あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の観光~世界遺産・斎場御嶽(セーファウタキ)~沖縄本島南部・南城市知念半島

2013年11月28日 14時22分30秒 | Weblog
斎場御嶽は那覇から車で小1時間、南城市の知念半島331号線の先端にある。
御嶽とは、沖縄県内全域にある「聖地」の総称で斎場御嶽は琉球王国発祥伝説にも登場し、琉球王国最高の聖地であった。
 御嶽の中には、六つのイビ(神域)があり、中でも大庫理・寄満・三庫理は、いずれも首里城内にある建物や部屋と同じ名前をもっていて、首里城と斎場御嶽との深い関わりを示している。
 琉球王国時代には国家的な祭事に使われる白砂を>「神の島」久高島から運び、御嶽全体に敷きつめた。
斎場御嶽は、琉球国王の聖地巡拝の行事「東御廻り」(アガリウマーイ)の参拝地である。
今も多くの人々から崇拝されている聖地である。
観光に訪れた人々がそうした拝礼の岩等に腰掛けて休息用に使われることなどから南城市では一般公開を禁止しようとの議論も起こっていると先日地元のテレビが伝えていた。
見学の際は、現在も聖地として厳然と存在している事実を意識しておかねばならない。







参道の入り口に建てられた石碑。
参道は鬱蒼とした樹木に覆われている。参道の途中にも「拝所」がある。
拝所は苔むしているので気付かないこともあるので注意が必要だ。






主拝所ともいうべき「三庫理(サングーイ)」。
大きな2本の鍾乳石の柱に囲まれ、三角岩とも呼ばれている。
入り口では祈りを捧げる人の姿が見える。
このトンネルの先に出ると眼下には海原が広がり、遠く神の島「久高島」を遥拝できる。
ここも拝所であり、この日もお参りする姿もあった。




久高島遥拝所から遠く久高島の島影がみえる。




太平洋戦争時に米軍の艦砲射撃でつくられた穴が保存されている。
小さな水溜りになっていた。


 世界遺産に登録された後、斎場御嶽の入り口の駐車場も整備され、ガイドも配置されていた。
斎場御嶽は国道331号線から200mほど入ったところ。
知念半島はドライブコースとしても快適だ。
戦跡めぐりの平和祈念公園、玉泉洞からも近い。


 帰りに斎場御嶽の反対側にある知念岬にも寄ってみた。
徒歩で5分足らずである。
洋上に久高島が見える。


斎場御嶽(南城市 知念半島



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12 コメント

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Unknown (Unknown)
2013-11-28 20:06:23
斎場御嶽は那覇から車で小1時間、南城市の知念半島の先端にあるそうですが、私は行ったことがありません。
御嶽とは、沖縄県内全域にある「聖地」の総称で斎場御嶽は琉球王国発祥伝説にも登場し、琉球王国最高の聖地であだったそうですが、知りませんでした。 
良いところですね・・・
行ってみたいところです。
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Unknown (mari)
2013-11-28 21:16:54
戦争の傷跡は特に沖縄はすさまじいでしょうね。
こうやってnoratanさんが投稿してくださるのでよくわかります。
私達もいつまでも忘れないようにしなければなりません。
私の実家も戦争以前から東京上野にあってB29で焼け野原になりました、今でも家族全員が生き延びたことは当時の状況を詳しく知りたいのですが、父母はすでになく誰に聞くこともできません。
この撮影日がわかりませんが、近日でしたら沖縄は秋の気配の紅葉はみえませんね!
緑がきれいし、海もきれいです!
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こんばんは☆ (ベル)
2013-11-28 23:39:29
この青い空と青い海を、戦争でどれだけ汚したたか・・・
そしてある意味、まだその戦争の終戦は、迎えてないような気がする。

兄が、本土返還になる前の沖縄の女性と、新聞社を通じて、
文通を始め、それから十数年後、返還となってから、
新婚旅行で沖縄を訪れました。
そしてその時に、女性から頂いたシーサーが、
今も実家の玄関の門柱に鎮座しています。
沖縄から届く手紙の、琉球切手に思いを馳せたものです。
いつか行きたいと・・・念願は叶いましたが、もっと自由に、
ゆっくり旅したいと思っています。
元気な内に(^_-)-☆
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unkownさんへ (noratam)
2013-11-29 10:35:14
 戦争の傷跡の残る今も、ようやく史跡の修復などが始まったばかりといっても過言ではないでしょう。
機会がありましたらお訪ねしてみてください。
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mariさんへ (noratam)
2013-11-29 11:26:34
 mariさんは東京のご出身ですか。

 沖縄に赴任した当時、当地の人々が異口同音に沖縄の受けた「戦災」と「基地」のためにどんなに苦痛をなめてきたか、今でも本土の犠牲になっているという話を毎日のように聞かされてきました。1986年の頃です。
その度に、広島・長崎の原爆、東京の大空襲のこと、空襲は全国の中都市もあったこと、満州開拓団のことなどを話しました。
戦争とはそうした無残で残虐なものだ、沖縄だけではないという意味を込めて熱く話しました。
 或る日、北部の村落を完全武装した米軍が行進する
隊列に正面から遭遇しました。
先頭を走る指揮車でしょうかジープの将校からスピード落として走るようにサインを送ってきました。
しばらく道路の両脇を行軍する中を微速で通り抜けました。
軍靴の重い足音と銃器が触れ合うカチャカチャという音が車内まで入り込んで来て身震いしました。
今では、同盟軍です、それでもおぼえた経験のない恐怖。
この情景を敵軍上陸として経験した沖縄の人たちはどんなたっただろう。敵軍から友軍という区切りを経験することなく現在に至っている沖縄。
戦場であった沖縄。空襲を受けた東京、長崎、広島。取り残された満州からの逃避行。ひとからげで語ることは出来ないことを悟りました。
何が悪い、誰が悪いを議論する前に戦争だけはやっちゃいけないと思い始めました。
沖縄戦に触れるたびにmariさんのやさしい言葉が今更のように身に滲みます。

 沖縄には紅葉する木は数えるほどしかありません。
わたしの知る限りでは「櫨」だけが紅葉します。他には桜、柿木くらいです。
山野が紅葉することはありません。
空の雲と風に秋を感じるくらいです。

 最近は、本土の秋が恋しくなります。
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ベルさんへ (noratam)
2013-11-29 11:37:44
 この写真は10月半ばのものです。

 お兄さんは沖縄の女性と結婚されたのですか。
今もご健在でしょうか。

 沖縄そばも時と共に進化してしまいますよ。
早くいらっしゃい!
チョビンさんのオートバイでゆったりと亜熱帯の島を走ったり、歩いたり・・・・・・。
被写体にはこと欠かないと思いますよ。
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noratanへ (hiro)
2013-11-29 19:50:41
noratan・・・
一番にコメントしたのは、hiroです。
Unknownになっていました。
失礼しました。m(__ __)m
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hiroさんへ (noratam)
2013-11-29 20:46:13
 そうだろうと思いましたが、ブログ内の記事を引用しながらというコメントはなかったのでUnknouwnにしました。
 hiroさんがいた頃の斎場御嶽は観光名所でもありませんでした。
手入れなどほとんどされていない状況でしたが、それなりに
歴史を感じました。
整備された現在でも観光スポットしての良さもあります。
車で10分少々のところに琉球カントリーがありますから、
プレーの前後にでも是非足を運んでみてください。
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▼o・_・o▼コンニチワ♪ (すた)
2013-12-03 14:28:40
御嶽はこちらでも聖地ということだと思います。
斎場=火葬場だと思っていますが
お骨にしてあの世に送りだすと考えれば聖地ともいえるかも・・・
初めて、ひめゆりの塔に行った時には往時のままだったのか、
とても悲惨で身震いしたように思いますが
最近は整備されているのですね。
この艦砲穴も戦争の悲惨さ、残酷さを忘れないためにも
大切に保存してほしいです。
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すたさんへ (noratam)
2013-12-04 11:07:43
 沖縄に来た当初、看板を見て火葬場だと思っていました。
沖縄はもともと土葬で戦前までこの風習が残っていたようです。
お墓に遺体を入れ、3年経ってお骨をきれいに洗い、お墓に戻したと昭和29年生まれの人が語っていました。
やんばるの生まれの人ですから、地方には土葬の風習が行なわれていたのでしょう。

 斎場の意味を調べてみたいとならないと痛感しています。
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