関東では昨夜から今朝にかけて雪が降りました。雪国育ちの私からすると、雪が降ったり積もったりすることは珍しくもありませんが、暗くて寒い外へ向ってベランダの窓を開け、「ゆきー! ゆきー!」と叫んでいる子供の声が、別の部屋に住んでいる私の耳にも聞こえてくると、ずっと幼かった頃に私もたしかに雪を喜んだことを思い出して、しみじみしました。雪にまつわる記憶はたくさんあります。そのほとんどが、どういうわけか子供時代のものであるのは不思議です。成長するにつれて雪に対して重苦しいイメージを抱くようになってしまった私ですが、故郷を離れて十数年という今、雪がしんしんと降る夜の静けさまで忘れていたことに気がつくのでした。雪が積もった夜の、ぼんやりとした薄明るさを、私はかつて愛したこともあったというのに。
雪と言えば、安部公房の短篇に雪が美しいお話があったような気がして探してみると、「詩人の生涯」でした。そうだった。ここで降る雪は、貧しい人たちの夢や、魂や、願望が結晶化したものなのだった。悲しくて美しい世界。
“ 答えられなくても、感じることはできるだろう。見たまえ、この見事なまでに大きく、複雑で、また美しい結晶は、貧しいものの忘れていた言葉ではないのか。夢の……、魂の……、願望の。六角の、八角の、十二角の、花よりも美しい花、物質の構造、貧しい魂の分子の配列。
貧しいものの言葉は、大きく、複雑で、美しく、しかも無機的に簡潔であり、幾何学のように合理的だ。貧しいものの魂だけが、結晶しうるのは当然なことだ。
赤いジャケツの青年は、雪の言葉を、目で聞いた。
彼は小脇のビラを裏返して、そこに雪の言葉を書いていこうと決心した。 ”
やべえ! 泣くところだった…!! この短篇はほんとうに胸に沁みます。
白いというだけでなく。冷たいというだけでなく。雪があんなにも美しいものであることには、理由がたくさんありそうですね。
それにしても、都心では雪による負傷者が発生している模様。みなさま、くれぐれもお気をつけ下さいませ。