あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

行ってみたかった川崎・横浜 ~ 横浜 山下公園・港が見える丘⑥

2019年08月10日 15時41分27秒 | Weblog
「赤い靴の女の子」には何故こんなにも惹き付けられるのだろう。
小学校5年生だった3月。
春休み入ってからずっと微熱が続いていた。
持病の胆石で寝込んでいた母の医者を呼びに行ったり、薬取りなどで走り回っていた。
息が上がるほどきつかったが、風邪ぐらいだろうと思っていた。
3月30日、自転車で外出しようとして倒れた
診断の結果、肺浸潤とわかった。
初期の肺結核である。今、この病の名前は聞かない。
2歳の頃、肋膜炎を患い生死の境を彷徨った事があったと、母を極度に落ち込ませた。
当時、肺結核は不治の病とされ、人里遠く隔離された。
運良く、私は自宅療養と言うことになった。
新薬と言われたアメリカからの輸入医薬品「ストレプトマイシン」を打ち続けた。
毎日、午後になると主治医が、どでかいオートバイに乗ってやってくる。
「ドドドッ」と爆音がする度に慄えあがった。
馬にするような巨大な注射器を尻にブスッと刺すのである。痛いどころではなかった。
42本だ。だから42日間、怯え、耐え抜いた。
栄養を摂って、絶対安静。一日中寝ていた。
父は勤めに、母は畑に出ていない。
森閑とした部屋に残され、ラジオを着流しに聞くだけであった。
寝たっきりを3ヶ月、寝たり起きたりを3ヶ月ほど続けた。
ラジオだけが友だちだった。もっぱらNHK教育番組を聞いた。
その頃は、童謡や唱歌がよく流れていた。
「赤い靴の女の子」はそうした頃に聴いた。


 横浜山下公園では広い園内はバラが満開だった。
帰宅後知ったことだが、横浜では方々でバラに関するフェスティバルが開かれていたようだ。






催物の準備だろうか、舞台づくりの人々だけが忙しげに働いていた。



 港に来て、港風景を撮っておかないということはない。
テレビや雑誌で見慣れた風景だけど横浜のあの全容を撮影することだけは難しかった。
切り取って写したものの中から・・・。





 夕闇が迫る。
「港が見える丘」に向かった。
途中、外人墓地を左に見ながら道なりに歩を進めた。
さすが国際都市横浜。
道端の花々にも手入れが行き届いていた。





「港が見える丘」、もっと広々とした高台と思っていたが、思ったほど広くはなかった。
しばらくひとりポツネンと港を眺めていた。
きっと夜がいいだろうなあと思いながらも港が見える丘を後にした。



ーすべての写真はクリックで拡大ー

 帰途、ふと見るとエレベーターがある。
まさかと思って乗ってみた。
真っ直ぐと丘の登り口に降りた。
これには驚いた。さすが国際都市横浜!

<余談>
 今年は旧盆と8月盆が全く同じ日。
8月13,14,15日が旧暦7月13,14,15日である。
そこで考えた。
東京あたりでは盆は新盆と云って、新暦7月13,14,15日としている。
では何故、我が地方は新暦の8月13,14,15日を盆とするのだろうか。


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