のり屋のバーサン日記

落語に親しみ、犬猫と和む…
何でもないけど、めでたい毎日

マイ『宿屋の仇討』ブーム

2010-06-24 01:11:29 | 落語の資料
子供の頃から、
夜、寝る前には必ず、
本か雑誌か…何らかの「字」を読んでいた。
読まないと眠れなかったから。

けど、6~7年前からかなぁ。
目が疲れるようになり、
読書の代わりに、
落語のCDを聴くのが習慣になった。
(目は仕事のために使いたいので)

最初にハマったのが、
故・古今亭志ん朝師匠のシリーズ。

その後、
柳家小三治師匠のシリーズにシフト。
現在に至っている。

毎晩、日替わりで別の噺を聴くより、
ひとつの噺を何ヶ月も聴きつづけることが多い。

噺のアチコチに、さりげなく口を開けている、
落とし穴のような、底なし沼のような、可笑しみ。
その深みに足を取られたら、
しつこく聴かずにいられないのだ。

何度聴いても、
毎度、同じ箇所で笑う。
そんな自分に呆れて、また笑う。
(我ながら、おめでたい人間です

ここ2~3ヶ月は、
ず~っと『宿屋の仇討』

登場人物は5人。

宿屋の雇われ人、
宿まり客である侍、魚河岸の3人組。

小三治師匠の演じ分けが見事で、
5人が出演する芝居を見ているよう。

場面転換も鮮やか。
(耳で聴いてるだけなのに!)

よく、落語会で小三治師匠が言う。

「落語とは、
 噺家の話術とお客さまの想像力で
 成立する芸なんです。
 お客さまの協力にかかっているんですからね!(笑)」

でも、話す側の芸が未熟だったら、
聴くほうもイメージ湧かないよね。

そんな意味で、
聴き手の脳内に劇場を展開させてくれる噺家が、
いい噺家なんじゃないかなぁ。


威張ってばかりの怖い侍が、
聴けば聴くほど、
トボケた個性の持ち主であることがわかってくる。

魚河岸3人組のドンチャン騒ぎとホラ話が、
シリアスな仇討劇に発展するかと思いきや、
やっぱり最後は…

ああ、落語っていいなぁ
って思わせてくれる『宿屋の仇討』。


ひと月ほど前だったか、
たまたまラジオで聴いた、
別の噺家の『宿屋…』は、
言っちゃナンだけど面白くなかった…

去年、生で聴いた春風亭昇太師匠の『宿屋…』は、
えらく騒々しかったけど、
小三治師匠版とは、また別種の抱腹モノでした

「落語は“噺”を聴くのではない。
 “人”を聴くものだ」

とは、誰が言ったか知らないけど、
よく耳にするフレーズ。
名言ですね。ホントにそう思う。

落語は人間力

(って、落語じゃなくても、どんな世界でも、
 とどのつまりは人間力ですかね


この時期、新宿末広亭・下席・夜の部は、
毎年恒例、主任・小三治師匠。
(この期間に落語協会会長に正式就任されるとか)

過去2年連続で行きましたが、
今年は都合が悪くて行けそうにない

今夜も『宿屋の仇討』のCDを聴きながら、
寝ることにします

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