あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄の社会~慰霊の日には夏の太陽が照りつける~梅雨明けの沖縄の空

2012年06月24日 18時32分04秒 | Weblog

6月22日、沖縄は梅雨明けした。
しかし、この日は厚い雲に覆われ、時折、短い陽光が射す程度だった。
6月23日、糸満ハーリーが行なわれた日は晴れたり曇ったりの日であった。
それでも、雲間から照りつける陽の光は夏そのものであった。
恒例の「慰霊の日」会場の実況中継では
参列者がパンフレットなどで風邪を送る姿が見られた。
写真は今朝の沖縄の夏空である。
公園の木々がくっきりと影を落としていた。
夏本番の到来である。

夏の甲子園出場目指して県大会は順調に進んでいるようだ。


----------------------------------------------------------------------


 われわれ本土の人間の多くは太平洋戦争は遠き時代のこととしている。
 しかし、沖縄県民の心の中では、未だ太平洋戦争は終っていない、続いているのだと痛感する。
 4月28日の屈辱の日(サンフランシスコ平和条約発効の日)に始まり。5月15日本土復帰の日、6月23日慰霊の日(沖縄戦終結の日。牛島中将の自決を以って組織的戦闘が終了した日)、そして8月15日終戦の日へと、沖縄のマスメディアは「平和」、「基地」、「太平洋戦争の傷跡」、「日本軍の行動の批判」など太平洋戦争に関わる報道が連日賑わす。
 赴任した当時は
「いつまで太平洋戦争に拘っているんだ。将来を見つめた発想に転換すべきだ」
と思った。親しき沖縄の友人にもそう語った。
沖縄の地を踏んで20数、四半世紀を越えた今、全く考えは変わった。
沖縄の人々にとっては戦争は終っていないのだ。
海や空を覆う米軍の艦砲射撃の映像を、われわれは繰り返し何度も見てきた。
ガマに向けて火炎放射機が火を吹くとガマから日本兵が転げ出てくる。
白旗を棒の先に括りつけて、ひとり戦場を歩く少女の姿。
道端で震えながらきょうの眼差しで震えながらカメラをみつめる少年の姿。
これらを我々は映像で、紙上で幾度となくみてきた。
これらは現実であって、映画や小説ではない。
現実なのだ。
往年のわたしは冷徹な目でみることはなかった。
いまは違う。目を背けてしまう。
 今も尚、戦争が終っても米軍は日常的に目の前にいる、
戦闘機やヘリコプターが市の上空を飛ぶ。
軍車両が公道を走る。
本土復帰に本土並みの夢をみた。
ところが、本土復帰してみれば、社会にインフラは本土に比べて10数年も遅れている。
いつまで経っても県民所得は全国最下位。
 通貨がドルから円に換わるとき、多くの県民が多大な損失を蒙ったという。
県民生活の中は、復帰してみても一向に変わらない。
同じ国民でありながら悲しいことである。
 「沖縄県民を無視している、バカにしている」
テレビのインタビューや新聞で知名人や知識人のこうした言動が報道さる。
このことを本土もメディアがどれだけ本土に伝えているだろうか。

 きょうのように、どこまでも蒼く澄み切った空をみていると心が痛む。
6月24日の琉球新報の報道の様子だ。
しくはここをクリックすると琉球新報のページに移動する。

 6月24日琉球新報朝刊の一面。


 続いて2面、3面。


 数ヶ月前のとあるテレビ企画の最後で
「戦争を終結させるのにこんなにたくさんの民間人を米軍は殺戮しなければならなかったのか」
と云った沖縄の老人の言葉。
昨日のテレビの取材に答えて
「私たちには食べる物がなかった。一番欲しかったのは食べ物だった。それを米軍はくれた」
と云った老婦人。
いづれも重い言葉である。

 戦争とはこうしたものだと思う。
ひとがひとを殺し合うのだから、殺らなければ自分が殺られる。
それが戦争だ。
戦争しないためにどうしなければならないか。
平和に生きる我々は将来のために、いま、考えるべきだと思う。
安全保障は沖縄だけの問題ではない。

最後に海軍壕司令部で自決した大田少将の司令部に送った電文の最後部を記載する。
「沖縄県民斯く戦へり。県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを。」




沖縄 ブログランキングへお役に立ちましたらランクアップにご協力を。





最新の画像もっと見る

8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すたさんへ (noratan)
2012-06-26 10:39:23
 すごいなあ、すたさんは行動派ですね。
2 0代、30代の頃、従軍した先輩の話をよく聴かされました。
戦闘の凄しさ、怖さ、悲しさを聴きました。
敵兵に対する憎しみ、住民の惨劇。
語る人の内容は様々でした。
しかし、最後に先輩達は異口同音にこう結びました。
「戦場では気狂いになる。そうならなければ人は殺せない。戦争は絶対やっちゃいけない」

 どうすれば戦争はしなくて済むのでしょうか。
外交だけで平和は保てるのでしょうか。
沖縄にいて肌で戦争を感じて悶々としています。
返信する
みっちゃんへ (noratan)
2012-06-26 10:18:52
 きょうの天気図も北の高気圧ががんばっています。
南の高気圧がもう少しがんばってくれれば梅雨前線は北上するのに、そうなれば梅雨明けは早い。
50年前の学校で習った知識でnoraは判断しています。

 きょうも当地はとても清々しい夜明けでした。
沖縄は風邪がありますから、日陰は快適です。
それに湿気の最も少ないのが夏の季節です。
でも、太陽光線だけは殺人的です。
返信する
▼o・_・o▼コンニチワ♪ (すた)
2012-06-26 09:47:29
今はボケ状態で、腑抜けですが
7・8年位前は反戦運動に参加していました。
読谷村の前の村長さんの話なんか聞いたり
色々な講演を聞いたり、
憲法九条を守る会にも入って頑張っていたんですが、今は・・
戦争は加害国も被害国も、国民はみな悲惨です。
返信する
Unknown (みっちゃん)
2012-06-26 09:32:19
こんにちは!
 沖縄も梅雨明けをして、暑い日々が続いている事でしょうね。
 こちらは、毎日毎日雨ですw~~~。
 沖縄の空が欲しいです。

 戦争を知らない私ですが、太田少将のお気持ちを、絶対に無駄にはしてはならないと思います。
返信する
mariさんへ (noratan)
2012-06-25 17:22:17
早々にコメントいただき恐縮です。
太田少将のこの電文を見たとき、わたしも胸が熱くなりました。
 鬼畜のように云われる日本軍ですが、純粋に祖国のために散っていった若者がどれだけいたか思いを馳せることしばしばです。、
返信する
hiroさんへ (noratan)
2012-06-25 17:16:35
 早速のコメントありがとうございます。
少し重いかなと心配しましたが、noraの「沖縄日記」でもあるので投稿しました。
 何でオスプレイという名称にしたんでしょうか。
案外ミサゴは滑走しないで飛びたてるからでしょうかねえ
返信する
Unknown (mari)
2012-06-25 14:42:23
noratanの今日のUPは沖縄返還40年にふさわしい記事だと思います。
太田少将の最後の電文を読み涙あふれました。
この重い言葉をどれだけの人がわかっているのか命を落としてこの電文を残した太田少将のお気持ちを無駄にはしてはならないと思います
返信する
noratanへ (hiro)
2012-06-25 14:38:38
アップが早いね・・・

重たい話だけど、ノラらしくて良い。

戦争は絶対反対だ。沖縄の人の心の中は戦争の字は消えないよね・・・
若い人はどうか分からないけど・・・

太田中将の言葉、海軍壕を思い出します。

余談だけど、ミサゴのことを英語で「オスプレイ」と言います。
返信する

コメントを投稿