私のこだわり人物伝
グレン・グールド 鍵盤のエクスタシー
グールド研究家の宮澤先生とともに、グレン・グールドの50年の生涯を名演奏を分析しながら追っていく全4回シリーズ。
放送されたのは先月のことですが、忙しくて見られなかったのをようやく見ることができました。非常に面白く、ためになりました。
グールドと言えば、私は去年の春に、ふとした偶然で、この人の演奏による『ゴールドベルク変奏曲』を聴いたのでした。
番組の初回で宮澤先生は、「グールド体験と呼ばれるべき、それは何と説明してよいのか、体験した人にのみ理解される感動がある」というようなことをおっしゃっていますが、私があの春に体験したのはなるほど「グールド体験」だったのかもしれません。なぜ、あれほどまでに私は感激させられたのか、その理由が番組を通して少し理解できたように思います。
初めて1981年盤の「ゴールドベルク」を聴いた時、私はこんな感想を書いています。
“不滅のものというのは確かに存在する
のではないかと、ますます思えてきた。”
私は無知で無学ではありますが、感性のあり方はどうもそう悪くないはずだと信じています。この曲を通して、私はグールドが言いたかったことや目指したものが何であったかを感じ取っています。そこに感じたものはそう的外れではなかったなと、番組での解説を聞いてわずかばかり自信をつけることができました。
もちろん、私がどうであるかよりも重要なことには、多くの人々を一瞬で惹き付ける強烈な力を、この演奏自体が備えているということです。それこそがグールドをして偉大な演奏家たらしめているのでしょう。
なぜ心が震えるのか、なぜ涙が溢れるのか。もうあれから何度も聴いているから大丈夫だと思ったのに、ふたたびとめどない雫を垂らしては、私はグールドという人の誠実さを情熱を仰ぎ見るのでした。
以下、番組に取り上げられていたグールドの言葉をいくつか引用しておきます。
“録音技術が技術者や芸術家たちに支配され、重要なことは前の時代に言われてしまっているから、現代という時代に生きる演奏者に残されているのは、この手段しかないのでね。
僕らに残されているのは、これまでと違いながらきちんと成立し得ることをするための新しい存在理由を見つけることだ。”
“年をとってから僕の初期の演奏の多くはテンポが速すぎて心の慰めにはならないのだと分かってきた。”
“本質的には、芸術の目的は、癒しなおすことです。音楽は心を安らかにする経験なのだと思いたいのです。”
そう。あのとき、私は確かに癒されていた。あのとき、弱り切っていた私の感受性に、この演奏はすみやかに、直接的に語りかけてきたものです。不滅のものというのは確かに存在するのではないかと、やっぱりますます思えてきたぞ。
グレン・グールド BACH: The Goldbelg Variations
(↑↑ ここで聴くことができます)