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本日の名言

2008年06月16日 | もやもや日記



私と同年輩の人びとの多くは、時の車輪の下敷きとなってしまった。私は生きながらえた。だが、これは私が人より強く、あるいは慧眼であったためではない。人間の運命はすべてルールにしたがって行われるチェスではなく、あの富クジを思いおこさせるようなときがしばしばあるからである。

  イリヤ・エレンブルグ『わが回想 人間・歳月・生活』より



この言葉をめぐって、私はいろいろなことを考えてしまいます。

そして今日思ったことには、私は自身にはずっとクジ運がないと思ってきたけれど、実はとんでもなく運が付いているのではないかということです。この人の言葉がすっかり時に押し流されてしまう前に、私は出会うことができているのです。どれほどまでに自分が選ばれているのかを思うと、運の強さを感じないではいられません。

私に選択権が与えられていないことは、私たちがいつも選んでいるように見えて実は選ばれているのだということは、時にはひどい悲しみをもたらしますけれど、またある時には期待以上の喜びをもたらしてくれることもあります。私にも、人間の運命というものはそのように見えるのでした。だからといって、すべてを運まかせにして生きよと言うのではありません。私には、人間を左右するその運命というものも、実は我々の知り得ぬところで我々自身が作り出しているもののようにも思えるのです。

なにか「仕組み」があって、私たちはそれを知らないがために翻弄され続けているだけなのではないかと思いつつも、ぼんやりとしてきてそれより先はどうしても考えることができません。それは富クジではなく、チェスよりも複雑なルールを持っているなにか別のものかもしれない。いつかそのルールが分かったら、私たちは皆で幸運な道を選択できるようになるのだろうか。




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BLを読んでみる

2008年06月15日 | 読書日記ー漫画
依田沙江美さんのマンガ



「BLを読んでみる」と言うよりも、「BLにはまってみる」と言った方が的確だったかもしれません。しかし、私はまだハマるほどには知らないのであった。どういうわけか、本を買うときと、読んでいるときと、読み終えたときに、むちゃくちゃに赤面してしまいました。うーむ、これは照れますな。上の写真も、ちゃんと表紙を撮影すれば良かったのですが、どういうわけか赤面し過ぎて無理でした。いや、可愛いんですけど、可愛すぎて、なんつーか。根性なしでスミマセン。
あー、しかし、なんだって私はこんなにも照れているのでしょうか……?

実は昨年末あたりから不意にBLというのに興味が出ました。女の子なら誰しも一度は通る道だと思うのですが(たぶん)、私はこれまではどうもそのきっかけを掴めないでいました。どっちかと言うと「スタンド使いには、どうやったらなれますか?」ということを大マジで考えるようなタイプだったものですから…。別にBLに抵抗があったわけではなく、単にきっかけがなくて読まなかったのです。

あ、もしかしたら「BLってなんだ?」という方もおられるかもしれません。えーと、BLというのはですね、Boys Love のことらしいんですね。少年愛の世界ですね。たいがいは可愛かったり美しかったりする男の子たちの恋愛を描いているものだと思われます。


さて、私が入門編として選んだのは、依田沙江美さんのマンガ。「節度がある」という評判を聞いていたので、生々しいのが苦手な私には良いかな、と。絵も清潔感があって可愛いし。ほんとうはこのあいだお友達からおすすめを教えてもらっていたのに、不覚にも失念してしまったので、今度また教えて下さい☆


で、依田さんのマンガを読んでみると、これがたいへんに面白かったです。別に少年同士の恋愛ものだからといって、少年少女の恋愛ものと大差ないというか、依田さんのマンガ自体の構成力や表現力に圧倒されました。すげーうまいな、この人。

とくに面白かったのは『かみなりソーダ』という作品。
優等生の星弥(せいや)とわりと問題児な龍泉(たつみ)という男の子の恋模様が描かれるわけですが、その進行のさまがうまく表現されています。互いに与えあうような関係が構築されていく様子が、なにかすごく理解できるのです。
ここではたまたまふたりは恋愛関係に至りますが、私はこれを読んで、「あー、相手が誰だろうと、人を好きになるって、こういう感覚だよなー」としみじみ思いました。
心の深いところにいっきに触られてしまったり、触りたくなったりしたら、なかなかその相手を手放すことはできないよなー。相手が誰だろうとも。と、そういうことを考えました。というわけで、少年同士だろうが、少女同士だろうが、誰と誰であろうが、まあ、それはさほど問題にはならないんじゃないだろうか。私もゴージャスでインテリな美女に飼われたいという願望がありますし(しかしそれは恋愛と言えるのか)。

ただ、もしBLというジャンルに特徴があるとすれば、肉体関係までの距離が短いということがあるのかもしれません。もちろん、私はほかの作品をまだ全然読んだことがないし、最近では少女漫画でも相当に過激な描写があるということで、一時期問題になっていたようなので、あくまでも主観的な感想ですが。


ともかく、率直に言って、面白かったのでもうちょっと読みたいです。


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発送完了

2008年06月13日 | 同人誌をつくろう!
同人のみなさま、こんにちは!

昨日でお約束していた『YUKIDOKE』第一号の発送が終わりました。やたー。ばんざーい!
でも、実はまだ手渡しで差し上げる方々の分の製本は完了していないのであった。ちょっと早まって気が抜けてしまいましたーー。週末にがんばって終わらせまっす!


ところで、なにがどうなってこうなったのか、私にはもうマトモに判断することができないのですが、御覧のとおり、猫がテニスをしている絵を表紙カバーとして付けてあります(強制的に)。うーむ。いっそ無い方がまし……だったかも…。実際手に取っていただくと分かりますが、どことなくみすぼらしい感が否めません。えーと、まあ単なるカバーですから、そっと外しちゃっても全然大丈夫ですから。つーか、簡単に付け替えられるような親切設計になってますからご安心を! わははは。


さて、明日土曜までには、4人の方々のお手元へ届く予定です。
長らくお待たせしてしまい、重ね重ね申し訳ありませんでした。
どうぞゆっくりと見てやってくださいまし!

疑問・質問・クレーム等ございましたら、遠慮なくどうぞ!
(たぶん、色々あると思いますよ……ハハ; あー、ゴメンナサイ;)
 

それから、今回の同人誌の参加者以外の方で、この同人誌をご所望の方は(ありがとうございます!)、もうしばらくお待ち下さいませ☆ ただいま Web版の公開を検討中ですので、そっちの目処が立ち次第、あらためてご希望を伺いたいと思います。


というわけで、近況報告でした!
引き続きヨロシクお願いします~☆

あー、我ながら無闇にテンションがあがってますなー。わーい。


追記
  とか言って、調子に乗ってたら、わー! ヤッチマッター!
  ゴメンナサイ! 誤植発見です……(/o\)
  うっそー、信じられない…。一文字、横になってるよ……。
  入江さん、ほんとうにスミマセン! すぐ直しておきますので!

  そのまま送ってしまったみなさまにもスミマセン;
  ああ~、気付くの遅い……。そして、まだありそう;


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或る中毒者の告白

2008年06月12日 | もやもや日記

私は、それがないととても生きていくことなど出来やしないのです。


ということを言い出すと、以前書いたこともある「コーヒー中毒」のことかと思われるかもしれません。ええ、まあ。たしかに私はコーヒーがなければヤバイ。実にヤバイ。言ってるそばから、ああ、飲みたい。

しかし、コーヒーはやめようと思えばいつでもやめられると思うのです(中毒者はみんなそう言い張るものですが…)。美味しく香しいコーヒーの思い出を胸に、静かに麦茶でも飲みながら余生を過ごすことは、まあ、どうにか想像できます。

ではコーヒーよりも諦めがたいものとは何か。

 それは、他人の情熱。

私は情熱を見せてくれる人が好きだ。何かを伝えようとして必死になった人が好きだ。かれらの情熱が生み出したもの、それがなくては、この先も生き延びることへの理由を自身のうちに見いだせない。

ああ、どうかもっと私を溺れさせてください。もっと深くへまで引きずり込んでください。その高みから私を呼んでください。あなたの声を、あなたのその瞳を、私にもすこし分け与えてください。どうか。どうか。


私はたぶん、いつまでも私の仕えるべき主人を探して歩くのでしょう。それはいろいろな人の顔をして、いろいろな言葉で、音で、色だったりしていますが、私が追っているのはいつも同じひとつのものである気がします。

他人の情熱が、私を生かしていることは、不思議な気もしますけれども、何も不思議でないとも思えます。

私は空っぽの器でありたいのです。なにも生み出すことのない器でありたい。そこへかれらの情熱を満たしてほしい。美しいその情熱の美しさが、そのまま透けて見えるような器でありたい。そして飲みたがる別の誰かに、私はそれをそのまま飲ませてやりたいのです。


今日は、新しい予感に震えて止まりませんでした。
はやく私を満たしてほしい。



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たまごサンド

2008年06月11日 | もやもや日記


最近のお気に入り。
朝食にたまごサンドとコーヒー。


しかし、今日のは失敗でした。このたまごサンドはあまりおいしくなかった。写真に撮る時くらいおいしくてもよさそうなものですが、撮影後に食べてみるまではおいしいかどうかが分からなかったので、あとのまつりです。まあ、そういうこともある。たまごサンドであることは分かる。サンドイッチは私の得意料理のひとつです(←いまさら信憑性はないかもしれませんが)。

このコーヒーカップもお気に入り。このあいだ Akikoさんがくれました。緑色にピンクの薔薇柄。すっげー可愛い。毎朝だいじに使わせていただいております。Akikoさん、どうもありがとう!



それにしても、最近気が付いたことですが、朝食にサンドイッチを出すとK氏がしっかり食べる。私もまあよく食べる。私もK氏も普段はかなり食が細いほうなのですが、そう言えば、外で食事をするときなども、ふたりともよく食べる。
食が細い、つーか……おいしければ食べられる、ということだろうか。もやもや…。

 おっと、アブナイッッ!!

重大な真相に気が付きそうになったけれども、料理の腕をあげようという気はあまり湧いてこない、もうすぐ夏!


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YUKIDOKE 製本出来!

2008年06月08日 | 同人誌をつくろう!

同人のみなさん、こんにちは!
長らくお待たせしておりますが、ようやく【YUKIDOKE】の製本作業も終わりに近付いてまいりました。わー、あとちょっとだー!

とりあえずハードカバーとソフトカバーが一冊ずつ仕上がりました。
(画像 再下段の 左=ソフトカバー、右=ハードカバー です)
(上の3つの画像はいずれもハードカバー)

ソフトカバーの方は驚くほど簡単に出来ました。このやり方は個人製本には向いてますね~。表紙にちゃんとした紙を使ったので、なかなかそれっぽく出来たと思います。開きやすいので、中身が読みやすいです。同人誌らしくて良い感じです。

そして、ハードカバー。こちらはやはり難しい。実に難しいです…; でもまあ、どうにもならないほど難しくはないので、がんばってあと何冊か製本しますよ! 固い表紙のハードカバーは、いかにも「本!」という重厚感があって感動的です。
しかし、今回の YUKIDOKE はハードカバーにするには薄かったのか、ちょっと開いて読むには読みづらいところもあるかもしれません。まあ、しかし、記念にはなりますかね。読めないことはないですし; 気にせずこれで作っちゃいますよ私は。もう材料も揃えちゃって、組み立てるだけですからして。いやはや。


というわけで、みなさまのお手元へは出来次第、順次発送させていただきますので、どうぞお楽しみに!!


それにしても、おそろしく 白い本 になってしまいました。超 汚れそう。やはりさらに表紙のうえにかけるカバーを作らにゃなりますまい。さあ、あともうひとふんばりです♪


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ぐわわ

2008年06月07日 | もやもや日記


製本作業も佳境に入ってきました。ハードカバーでもどうにか形になりそうです……。結構良い感じに仕上がったので写真に撮るつもりでしたが、いろいろあって、それはまた今度のお楽しみということで。うぐぐぐ。

はあはあ。しかし、なにこのあぶら汗は。うぅ。うぅ。くしゃみと鼻水が……! ぐわっ、は、腹も……!!
こんな感じで、嫌な予感がしまくりですが、まさか風邪ではないだろうな; うわー、いやだ! 今は困るんです! そんなことしてる場合じゃないのです。

えーと、私の体調不良のことをここにつらつらと述べても仕方がないので、せめてひとつでもお得情報を書いて置きますか。

……えー。うぅ。あ、あれにしよう。うぐぐ…。


【本日のお得情報】

 ゆで卵をつくる時は、水からゆでましょう☆
 お茶をいれたお湯が余ったからといって、熱湯をそのまま卵にかけてはいけません。
 殻にひびが入って白身が炸裂しちゃいますデスよ



はあ~、お得情報でした。

あれ? 知ってました? こんなのは常識ですか?
私も知ってたら、白身が無惨にはみだしたゆで卵を食べずに済んだのですがねえ(/o\)
 
とりあえず、寝るか。


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『地獄へ下るエレベーター』

2008年06月06日 | 読書日記ーラーゲルクヴィスト

ペール・ラーゲルクヴィスト 谷口幸男訳
(『現代北欧文学18人集』新潮社 所収)

《あらすじ》
愛し合う一組の男女がエレベーターで下ってゆく。女にはしかし別にもうひとりの、とっくに愛想の尽きた恋人がいたが、今は目の前の男に夢中だ。二人を乗せて、エレベーターは下りに下る。そして着いたところは、地獄だった。

《この一文》
“――考えてみて、と女は、長い抱擁から自分をとりもどすと言った。あの人にあんなことができるなんて。でも、あの人ったら、いつも変な考えにとりつかれていたのよ。あの人はものごとをあるがままに、素直に、自然にとることができなかったのよ。いつも命にかかわるみたいだったの。――まったくばかばかしい話さ、とイェンソンが言った。  ”



うっかりして読むのを忘れていたラーゲルクヴィストの短篇。思い出して良かった!

この「地獄へ下るエレベーター」は、調べてみるとラーゲルクヴィストの初期の短篇であるようです。『刑吏』や『こびと』よりも前の1924年の小説集『不吉な物語』に収められた一篇。ごく短い短篇です。

ひとことでこの物語の印象を述べるならば、非常にお洒落であるということでしょうか。『バラバ』や『巫女』に見られた震え上がるような迫力は見られません。それは、この作品がとても短いというためかもしれません。が、とにかく、どちらかというときらびやかで明るく軽い印象です。ユーモラスでさえある。

それでも、ここにはすでにラーゲルクヴィストという人特有の疑念というか悲観というか、憎悪というべきか、そういうものも感じられます。

ひとりの女を愛する二人の男。男のひとりはイェンソン支配人。女の現在の愛を一身に浴びて幸福の最中にあります。もうひとりの男はアルヴィド。去っていく女を引き止めることができなかった「くそまじめ」な男。

女はなぜイェンソン支配人を選ぶのか。ものごとを疑わずにはいられないアルヴィドはなぜ捨てられるのか。
なぜ女とイェンソン支配人は地獄まで下りていかねばならなかったのか、なぜ二人はそこでアルヴィドと会わねばならなかったのか、そしてなぜ二人はなにごともなかったかのように平然と地上へと上がるエレベーターに乗って帰ることができるのか。

女はイェンソン支配人と出会うまで「愛ってどういうものか、知らなかった」と言う。またしても「愛」だ。この人の作品を読むと、「愛」の身勝手さや閉鎖性、無責任、そういうことばかり頭に浮かんでしまう。愛。そのひとことで全てが解決するだろうか。いや、誰も解決など望んでない。そもそもそこに問題があることすら気が付いていない。これが幸福というやつだろうか。そうかもしれない。たしかに問題なんてないのかもしれない。愛し合うふたりは美しくも見える。

だけど、でも。では、アルヴィドはなぜ地獄の住人とならねばならなかったのだろうか。彼が全てを疑ったからだろうか。そうかもしれない。今や地獄も近代化され、すっかり人間的になった。なにものをも信じられぬ魂を持つアルヴィドには地獄がふさわしい。愛のもとに手を取り合って見つめ合う幸福な男と女だけが、上へあがるエレベーターに乗ることができるのだ。

これはもちろん痛烈な皮肉だろう。と私は思う。でなければ、私の感じているこの激しい胸のむかつきに理由をつけることができない。


深く読もうとすると、私の読みは合っていないかもしれないけれど、なんだかとても痛みを感じる短篇です。苦い。



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キジマ先生 講演する

2008年06月04日 | もやもや日記
上:キジマ先生の講演を聴きにいった

下:お土産(風船と魚)をもらって、さあ帰るか!


ペンギン特集は先週で終わるつもりだったのですが、私のファンだと言うある人(はっきりそうとは言ってなかったけど、多分そうなんじゃないかと私は思っているある人)から、絵をもらいました。正確には、半年くらい前のある日、私がその人に「ちょっと何か描いてよ!」とお願いして、無理矢理に描いてもらったものです。公開して良いですか?との問いには、長らくこころよい返事をもらえなかったのですが「名前は伏せておくから!」と説得して、公開にいたりました。めでたい。私ひとりで鑑賞するにはもったいないと、常々思っていたのです。


さて、この絵の何がすごいって、そりゃもう、下の絵のペンギンの帽子がなぜか浮き上がっちゃってるところ(強風? しかし奥のペンギンが持つ風船は揺れてもいないのだ!)。で、奥のペンギンにしても、なんで風船と魚(生?)を持っちゃってるのでしょう?? つか、なにゆえシルクハット?!
いやー、すごい! 破壊的にカワイイ!

そして、このペンギン。形からしてすごい。「筒形(ツツガタ)ペンギン」と名付けました。風邪薬とかの粉末が詰まっていそうじゃないですか。いやー、すごい。

ついでに、上の絵で熱弁を奮っているペンギンの名は、「キジマ先生」であるらしい。とにかく熱く語っていますが、聴衆のふたり(おそらく下の図のふたり)は、あまり興味のない様子……。わー、切ないね!



はあ、こういうパワーを感じられる絵を描きたいよなあ……。

と、壁に貼ってあるこのペンギンの絵を眺めながら、私は来る日も来る日もため息をもらしているのでした。
あれ? もしかして、「私が」あの人の「ファン」なのか……?



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「私の忠実な言葉よ」

2008年06月02日 | 読書日記ー東欧
チェスワフ・ミウォシュ 鳥居晃子訳
(『ポケットのなかの東欧文学』成文社 所収)

******「私の忠実な言葉よ」********

私の忠実な言葉よ。
私はお前に仕えてきた。
夜ごと、お前の前に
様々な色がのった小鉢を並べてきた。
私の記憶の中に残る
白樺を、バッタを、そしてウソを
お前に与えるために。

それは長い間続いた。
お前は私の祖国だった。別の祖国はなかったから。
お前が、私と良き人々との間の
仲立ちとなってくれると思っていた。
その人々がたとえ二十人でも、十人でも
たとえまだ生まれていなくとも。

今、私は疑いの気持ちを抱いていることを認めよう。
自分が、人生を無駄にしてきたのではないかと感じる時がある。
なぜならお前は虐げられた者たちの言葉、
理性に欠けた者たちの言葉、もしかしたら
他の民族にもまして憎み合う者たちの言葉、
密通者たちの言葉、
気が違った者たちの言葉、
被害妄想を病む者たちの言葉。

だがお前なくして私は何者だろう。
幸いにも、恐れや卑しめとは無縁な
どこか遠くの国の学者にすぎない、
そうだ、お前なくして、私は一体何者だろう。
どこにでもいる哲学者にすぎない。

分かっている。これが私の教養なのだ。
個性という栄光は奪われ、
道徳劇に出てくる罪深い男に
赤絨毯を広げるのは「虚栄の化身」
時を同じくして、魔法のランタンが
人間と神の苦悩の絵を画布に描き出す。

私の忠実な言葉よ。
やはりこの私が、お前を
救わなくてはならぬのだろう。
これからも、お前の前に
様々な色がのった小鉢を並べよう。
できるなら、明るくてまじり気のないものを。
不幸せの中にも何らかの秩序や美が
必要なのだから。


***********************


あんまり美しかったので、つい全文を引用してしまいましたが、なにか問題があるかもしれません。しかし、あまりに美しかったので。

作者はポーランドの詩人。

私に足りなくて、私が欲しいと思っているのは、こういうことなんじゃないだろうか。しかし幸運な私には、その本当のところはけっして分かることもないだろう。これはいったいどうしたものだろうか。

もし、忘れ得ぬ記憶や、言葉が、私の祖国となるならば、
この人のこの言葉や、彼や、彼女のあのときの言葉がそうだったと
いつか私は振り返ることになるだろうか。


そんな風にも考えてしまいました。



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