大森インプラントクリニック松元教貢歯科医院腫れ痛みなく早く、骨不足でも骨ができて直ぐに歯が入る幸せのブログ

松元教貢歯科医院は骨が不足で骨造りしても腫れ痛みのとても少なく早く治せる方法をしてる即時荷重インプラントパイオニアです。

開業20周年、即時荷重17周年、低侵襲外科14周年、歯科医療連載11周年 頑張って続けてます。

2018年01月15日 | 日々のインプラント臨床の話

当院も開業して丸20周年になりました。

 

早いものです。

 

正式には、12月の終わりごろに開業なので、昨年末で20周年でした。

 

1998年開業したばかりなのにKIRG九州インプラント研修会100時間コースに1年通い、開業したばかりで大変だろうに偉いね、と恩師添島義和先生にお褒めをいただいたことを思い出します。

 

その後、1999年博多の船越先生の歯周病研修会にもずっと通い、その時に絡めて添島先生のいインプラントオペ見学を、やはり1年通って勉強しました。

 

そこで得たご縁で2000年のボストンPRDに参加し、海外の学会に見せられ、2000年の秋のAOホノルルに参加して即時荷重の恩師ラム先生と出会ったのです。


単細胞で、信じ込んでのめり込み易い私は、その時から即時荷重インプラント治療に邁進するようになって行きました。


ラム先生のことを想像しながら、こう言う患者さんはどう治すんだろう?と自問自答しながら、即時荷重インプラントを3年間頑張って、遂にラム先生の地元であるサンフランシスコでAAPがあると聴き、図々しくも勉強させて欲しい、とお願いをして叶えられたのが2003年の秋でした。


思い続けた憧れの先生の見学を許可されて、即答で行きます!と答えたあの時の私は本当に偉かった、と自分でも自分を褒めてやりたいです。


そうして初めて見たラム先生のインプラント手術。


衝撃的でした。


これで良いんだ!と、本当に驚きました。


全く切らない、歯茎を切り開かない、傷痕は何もない、信じられないほどの低侵襲。


それでちゃんと即時荷重で綺麗に歯が最初っからある!


こんなインプラント治療、まだ誰も見たことない筈、世界でも殆どされてない筈、と身が振えました。


この時から、私の永遠の課題が低侵襲手術、傷付けないで治す、痛がらせない腫れ上がらせない楽に治す、に大きく方向転換したんです。


その手応えを得て、歯科医療の連載をさせていただくことになって、どこにも何も情報のないインプラント治療のことを書きつづって遂に11年が経ちました。


その間2004年、2007年と因縁のPRDでポスタープレゼンに2回連続合格、と言うことも成し遂げられました。


本当に良くやって来たな、と自分でも思います。


前人未到の地を切り開き、実績を客観的に残し続けて来られたのは、本当に幸運だった、と思います。


今漸く業界全体の方向性として即時荷重、低侵襲が根付き始めています。


開業したばかりの頃、勤務医に時代の10年先を行く、と宣言して自分の仕事に邁進して来ました。


有言実行、本当にそう言うことができたんですから、私はとても幸せ者です。


パイオニアとしての苦労は、他の誰にも分かってもらえないでしょうが、世界の学会、国内の学会、国内外のセミナーどこに行っても自分がしてるようなことは全く見れない、と言う孤立無援の人でした。


でも、たった一人だったからこそ、自分で何とかするしかない、と言う解決能力、創造能力が養われたのです。


振り返って、自分のして来たことに自信の源が見えます。


余人の及ばぬところで頑張り続けて来た。


誰にも真似のできないことを積み重ねて来た。


しかも、それがチャンと世界レベルでの客観的証拠として2004,2007年で残せている。


本当に嬉しいです。


10年以上も前、なんですから、本当に。


ちゃんと調べててくれれば、嘘吐いてないことが分かります。


2014,2017ではなく、2004,2007です。


この業績は、生涯誇れるもの、と言って良いでしょう。


生意気ですが、世界の学会に出てもこの10年ほど、驚くようなモノに出会える、と言うようなことは余りありませんでした。


自分の方が新しい、斬新なことをしてる、と思っていました。


記憶に残るライバルは、ギャンボレーナとロザくらいでした。


即時荷重のガネルズは途中で脱落、方向転換して行って消えてしまいました。


同じ時代を同じ時間で競う、と言うDRが世界見渡しても殆どいません。


殆どの方が、私より周回遅れで3~4年遅れ、最近では10何年遅れ、と言う状況です。


30代の終わり40前にして即時荷重インプラントを本格的に実践し始め、現在57歳になりますから、私が始めたのが若かったし早過ぎた、とも言えるでしょう。


ですから、今思えば、信じてもらえる訳ないよな、と自分でも思って笑ってしまいます。


自分だって、あの当時私が今の年齢で40なり立てくらいの若造DRが即時荷重インプラント次々と成功させ、プロトコール確立して世界に発表してる、と言われたら眉唾だ、と思うでしょうから・・・


でも、本当にそれ位のことしてしまったんです、私・・・


してしまった人にしか分からないモノ、が愕然とそこにはありますね。


良くやった、やっちまった、と呆れる、の感じがしないまでもありません。


先陣を切る、と言うことはどう言うことなのか、どう言う経験をするのか。


自分でも分かりますが、当時は心、心理的な面、メンタルな境地でのトレーニングが足りなかったです。


必死でやるしかなかった、と言う心境でした。


そろそろ60を迎える年齢になって来ましたので、今の境地は昔とは全然違い、心の中に余裕を持って仕事に当たれる、と言うおももちがしています。


まだ早い、と言うお叱りを受けそうですが・・・


でも、話が少しずれますが、総義歯の世界でも免許皆伝いただいたのは29歳になる前、30にもなっていませんでしたから、境地に達する、と言うのはそう言うモノなのかも知れない、と感じています。


まさか自分が、こう言う仕事するようになるとは、と今でも時々思っています。


ごく普通に開業医として生きて行くんだろうな、と卒業したばかりの26の私は思っていました。


人の人生って分からんもんですね・・・


自分が思った以上の仕事、使命を与えられて生きて行かなければならない。


そう言う人っているんだ、と思います。


自分も、その端くれに引っ掛かった、とも。


与えられた以上は、それを果たさなければ、と思っています。


微力でしかないと思いますが、業界に足跡を記し、10年以上先駆けてしまった、そんな能力もない人間の悪あがきをこれからもご笑覧いただければ幸いです。









 

 


1月14日(日)のつぶやき

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