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沖縄の歴史~7月30日は「ナナサンマル」(7月30日)~復帰後右側通行から左側通行へ

2012年07月30日 12時44分27秒 | Weblog

那覇市与儀公園交差点付近を陸橋から撮影。
右、並木に沿って那覇警察署。
左は与儀公園。11月になるとトックリキワタが咲いて美しい。



 1978年7月30日、車は右側通行だった沖縄は本土と同じように左側通行となる。
1972年5月15日本土復帰後、6年を経て通行も、漸く本土並みとなった。
この日まで米軍統治下にあった交通法規も、日本の法規に統一された。
その準備のため莫大な費用と時間を要した。
沖縄県警にはそのための対策室が設けられ、2年間に及ぶ準備が行なわれた。
「右側通行から左側通行へ」とキャンペーンが繰り広げられた。
「ナナサンマル」とはキャンペーンの名称であり、今でも沖縄の人々の間では日常的にこの言葉が使われる。

 先日の「NHK特集」からメモってみた。
当時の沖縄県内の道路の総延長距離は4,856km、車両は30万台だった。
前日29日午後22時。バス、タクシー、緊急車両を除く全車両は交通止めとなった。
翌日朝、5時50分から左への誘導を開始、6時から一斉に左側通行に移行した。
左側通行用の信号機、道路標識などはカバーを被せ隠していた。
右折・左折の矢印などの道路標示もカバーして隠していた。
前夜22時から翌朝6時の8時間の間に、これら全県下のカバーを外し、右側通行の標識にカバーし直した。
全国から応援の警察官を派遣し対応したが、それでも、ミスや事故が多発したというのも頷ける。

 左ハンドルから右ハンドルへの変更も大変なものであった。
タクシー4,500台、バス1,000台余り。
右側から乗降していたこれらの車は全て左側乗降となる。
右側ハンドルの車は新たに本土から運び込まれたし、一部は改造した。
改造されなかった車は右側通行の中国に売却されたと巷でも時に話題にのぼる。
1975年に海洋博があり、そのときに購入したタクシーやバスの新車も多かったという。

 余談であるが店舗への影響も大きかった。
時の大臣がNHKのインタビューに答えて、
「状況をみて考えなければならないだろう」
とコメントしていたが、どのような手を打ったのかはしらない。
米軍基地内もこの条例に準じて変更したという。

 通貨も変わった。
本土復帰とひと口に言うけれど沖縄の人々にとっては想像を絶するものだったと推測される。
「祖国復帰したら、本土並みになる」
そう期待し復帰運動に夢と未来を託した人々の、
「期待を裏切られた」
というたくさんの声を聞いた。
特に、高齢者の域に入った人々に多い。
1986年、沖縄に赴任したときは「ナナサンマル」から8年しか経っていなかったのだ。
右側に駐車している、ウインカーの上げ方もいい加減。
運転マナーは最悪だと思い込んできた。
それらを思い起こすとき、ヤマトンチューのひとりとして胸が痛む。

「ナナサンマル」の詳細はここをクリック。

「ナナサンマル」の当時の動画はここをクリック。(3分)

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5 コメント

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Unknown (mari)
2012-07-31 10:58:26
今日のnoratanの記事を読んで、今までは漠然と沖縄復帰は喜ばしいことだと思っていましたが、
ここまでの道のりは大変だったのですね!
右側通行が左になるということも交通ルールや車のハンドルなど又、ガソリンスタンドの駐車位置など本当にむずかしい問題があったのですね!
沖縄の人達のご苦労を思うと胸が痛みます。
この記事を書いて下さったnoratanに勉強させられました。
沖縄に幸あれ!
いつもnoratan、心配して下さってありがとうございます。
昨日のhiroのコメントを読んで下さいませ。
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mariさんへ (noratam)
2012-07-31 15:12:56
 何事もなくて何よりです。
少し前に、hiroのコメント欄で拝読しました。
 わたしも最近になって沖縄の大変さを実感できるようになりました。
「沖縄だけが大変だったのじゃない。長崎や広島、東京の大空襲。地方都市もほとんどやられたんだ」
と沖縄で親しくなった友人に云ったものです。
そんなことじゃなかったんだ。おれはなんと的外れな失礼なことを言ってしまったのかと後悔しています。
 
 台風が近づいていますが、本島は影響ないようです。
10号は御地に向かうかもしれませんね。
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noratanへ (hiro)
2012-07-31 17:35:06
「ナナサンマル」の事は良く覚えている。

早く起きて、鉄橋の上から見学していた。
実際、自分もカローラの左ハンドルを運転していた。
いきなり右から左りになったので面食らったのを覚えている。  右側通行の道路のままで左りになったので、良くバスが接触したり、事故を起こしていた。
まだまだ書くことがあるが、この辺でやめておきます。

「ナナサンマル」の事を書いてくれたノラに感謝!
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忠告ありがとう (noratam)
2012-08-01 11:03:51
 昨日の忠告や意見はとても嬉しかった。
ブログへの投稿は容易だが、
「あれ?本当のところどうかな?」
と思うことがたくさんあります。
確認する労力と時間がかかります。
「おかしいぞ。変だ」と感じたらコメントください。助かります。

 苦い経験があります。
つい先日、「イジュ」の花を話題にしました。
漢字で「伊集」と書くので「イジュウ」と思い込んでいました。
それでもネット上で調べると、殆どが「イジュ」でした。
それでも「イジュウ」と信じ込んでいました。
そんな例がたくさんあったからです。「ゴーヤ」を「ゴーヤー」というように。
mariさんから「イジュではないの」
とコメントをいただきました。
気になったので、沖縄の人に会って訊きました。
「イジュ」が正しかった。

 長くなりますがもうひとつ。
2,3年前のこと。
梅雨明けの話題で、
「沖縄の梅雨明けは糸満ハーリー」のころ
と説明しました。
糸満ハーリーは旧暦5月3日に行なわれますから、カレンダーで旧暦5月3日の新暦を調べると6月下旬でした。
「糸満ハーリーの鉦が鳴る6月〇〇日前後には梅雨が明けます」と書きました。
もちろん、カレンダーを確認しましたが、毎年記載されているのに6月のどこにもありません。今年はないのかな?なんて思っていました。
2,3日後、なぜかとても気になるので糸満市役所に電話しました。市職員曰く、
「今年の糸満ハーリーは5月に終りました」
という。
「えっ!旧暦の5月3日でしょう」
「はい、そうです。今年5月が閏月です。最初の5月3日にやります」
あわててブログを訂正しました。
旧暦は知っていますが、年により閏月が違うとは「想定の範囲外」でした。

一度、このような記事をアップしないといけませんね。

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noratanへ (hiro)
2012-08-01 20:47:01
ノラのコメントはいつもすばらしいですね。

「ナナサンマル」の件は私の勘違いでした。

自分も鳥やトンボ、蝶々の名前が違っている時ブログを見てくれている人がアドバイスをくれるので助かっています。

その時は、すぐ修正します。

これからも勉強しながらブログを続けたいと思っています。
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