帰りの機上から携帯電話で撮影。
沖縄上空の午後、夕方間近。
往きと同じで、携帯電話を使って良かったかなと心配した。
電波を発信していないのだからと思ったが。
那覇空港に降り立ったとき、体を包む風と匂いに安堵感が拡がった。
福岡空港とは風も匂いも違っていた。
きょうは北風が強く、空は日本晴れで秋らしい気候であった。
自動販売機でコーヒーを買って近くの公園で、タバコをくゆらせながら、暖かな陽射しに、心地よく吹きすぎてゆく風に遠い日々を想い、追憶に浸っていた。
3人の50過ぎの男性が声高に語らいながら通り過ぎて行った。
瞬間、
そうだったんだ。何でこのことに気付かなかったんだろう。
それは、30数年前のことである。
営業の担当から事務の後方業務に異動した時のこと。
それまでは接待やら付き合いやらと酒席が多かった。
営業を外れたしばらくの間、人間らしい生活に戻ったと、鉢植えに精を出していた頃のことである。
接待だ何だというときにはずいぶん金も要ったが、担当が替わり、ずいぶんと余裕も出てきていた。
在勤地は郷里で、自宅は分譲住宅を買ったばかりでバスで40分ほどの郊外にあった。
ある日、自宅のバス停を降りたとき、夕暮れにネオンの点いた小さなスナックを見つけた。
鞄を提げたまま、店に足を踏み入れた途端、数人の先客から、一斉に好奇の眼差しを向けられた。
<まずかったかな>何となく異様な雰囲気にたじろいだ。
数回通う内に慣れた。
馴染み客と会話のひとつも交わせるようになったものの、やはり馴染めずにいつしか足が遠のいた。そのときのことを思い出したのである。
転勤先で同じようなことを経験した。
それからというもの、自宅近辺で飲むことはやめた。
仕事の性格上、勤務地は、概ね県庁所在地であった。事務所は街の中心地にあった。
昼も夜も、方々から来る人々で成り立っている都市である。
いつか必ず、この街を離れていく人々である。
<今日の出会いは今日限りかもしれない>
そんな気持ちが奥底にあったから、出会いを大切にしたし、気に入らなければ執着することもなかった。
そんな生活を続けてきた。
住宅地近くの居酒屋、すし屋、スナックなどはそこに住み、慣れ親しんでいる人たち、所謂、地の人たちでなりたっている。
あの人はどこの誰それさんで、子供が何人いて、優秀だとか走りが一番だとか情報を共有しているのである。
それは安心につながる。多少の行き違いがあっても、時が解決するという安心感がある。都市にある社会とは全く別の社会が出来上がっているのである。
そうした安心安全の世界の中に、見も知らぬ全くの異郷の人間が割り込んできて我が物顔で振舞えば、当人にその気がなくても摩擦も起こる。
顔も気に食わなければ態度も悪い。
話もわかりにくい。
「どうせよそ者だよ」
といわれてしまう。「どうせナイチャーよ」
といわれないようにと忠告されたがします。
沖縄では<どうせナイチャーよ>ということになるのだろう。
日本中、否、世界中どこに行ってもつきまとうことだ。
公園で3人連れの男たちの会話を耳にしたとき、あのバス停のスナックを思い出したのである。
あの店の客は店の周りに住んでいる連中だったのだ。
飲み方が違う筈だ。
こちらがいくら気を使っても、彼らにとっては気を使ってもらう必要などさらさらないのだ。
「よそ者」で「生活習慣が違う」奴が割り込んで来ただけである。
経験の乏しい世界に入っていくときには相応の覚悟がいる。
<沖縄県人は冷たい>
と早々に引き上げた前出の退職者の彼は、まさにそうしたことだったのだろうと思う。隣人の所為ばかりではない。
友人が言ったように、会社に勤めていたころの習慣が抜け切らなかったこともあるだろう。
彼も今までの習慣から抜け出さないとならないと覚悟していたはずだが、経験のないこと故、思ったとおりにやっているかどうかの判断基準さへ持ち合わせていなかったろうと思う。
ただ、彼に心を預けられる友人がいたなら、こんな哀しい思いをしなくてすんだろうにと思う。
「沖縄、沖縄って言わない方がいいわよ」
そういった優子さんの言葉がずしりと響く。
例え沖縄を讃えていても、それ自体がよそ者の証拠。
「よそ者」が居つく場所はあるのだろうか。
転勤族にとっては故郷に帰っても「よそ者」。町並みも変貌し、住む人間も知る人もいない。
歌の文句じゃないけれど「山」「風」だけは変わっていなかった。
野島さんや優子さんに逢いたくなった。
「お元気ですか」
沖縄上空の午後、夕方間近。
往きと同じで、携帯電話を使って良かったかなと心配した。
電波を発信していないのだからと思ったが。
那覇空港に降り立ったとき、体を包む風と匂いに安堵感が拡がった。
福岡空港とは風も匂いも違っていた。
きょうは北風が強く、空は日本晴れで秋らしい気候であった。
自動販売機でコーヒーを買って近くの公園で、タバコをくゆらせながら、暖かな陽射しに、心地よく吹きすぎてゆく風に遠い日々を想い、追憶に浸っていた。
3人の50過ぎの男性が声高に語らいながら通り過ぎて行った。
瞬間、
そうだったんだ。何でこのことに気付かなかったんだろう。
それは、30数年前のことである。
営業の担当から事務の後方業務に異動した時のこと。
それまでは接待やら付き合いやらと酒席が多かった。
営業を外れたしばらくの間、人間らしい生活に戻ったと、鉢植えに精を出していた頃のことである。
接待だ何だというときにはずいぶん金も要ったが、担当が替わり、ずいぶんと余裕も出てきていた。
在勤地は郷里で、自宅は分譲住宅を買ったばかりでバスで40分ほどの郊外にあった。
ある日、自宅のバス停を降りたとき、夕暮れにネオンの点いた小さなスナックを見つけた。
鞄を提げたまま、店に足を踏み入れた途端、数人の先客から、一斉に好奇の眼差しを向けられた。
<まずかったかな>何となく異様な雰囲気にたじろいだ。
数回通う内に慣れた。
馴染み客と会話のひとつも交わせるようになったものの、やはり馴染めずにいつしか足が遠のいた。そのときのことを思い出したのである。
転勤先で同じようなことを経験した。
それからというもの、自宅近辺で飲むことはやめた。
仕事の性格上、勤務地は、概ね県庁所在地であった。事務所は街の中心地にあった。
昼も夜も、方々から来る人々で成り立っている都市である。
いつか必ず、この街を離れていく人々である。
<今日の出会いは今日限りかもしれない>
そんな気持ちが奥底にあったから、出会いを大切にしたし、気に入らなければ執着することもなかった。
そんな生活を続けてきた。
住宅地近くの居酒屋、すし屋、スナックなどはそこに住み、慣れ親しんでいる人たち、所謂、地の人たちでなりたっている。
あの人はどこの誰それさんで、子供が何人いて、優秀だとか走りが一番だとか情報を共有しているのである。
それは安心につながる。多少の行き違いがあっても、時が解決するという安心感がある。都市にある社会とは全く別の社会が出来上がっているのである。
そうした安心安全の世界の中に、見も知らぬ全くの異郷の人間が割り込んできて我が物顔で振舞えば、当人にその気がなくても摩擦も起こる。
顔も気に食わなければ態度も悪い。
話もわかりにくい。
「どうせよそ者だよ」
といわれてしまう。「どうせナイチャーよ」
といわれないようにと忠告されたがします。
沖縄では<どうせナイチャーよ>ということになるのだろう。
日本中、否、世界中どこに行ってもつきまとうことだ。
公園で3人連れの男たちの会話を耳にしたとき、あのバス停のスナックを思い出したのである。
あの店の客は店の周りに住んでいる連中だったのだ。
飲み方が違う筈だ。
こちらがいくら気を使っても、彼らにとっては気を使ってもらう必要などさらさらないのだ。
「よそ者」で「生活習慣が違う」奴が割り込んで来ただけである。
経験の乏しい世界に入っていくときには相応の覚悟がいる。
<沖縄県人は冷たい>
と早々に引き上げた前出の退職者の彼は、まさにそうしたことだったのだろうと思う。隣人の所為ばかりではない。
友人が言ったように、会社に勤めていたころの習慣が抜け切らなかったこともあるだろう。
彼も今までの習慣から抜け出さないとならないと覚悟していたはずだが、経験のないこと故、思ったとおりにやっているかどうかの判断基準さへ持ち合わせていなかったろうと思う。
ただ、彼に心を預けられる友人がいたなら、こんな哀しい思いをしなくてすんだろうにと思う。
「沖縄、沖縄って言わない方がいいわよ」
そういった優子さんの言葉がずしりと響く。
例え沖縄を讃えていても、それ自体がよそ者の証拠。
「よそ者」が居つく場所はあるのだろうか。
転勤族にとっては故郷に帰っても「よそ者」。町並みも変貌し、住む人間も知る人もいない。
歌の文句じゃないけれど「山」「風」だけは変わっていなかった。
野島さんや優子さんに逢いたくなった。
「お元気ですか」