夏を迎えても一輪だに咲かなかったサフランモドキが台風12号の通過後、2輪だけ咲いて9月10日のきょうになって60~70の花が一斉に咲いた。
朝、ベランダに出て驚いた。
踊り子たちからにこやかに「おはよう」と声をかけられたように爽やかだった。
華やいだ。
9月はじめだった。
沖縄県知事戦は現役の玉城デニー氏が当選し、2期目を継ぐ事になった。
辺野古基地反対を叫ぶ「オール沖縄」の野党連合が勝利したのだ。
午前中の雑事を終え、ブログの記事に目を通しての夕刻、OCNトップページのニュースに目が止まった。
常々心に軸じたる思いを抱いている沖繩の現状である。
読み進む内に得心した。
戦時中の壮絶さ、残虐さ、悲運を語りたいのじゃない。
心あるものなら私が語るより、映画や小説や、ドラマやテレビなどから理解し、想像しておられることだろう。
言葉にならない、言葉では訴えることが難しいことなどである。
この記事にそれをみた。
共働きで月収17万円 母、再びよぎった夜の仕事 コロナで沖縄は今
沖縄県の子どもの3人に1人が貧困状態にある――。そんな調査結果を2016年に県が公表して6年がたつ。深刻な沖縄の子どもの貧困は今も解消されないどころか、新型コロナウイルスの感染拡大による影響で厳しさを増す。11日投開票の知事選では各候補が子育て支援策を打ち出すが、背景には沖縄特有の産業構造の問題もあり、解決は容易ではない。
◇子供2人、夫婦の月収は17万円程度に
夫、子ども2人と沖縄本島中部で暮らす30歳の女性は約半年前まで、暮らしの先行きへの不安で眠れない日々を過ごした。新型コロナの影響で手元にはわずかなお金しかなかった。
元々、生活は不安定だった。建設現場で働く夫の収入は日当1万円。工事が少ない時期もあり、手取りが20万円を超えた月はほとんどなかった。女性も2人の子どもを保育園に預け、パート勤務で家計を支えた。
そんな生活はコロナ禍で更に苦しくなった。現場で感染者が出るたびに夫の仕事は休みになり、保育園で感染者が出たり、子どもが体調を崩したりすると、女性も仕事を休まざるをえなくなった。収入は夫婦合わせて17万円程度に減り、生活費や家賃、光熱費などの支払いで消えた。
猛暑でも冷房はつけず、卵しか具がないラーメンを食べ、保育園で必要な子どもの体操着はリサイクルショップで買った。「お金がないから、ごめんね」。心の中で何度も謝った。
◇「夜は出たくない。でも…」
女性は母子家庭で育った。母は夜になると、姉と女性を家に残して仕事に出た。女性は中学卒業後、アルバイトや季節労働などを転々とし、キャバクラで働いたこともあった。「生活に余裕があれば勉強も楽しかったはず。高校や大学に行ければ、賃金の良い仕事に就けたかもしれない」。そう思う。
前の夫と離婚して実家に戻り、夜の仕事の支度をしていると、当時1歳半だった娘がしがみついてきた。自身が子どもの頃に感じた寂しさを思い出した。その後、夜の仕事はやめたが、コロナ禍で生活が困窮した時は再び歓楽街で働くことも考えた。「子どものために夜は出たくない。でも、生活が立ち行かなくなったら……」。不安に襲われた。
◇子どもの3人に1人が貧困状態
沖縄は1972年の日本復帰まで27年間、米国に統治され、多くの土地が米軍基地として奪われた。そのため製造業が育たず、サービス業を中心に非正規雇用が多い産業構造となっている。最低賃金も、1人当たりの県民所得も全国ワーストで、経済力が乏しい家庭が多い。
県が16年に公表した15年度の調査では、平均的な所得の半分に満たない家庭で暮らす18歳未満の子どもの割合(相対的貧困率)は29・9%。全国平均の約2倍で、3人に1人が貧困状態にあった。国や県はそれ以降、生活が厳しい家庭の子どもたちが放課後などに集まり、地域の人々と一緒に食事や勉強などをできる「子どもの居場所」の整備や運営支援、基金による就学援助の拡充などに取り組んできた。
相対的貧困率は18年度の調査で25%とやや持ち直したが、コロナ禍の21年度の調査では28・9%と悪化した。貧困世帯の6割が新型コロナ禍で収入が減ったとしている。
◇「沖縄で普通に暮らしたいだけなのに…」
知事選では、立候補した3人がそれぞれ、子どもの貧困対策として、教育費や保育費、子どもの医療費の無料化、支援の拡充などを公約に掲げる。
子ども食堂などに食材を届ける「おとなワンサード」の富田杏理代表は週3回、宜野湾市の公民館で子どもたちに夕食やおやつを振る舞い、子どもの居場所づくりに取り組む。集まってくる子どもの中には、育児放棄のような状態で育った子や家事や家族の面倒をみる「ヤングケアラー」とも思える子もいる。
富田さんは「親や社会全体が困窮し、その影響が子どもに及んでいる」と指摘し、親の世代も含めた貧困対策や、民間による支援を継続できるための行政の体制拡充を求める。
長引くコロナ禍。冒頭で紹介した女性は「生活が苦しくなると、『私のせいで』と自己嫌悪に陥ってしまう」と吐露する。この半年、親族からの借金で家計をやりくりしてきた。夫の仕事も一時に比べれば安定して入るようになったが、日々の生活で精いっぱいで知事選にまで目は向かない。「消費税も物価も上がるが、賃金は低いまま。一人親世帯への支援は拡充されているけれども、共働き世帯も厳しい。住み慣れた沖縄で普通に暮らしたいだけなのに……」【宮城裕也】
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朝、ベランダに出て驚いた。
踊り子たちからにこやかに「おはよう」と声をかけられたように爽やかだった。
華やいだ。
9月はじめだった。
沖縄県知事戦は現役の玉城デニー氏が当選し、2期目を継ぐ事になった。
辺野古基地反対を叫ぶ「オール沖縄」の野党連合が勝利したのだ。
午前中の雑事を終え、ブログの記事に目を通しての夕刻、OCNトップページのニュースに目が止まった。
常々心に軸じたる思いを抱いている沖繩の現状である。
読み進む内に得心した。
戦時中の壮絶さ、残虐さ、悲運を語りたいのじゃない。
心あるものなら私が語るより、映画や小説や、ドラマやテレビなどから理解し、想像しておられることだろう。
言葉にならない、言葉では訴えることが難しいことなどである。
この記事にそれをみた。
共働きで月収17万円 母、再びよぎった夜の仕事 コロナで沖縄は今
2022/09/03 毎日新聞
沖縄県の子どもの3人に1人が貧困状態にある――。そんな調査結果を2016年に県が公表して6年がたつ。深刻な沖縄の子どもの貧困は今も解消されないどころか、新型コロナウイルスの感染拡大による影響で厳しさを増す。11日投開票の知事選では各候補が子育て支援策を打ち出すが、背景には沖縄特有の産業構造の問題もあり、解決は容易ではない。
◇子供2人、夫婦の月収は17万円程度に
夫、子ども2人と沖縄本島中部で暮らす30歳の女性は約半年前まで、暮らしの先行きへの不安で眠れない日々を過ごした。新型コロナの影響で手元にはわずかなお金しかなかった。
元々、生活は不安定だった。建設現場で働く夫の収入は日当1万円。工事が少ない時期もあり、手取りが20万円を超えた月はほとんどなかった。女性も2人の子どもを保育園に預け、パート勤務で家計を支えた。
そんな生活はコロナ禍で更に苦しくなった。現場で感染者が出るたびに夫の仕事は休みになり、保育園で感染者が出たり、子どもが体調を崩したりすると、女性も仕事を休まざるをえなくなった。収入は夫婦合わせて17万円程度に減り、生活費や家賃、光熱費などの支払いで消えた。
猛暑でも冷房はつけず、卵しか具がないラーメンを食べ、保育園で必要な子どもの体操着はリサイクルショップで買った。「お金がないから、ごめんね」。心の中で何度も謝った。
◇「夜は出たくない。でも…」
女性は母子家庭で育った。母は夜になると、姉と女性を家に残して仕事に出た。女性は中学卒業後、アルバイトや季節労働などを転々とし、キャバクラで働いたこともあった。「生活に余裕があれば勉強も楽しかったはず。高校や大学に行ければ、賃金の良い仕事に就けたかもしれない」。そう思う。
前の夫と離婚して実家に戻り、夜の仕事の支度をしていると、当時1歳半だった娘がしがみついてきた。自身が子どもの頃に感じた寂しさを思い出した。その後、夜の仕事はやめたが、コロナ禍で生活が困窮した時は再び歓楽街で働くことも考えた。「子どものために夜は出たくない。でも、生活が立ち行かなくなったら……」。不安に襲われた。
◇子どもの3人に1人が貧困状態
沖縄は1972年の日本復帰まで27年間、米国に統治され、多くの土地が米軍基地として奪われた。そのため製造業が育たず、サービス業を中心に非正規雇用が多い産業構造となっている。最低賃金も、1人当たりの県民所得も全国ワーストで、経済力が乏しい家庭が多い。
県が16年に公表した15年度の調査では、平均的な所得の半分に満たない家庭で暮らす18歳未満の子どもの割合(相対的貧困率)は29・9%。全国平均の約2倍で、3人に1人が貧困状態にあった。国や県はそれ以降、生活が厳しい家庭の子どもたちが放課後などに集まり、地域の人々と一緒に食事や勉強などをできる「子どもの居場所」の整備や運営支援、基金による就学援助の拡充などに取り組んできた。
相対的貧困率は18年度の調査で25%とやや持ち直したが、コロナ禍の21年度の調査では28・9%と悪化した。貧困世帯の6割が新型コロナ禍で収入が減ったとしている。
◇「沖縄で普通に暮らしたいだけなのに…」
知事選では、立候補した3人がそれぞれ、子どもの貧困対策として、教育費や保育費、子どもの医療費の無料化、支援の拡充などを公約に掲げる。
子ども食堂などに食材を届ける「おとなワンサード」の富田杏理代表は週3回、宜野湾市の公民館で子どもたちに夕食やおやつを振る舞い、子どもの居場所づくりに取り組む。集まってくる子どもの中には、育児放棄のような状態で育った子や家事や家族の面倒をみる「ヤングケアラー」とも思える子もいる。
富田さんは「親や社会全体が困窮し、その影響が子どもに及んでいる」と指摘し、親の世代も含めた貧困対策や、民間による支援を継続できるための行政の体制拡充を求める。
長引くコロナ禍。冒頭で紹介した女性は「生活が苦しくなると、『私のせいで』と自己嫌悪に陥ってしまう」と吐露する。この半年、親族からの借金で家計をやりくりしてきた。夫の仕事も一時に比べれば安定して入るようになったが、日々の生活で精いっぱいで知事選にまで目は向かない。「消費税も物価も上がるが、賃金は低いまま。一人親世帯への支援は拡充されているけれども、共働き世帯も厳しい。住み慣れた沖縄で普通に暮らしたいだけなのに……」【宮城裕也】
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ここはね、丁度、広い丘に囲まれた様になっていて、
風も雨も全くと言っていいほど影響はないのです。
でも他は大変だったようです。
福岡辺りまで行くと勢力は弱まるでしょう。
でも雨だけは要注意かも。
水辺や崖や山には近づかないことですね。
ところで元気にしていますか。
仲良くやっていますか。
僕の方も色々あってね。
少しブログのネタにして、ブログを再開しようかと思っています。
青色吐息、未だ生きていますよ
ご無沙汰しています。台風🌀は大丈夫ですか? 九州縦断しそうで怖いですね。
灼熱地獄の始まりです
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そろそろ元気出さねばと思っています。
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一層注意しましょうね。
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歳の所為かブログの投稿が億劫になってきました。
充電中のつもりですが、日毎ひどくなってるようです。
覇気を取り戻したいと願うこの頃です。
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きょう、そのような事が起こりました。
プラスに考えることにしました。
そろそろ春ですね。
明るく考えることにしたところです。
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地方の事情は大差ないように見えるかも知れません、
わたしも沖縄生活が30数年になりました。
沖縄は大戦で壊滅的な被害を受け、
それから20数年米軍の施政下にあったわけですから、
本土並みの戦後復興はおろか、インフラさへも十分ではありませんでした。
なりふり構わず、皆さんはこれまで生きて来られたと思います。
殊に、女性の方の頑張りようは驚嘆に値します。
本土での身につけた常識や言葉だけではなく、よく耳を傾け、焦らず、寄り添って行くことが必要かもしれませんね。
きょうは訪問いただきありがとうございました。
舌足らずですが、ご奮闘をお祈りしています。
簡単なようでとっても難しいことだと、この歳になると大きな課題です。
美濃地方を発信してください。
たのしみにしています。
今は沖縄に住んでます
私の故郷は、普通に暮らしたいと思っても仕事はまともにありませんから、何か資格を持ってるか公務員にでもならないと仕事はありません
それ以外で、地元で働こうとしたら、とても安い給料ですが、それがどこでも田舎では当たり前です
「故郷で普通に暮らしたいだけなのに・・・」とは言いません
よほど、能力や才能が無ければ、普通には暮らせないのですから、皆、故郷を離れます
そういう点で、沖縄を特別視してはいけません
沖縄で暮らしたいなら、努力するか、才能があるか、資格があるかなのではないでしょうか
ただ、のんびり暮らしてきて、沖縄で普通に生活するのは厳しいのは、内地の田舎と同じことのように私は思います
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このままじゃ駄目だと、反省しきりです。
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良いお天気のお正月でしたね!
三が日も今日で終わりです。
明日からは事始めですね。
noratanさんは何処かねへお詣りに
行きましたか!
蛍はブログにかいたとおりの神社ですよ。
今年こそ、noratanさんのブログ更新を
心待ちしていますよ!
どうぞよろしくお願いいたします。
静かで戦争などのない平和な世の中に戻って欲しいもので
す。
今年は体調を崩してしまった新春でした。
心機一転、がんばりましょう
今年も楽しい鳥や自然の風景を楽しみにしています。
応援クリックありがとうございました。
人生、まず、心身ともに健康が一番ですね。
今年も、ブログでのコメント交流をよろしくお願いいたします。
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コロナが再び猛威を振るい始めましたね。
何としつこい奴なんでしょう。
負けぬように、防戦に努めましょう。
お互いの自由投稿を認め合う、ブログ交流、いいものですね。
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総合的に判断することは、冷静でなくちゃなりませんし、人間は直感と感情に左右されてしまうものですね。
応援ポチ、ありがとうございます。
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又々、夏日に戻りそうです。
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いろいろ情報交換できる、ブログでのコメント交流、いいものですね。
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そろそろ当地も夏日と別れる季節が来たようです。
インフルエンザにもお気をつけください。
お互いの自由投稿を認め合う、ブログ交流、いいものですね。
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コロナは相変わらずですが、未だまだ油断は出来ないようですね。
きょうも応援ありがとうございます。
詳しい説明で、内容が伝わってきました。
ご紹介、ありがとうございました。
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応援ポチ(全)。
裏年だという人もいます
白い粉のようなものが一面に拡がったので、消毒しましたが一向に減りません。
9月の終わり、今年は駄目だと諦め、葉を全部ハサミで切り取ってしまいました。
そうしたら、3週間位経ったでしょうか、ある日数本花茎が伸び、何輪か咲きました
そして2日後くらいに写真のようなプランターボックスを覆い尽くすように咲いたのです
花も終り、花茎は丁寧に抜いてしまいました。
今朝、花茎が数本立っていました
どういうことやらさっぱりわかりません
台風と関係あるのかな???
沖繩の社会は、本土の我々には理解できません
基地がある限り、戦争は終わってないのかもしれません。
沖繩のことをよく理解していた今は亡きY新聞の沖繩支局長は、
「30年住んでいるが、沖繩のことが未だわからなくなる」と言っていたことを思い出します
この言葉を聞いて、30年が過ぎました
このように💐花束のように咲くと
すばらしいですね!
こちらは今年は一輪も咲きませんです。
もう秋だというのに葉だけなんですよ!
でも、葉がきれいなのでげんきなんだろうと
思っています。
肥料がたりないのかな?
沖縄の現状が未だにこのようなのでしょうか!
戦争の痛手を未だにあるのですね!
むずかしいことはわかりませんが
とても悲しいですね。
言葉で一言ではあらわせませんね。
つまらないコメントでごめんなさい。
申し訳ありません、このこともベルさんにコメントしたかったのです。
お読みいただければ幸いです。
主婦は実によく働きます。
一日に3つ、4つアルバイトをこなす人がたくさんいます。
日当が安いので、話を聞くと胸が痛くなります。
10年ほど前、鳩山首相が
「最低でも県外」と大見得を切りました。
「さすが民主党!」と快きかなと思った、その舌の乾かぬ間もなく「撤廃!」
あの時の県民の落胆、怒りはさることながら、私も「バカにするな!」と憤り心頭に達したものです。
こんな沖繩の戦争の縮図をみると平和の大事さを身に沁みて思います。
あるテレビ番組で
「戦争になったらあなたはどうします?」とインタビューする場面がありました。とある若者が、
「国民を戦争から守れないような国にはいません。外国に行きます」昂然と言ってのけました。
もう20年近く前の話です。
唖然として、言葉も出ませんでした。
この時から、お経のように
「平和、平和」と唱えているだけでは駄目だと思いました。
原因はnoraの知識不足にあるようです
もたもたやって時間ばかり食っているようです。
沖繩の来年度予算は気になります。
岸田首相の真意が来年の予算の時に見えてくるでしょう。
「予算の使い残しがある」
昔から言われていました。
見方を変えれば、
「使わずに済んだ、他に使いたいがそうも行くまい」
うまく胡麻化して運用しないところを買うべきだと思うのですが。
昭和45年6月23日。
海軍壕の大田実海軍中将は自決を決め、
「県民かく戦えり」と中央司令部に打電。「後世、これに応えて欲しい」と結んでいる。
このことを心に留めて欲しいものだ。
辺野古への反対運動が激しい頃、時の総理大臣橋本首相は何度も沖縄に来て説得に当たった。
そんな折、沖繩での飲み会で辺野古基地のことが話題になり、賛否両論激しくぶつかりあった。
一人の男が、突然、立ち上がった。
「総理大臣はじめ、防衛大臣など、どれだけ沖繩に来ているか。総理大臣がいち県に何度も来るなんてことが考えられるか。どうしようも出来ないんだ。どうしてそれが理解できないんだ」沖繩出身の彼は悲しそうに、静かに結んだ
会場は静まり返り、「それもそうだ」という雰囲気に変わった。
沖繩の人にとって、寄り添うとはそういうことだろう。
そして◯◯ちゃんの食事は、給食だけが頼りと言う、
何とも切ない写真つきの、啓発CMなど(ー。ー)
沖縄の、お年寄りの年金事情はどうなってるのかしら(・・?
雇用が不安定だと、厚生年金など、満額貰えない方も居るのでは?
まだまだ色々問題を抱える沖縄ですね。
マリンスポーツを楽しむ若者が、沖縄に憧れ渡るけど、
その中の、何%が沖縄の現状を知ってるのか、
軟弱な若者の多い日本、戦争になったら戦う者が居ない日本、
先を考えると、長くは生きて居たくないとさえ思うように・・・
そんな荒んだ考えも、サフランモドキの明るさに、
「イヤイヤ、そんな悪い世の中でもないよ」
と言われたような(笑)
久しぶりのアップですね( ^ω^)・・・
サフランモドキの花綺麗です。
県知事は玉城デニー氏が当選しましたが、政府の補助金がどうなるか心配でしようね・・
毎日新聞の記事読ませていただきました。
子供たちの貧困大変なのが分かります。
何も出来ませんが少しでも良くなることを願っています。
まだまだ暑い日が続きますのでご自愛願います。