令和4年が明けた
午前5時。
カーテンを開けるが、空は暗く星も月明かりもない。
「未だわからないな」
天気予報は終日曇り。
富士山の御来光の実況中継を観ながら、
「富士山の御来光を拝んで出れば十分だな」と思い、冷めかけたコーヒーを温めて外に出た
公園の高台を昇る。階段は72段ある。
ひと月前から筋力増強準備運動と暇を見つけてはこの高台に足を運んでいる。
高台を降りながら。
この高台は子供たちの人気の遊び場だ。
放課後になると先ずは低学年の小学生がやってくる。
そして1,2時間遅れで、授業を終えた高学年の小学生がこの公園の主役に入れ変わる。
この小さな小山を縦横無尽に走り回る。
滑って転げ落ちないかとハラハラしていたが、今は立派な柵が出来た。
初日の出の1月1日には毎年、2,3組の家族がいるのだが、今年は一組もいなかった。
そう言えば、彼らは殆どが里帰りした者たちだった。
コロナ禍で自粛し、規制しなかったのだろう。
7時10分には着いたが日の出には早かった。
毎年、松を入れて撮っていたが今年は外してみようと思う。 「7:18」
「7:18」
ついでに西側の空をみると、厚い雲が姿をみせていた。
少しでもズレると雨になるな、「だから予報は曇りか」と合点した。 「7:20」
「7:26」
「7:32」
「7:33」
「7:36」
西の空「7:36」
気を引き締め、心静かに一年の無病息災を祈った。
きょう一日は暖かそうだ。
「晴れるかな」と空を見上げる。
元日にふさわしい好天気だった。
一日中、好天気だった。 「10:46」
きょうの初の出を年賀状に印刷するつもりであった。
遅い朝食を終え、年賀状作成の準備に取り掛かった。
年賀状を開いて驚いた。
裏面は首里城を描いた絵入りの賀状を買って来ていたのだ。
写真を取り込む方法を検討してみた。
いろいろ考えても、うまく嵌まらなかった。
3ケ日が過ぎて諦めた。松の内に届いたかと心配せねばならぬほど遅れた。
元旦のブログアップも、記事作成上のトラブルもあったが、それも己の簡単な勘違いのミスだった。
最近、凡ミスが多くなった。
歳の所為にはしたくないが、確実に身体能力は落ちている。
年末の酒場で、「今夜が今年最後になるな」と話題が歳の話になった。
「もう60歳になる」と落ち込む男性がいた。
この日一番若い客だった。
「未だ、お若い」と50歳の頃の思い出話をした
わたしが50歳になった頃、60歳くらいだったろうか。
先輩の老人から、
「彼は今年50歳になる青年将校だ。よろしく頼む」と紹介されて驚いた。
この先輩の方たちは、沖繩を代表する財界人だったから、その時は、
「地位のある人から見たら、50代は青年将校か」と軽く受け止めた。
その後、自分が60歳になってみて、
「本当だ、50歳は若い、もっと、やれることがあったはずだ」と後悔したものだ。
そんな話をすると、経験したこともないことを耳目学で一人前に人生訓を垂れ始めた。
沖繩の老人たちは優しい。
特にこの日同席していた人たちは呆れ顔で苦笑いしていた。
あまり彼が独壇場になったので
「人にはそれぞれの人生がある。こうしろとは言わないが、俺は経験したことをいっている。
これから経験するあんたから訓示を受けるつもりはない」と云ってしまった。
つまらぬ事につまらぬ事をしたもんだと小寒い夜の家路を急ぎながら後悔した。
午前5時。
カーテンを開けるが、空は暗く星も月明かりもない。
「未だわからないな」
天気予報は終日曇り。
富士山の御来光の実況中継を観ながら、
「富士山の御来光を拝んで出れば十分だな」と思い、冷めかけたコーヒーを温めて外に出た
公園の高台を昇る。階段は72段ある。
ひと月前から筋力増強準備運動と暇を見つけてはこの高台に足を運んでいる。
高台を降りながら。
この高台は子供たちの人気の遊び場だ。
放課後になると先ずは低学年の小学生がやってくる。
そして1,2時間遅れで、授業を終えた高学年の小学生がこの公園の主役に入れ変わる。
この小さな小山を縦横無尽に走り回る。
滑って転げ落ちないかとハラハラしていたが、今は立派な柵が出来た。
初日の出の1月1日には毎年、2,3組の家族がいるのだが、今年は一組もいなかった。
そう言えば、彼らは殆どが里帰りした者たちだった。
コロナ禍で自粛し、規制しなかったのだろう。
7時10分には着いたが日の出には早かった。
毎年、松を入れて撮っていたが今年は外してみようと思う。 「7:18」
「7:18」
ついでに西側の空をみると、厚い雲が姿をみせていた。
少しでもズレると雨になるな、「だから予報は曇りか」と合点した。 「7:20」
「7:26」
「7:32」
「7:33」
「7:36」
西の空「7:36」
気を引き締め、心静かに一年の無病息災を祈った。
きょう一日は暖かそうだ。
「晴れるかな」と空を見上げる。
元日にふさわしい好天気だった。
一日中、好天気だった。 「10:46」
きょうの初の出を年賀状に印刷するつもりであった。
遅い朝食を終え、年賀状作成の準備に取り掛かった。
年賀状を開いて驚いた。
裏面は首里城を描いた絵入りの賀状を買って来ていたのだ。
写真を取り込む方法を検討してみた。
いろいろ考えても、うまく嵌まらなかった。
3ケ日が過ぎて諦めた。松の内に届いたかと心配せねばならぬほど遅れた。
元旦のブログアップも、記事作成上のトラブルもあったが、それも己の簡単な勘違いのミスだった。
最近、凡ミスが多くなった。
歳の所為にはしたくないが、確実に身体能力は落ちている。
年末の酒場で、「今夜が今年最後になるな」と話題が歳の話になった。
「もう60歳になる」と落ち込む男性がいた。
この日一番若い客だった。
「未だ、お若い」と50歳の頃の思い出話をした
わたしが50歳になった頃、60歳くらいだったろうか。
先輩の老人から、
「彼は今年50歳になる青年将校だ。よろしく頼む」と紹介されて驚いた。
この先輩の方たちは、沖繩を代表する財界人だったから、その時は、
「地位のある人から見たら、50代は青年将校か」と軽く受け止めた。
その後、自分が60歳になってみて、
「本当だ、50歳は若い、もっと、やれることがあったはずだ」と後悔したものだ。
そんな話をすると、経験したこともないことを耳目学で一人前に人生訓を垂れ始めた。
沖繩の老人たちは優しい。
特にこの日同席していた人たちは呆れ顔で苦笑いしていた。
あまり彼が独壇場になったので
「人にはそれぞれの人生がある。こうしろとは言わないが、俺は経験したことをいっている。
これから経験するあんたから訓示を受けるつもりはない」と云ってしまった。
つまらぬ事につまらぬ事をしたもんだと小寒い夜の家路を急ぎながら後悔した。
長く生きてると、よく似たような事が有るからねぇ~(^_^;)
人の話を横取りしてまで、詳しくもない鳥の話を延々とするご婦人に、
最近嫌気が差してます、ただのお散歩の人ですが、鳥撮り仲間の、
会話にズカズカと入って来るんですよ(ー。ー)
違う鳥撮りさんが来ると、また最初からくどくどと、
アソコでココで、カワセミを見たよの説明が始まるのです。
人に接する時の事を、今朝のブログに書きましたが、
その人に対して、優しい気持ちになれないと言うのは、
まだ修行が足りてないって事でしょうね、反省(ーー)
日の出のお写真、綺麗に撮れてますねぇd(゚-^*) ナイス♪
久しぶりのブログですが、写真が素晴らしいです。
綺麗に撮れていますよ~
今日年賀状が届きました。
写真入りではなく、首里城の画が入っていました。
ところで年の話ですが、私が若かったころは60才のおじさんはものすごく年寄りに見えましたが、今はまだまだ若く感じます。
今、私は78才です。
周りから見たらおじいさんだと思いますが、自分ではまだまだと思っている今日この頃です。
私は、雨の日以外は毎日撮影に行っていますが、最近コロナが流行って大変です。
沖縄は大変になっていますので、十分気をつけてください。
次のブログ楽しみにしております。
ようですがきれいに空が焼けましたね!
朝早くにお外へ出ただけでも一年の計は元旦にありで
すばらしいことですよ。
今年はnoratanさんにとってきっと良き一年に
なりますよ!
どうぞ健康だけは気を付けてお過ごし下さいませ。
うまく書けなかったのですが、お解りいただいて感謝です。
松山(那覇のネオン街)では気にすることもなかったのですが、
郊外に出ると客筋は全く変わりますね。
ブログに気合を入れないとコロナに隙を突かれそうです
昨年9月23日のヒョイなことでのヤンバルドライブ、早く完結せねば次に進めませんね
歳を意識するとそれなりになってしまいそうです。
「若いものに負けてたまるか」と豪語していた昔の爺達のように生きましょう
あれが正解だったと、80歳になってからの一年を振り返ってみるとそう感じます
いつまでも足長おじさんで、カメラ抱えて闊歩していてください
でもね、写真見ると太陽が出ているようにみえるでしょう
蛍さんには、見破られましたね
何もしないのに、気忙しい、落ち着かない正月でした
4日には馴染みの酒場に行って。
「明日からコロナと真っ向勝負しますから、しばらくは遠慮致します」
と仁義切ってきました
えへへ、演歌を地で行っているみたいでしょう
蛍さんも冬の運転は気をつけてくださいよ!
見せていただき、とてもsiawase気分です。
ありがとうございました。
ブログ交流で、ちょっと得した気分、いいものですね。
応援ポチ(全)。
沖繩はコロナウイルスと別株で大騒動です。
ミノムシのように潜り込んで過ごしています。
お互いに尊重し合い、認め合うブログ交流、いいものですね。
応援クリック。
最近は大きな出来事が多過ぎますね。
「年寄には堪える」という言葉を実感しています。