は覚えられないでしょう」
「いや、一年しかいなかったけど完全に覚えた」
「沖縄方言と一口でいうけれど、小学校の校門を出て、右左で違うという。特に、宮古島の方言は本島の人たちはわからないという」それだけたくさんの方言があるのでしょう、だからわかる方言はあっても一部であろうし、あなたがいう覚えたという大阪弁も、「なにわ」といわれる地区だけでも方言の種類が3地区か4地区に分かれると聞いた事がある。大阪弁と関西弁は違う意味ではないのか、と議論を吹っかけようと思ったが止めた。
「いや、本人の心がけだ。自分は一所懸命大阪弁を覚えようと努力した」
あんたは努力が足りないと言わんばかりである。
気の短い自分を抑えるため禁煙努力中のわたしはタバコに火をつけた。
「タバコはからだに悪い、止めたがいい」
もう頭に来た。ほんとうに大人気ないことだが、
「自分の身体だ。他人にとやかく言われる筋合いはない!」
「煙がこっちにくる。迷惑だ」ときた。
そろそろ我慢も限界、
「あんたは生まれは何年だ」
「何の関係がある」と前置きして生まれ年を言った。6年若い。
「沖縄は守礼の邦だという。とにかく、年長者は敬う習慣があるというじゃないか。見た目でも判るだろう、俺はあんたより年上だ。失礼じゃないか」
「ひとによって違う。自分は関係ない」

わたしは勘定を済ませ、席を立った。
後を追いかけてきたママが
「ごめんんさい、あの人は変な人なの」
とわびる。
「いや、年甲斐もなく面目ない。でも、嫌なやつだ。迷惑かけたようでごめん」
といってわかれた。