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『ヒトラー最期の12日間』

2010年02月14日 | 映像

Der Untergang
(2004 ドイツ/イタリア/オーストリア)


監督 :オリヴァー・ヒルシュビーゲル
製作 :ベルント・アイヒンガー
脚本 :ベルント・アイヒンガー
出演者 :ブルーノ・ガンツ/アレクサンドラ・マリア・ララ


《あらすじ》
1945年4月20日、ベルリン。ヒトラーは56歳の誕生日を総統地下壕で迎えた。ソ連軍の猛攻により包囲網が狭まる中、ヒトラーはもはや実行不可能な攻撃命令を叫び続け、側近たちを追いつめていく。極限状態に陥った地下要塞の人々が酒盛りやパーティーに興じる一方で、地上のベルリン市街では兵士や市民が苛酷な戦闘に身を捧げ、命を落としていった。
戦況は刻一刻と悪化、いよいよ敗戦を確信したヒトラーはある重大な決意のもと、長年の愛人エヴァとささやかな結婚式を挙げる。それは"第三帝国"の遅すぎた終焉の合図だった…。

《この一言》
“ 自業自得だ ”




戦争映画は苦手です。気が滅入って仕方ない。でも、本作は私が以前から少し気になっていた映画です。予想していたよりは、ヒトラーが中心に描かれているということはありませんでした。邦題はインパクトがありますが、内容とあまり合っていないかもしれません。原題は「陥落」とかそういう意味なんだそうです。でも、ヒトラーの最期の12日間が描かれていることは間違いありません。じゃ、やっぱりいいのか。

色々と考えるべきことがあるような気がしますが、私は今はたいして深いところまでは考えられません。映画を観て思ったのは、ドイツが第二次大戦で負けたあと、軍の幹部たちは10年とか20年という長期間にわたって刑務所に入れられていたようですが、その長い年月の間に彼らはいったいどんなことを思ったのだろうかとか、20世紀前半は大きな戦争に挟まれていたけれど、当時を生きた人々はどうやってその悲惨に耐えていたのか、人間の心がどうやって度を超した自分たちの蛮性に耐えたのか(それとも耐えていなかったのか)とか、そういうことばかり気になってしまいました。

私は悲しいものの多くは美しいと思うのですが、どうやっても美しいと思えない悲しいもののひとつがこの戦争というやつです。どこにも美しさを見いだせない。どこまでも悲しいだけで。
世の中はなんて悲しいんだろう。こんなに悲しいのに滅んでしまわないのは、どうしてなんだろう。
世界は美しい。それはいつだってそうなのかもしれないけれど、その美しさは今のところ私たちから争いを遠ざけるには、あまりに弱過ぎる。世界も、人間も、どちらもいつだってどこかしら美しかったはずだ。それなのに、私たちはそれを手当り次第に破壊せずにはいられなくもなる。これは一体なんのためだろう。…私にはその破壊の欲求というものが全然分からないなんて言うつもりはないけれど。分かるから、分かるから、分からない。
美しいだけでは足りない。けれど、足りていないのはどちらだろう。この世界の美しさだろうか。それとも我々の、その美しさを十分に受け取るための力だろうか。
ああ、こんな考えでは全然足りない。こんなものでは全然迫れない。頭にくる。




とても滅入りました。
久しぶりに、とても不快になりました。





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バンクーバーオリンピック

2010年02月13日 | もやもや日記



はじまりましたね!
スケートとか、色々と楽しみです。
さきほど、開会式の模様をちらっと見ましたが、クマが透けてて凄かったです。


それにしても、今日は寒い…。
近所の小さな子が、朝、部屋の窓を開けて「あさにゆきみるのはじめてー! あっちがわもみにいきたいー!」と叫んでいました。

マジかよ。朝に雪を見るのが初めてなのかよ。声だけから判断すると、たぶん3、4歳くらいだと思うけど、可愛いものですね。

いいなー。朝に雪が降っているくらいで感激できる心を、私も思い出したいですよ。なんにでも、その新しさを喜べるようなそういう心を。





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『窮鼠はチーズの夢を見る』/『俎上の鯉は二度跳ねる』

2010年02月12日 | 読書日記ー漫画

水城せとな(小学館)






「ゲイでSM」というコンセプトのもとに描かれた作品だそうです。私を三日三晩苦しめた、とんでもない作品でした…。いやー、疲れた! でも、最高に素晴らしい作品でもありました。
内容的にも、性愛に関する具体的な描写からしても、これは大人向けの漫画だと思うので、私はちょっと配慮して、あらすじなどはこれ以降に書きたいと思います。大人の人だけ読んで下さい。



《あらすじ》
優柔不断な性格が災いして「過ち」を繰り返してきた恭一の前に、妻から依頼を受けた調査員として現れたのが、大学時代の後輩・今ヶ瀬だった。浮気の事実を妻に秘密にする条件として今ヶ瀬が要求してきたのは、「貴方のカラダと引き換えに」という信じられないものだった。(『窮鼠はチーズの夢を見る』)

《この一文》
“ 恋っていうのは
 幸せになるためにするものなんだと思ってたよ

 …とんだ子供じみた夢想だったな

    ――『俎上の鯉は二度跳ねる』より ”



『窮鼠はチーズの夢を見る』と、その続編『俎上の鯉は二度跳ねる』です。私は『窮鼠…』の方は旧版で買ったのですが、『俎上の鯉…』と本の大きさが違うので、新版の『窮鼠』を買い直すべきか悩み中……。いや、そこはどうでもいいんですけどね; でもやっぱり統一感が欲しいっていうか。ねえ?



とにかく、凄まじく激しい恋の物語です。私はそのままめり込んでしまうのではないかという勢いで、のめり込んでしまいました。こんなに真剣に恋愛について考えさせられる羽目になるなんて、読む前には思っていませんでした。いえ、この漫画が面白いらしいということは聞いていたのですが、ここまでのめり込むとは全く考えていませんでした。
特に2冊目の『俎上の鯉は二度跳ねる』などは、最初読んだとき、あまりに衝撃が強過ぎて、まったく理解できませんでした。胸をえぐられるような感触だけがあり、私はどうにかしてこれを解消したくて何度も繰り返して読みましたが、結局丸3日かかった。15回は読んだと思います。そして、その3日間、ページを繰り返しながら私は自分自身の恋愛のことばかり考えさせられました。
そういう作品でした。恐ろしいですね、これは。

丸っきり翻弄されながらも、私はこの2冊の漫画があまりに面白いので、それについて、なにかうまく語りたいと思いましたが、どうしても自分のことになってしまう。どう書こうと思っても、どうしても自分の恋愛を語ってしまうことになる。

ここに描かれているのは、男性同士の恋愛で、ごく普通の男が、学生時代の後輩の男から激しく愛を捧げられるというものです。ノーマルな男と、同性愛者の男のあいだに、恋愛はどのように成立するか。というお話なのですが、恋愛関係にある人々が体験するだろう普遍的な何かについて深く追究されていたと感じます。端から見ると馬鹿げて見えるかもしれないけれど、当人たちにとってはとても切実な恋愛。相手から受け入れられるまではそれを目標に進むことができたけれど、ある程度受け入れられてしまえば、それ以上行き場を失ってしまう恋愛。そして、もうこれ以上互いになにも得るところがないのではないかという恋愛。そういう恋愛の焦燥感、行き詰まり感、そもそもこんな恋愛とは一体なんなのかと果てしなく疑問が広がっていくさまを、恐るべき勢いで描いてありました。なにしろ分量がたったの2冊しかない。それなのに、この密度! なんだこれは。
男性同士の恋愛を描いてあるからには、これはBLものと言っていいのでしょうか。『窮鼠』の段階ではそう思ってましたが、『俎上の鯉』を読んだ私にはちょっともう分かりませんけれども、とにかく恋愛ものです。それも、とびきり切実な。

私はそもそも何にでも影響を受けやすい性質ではありますが、それにしてもこの2冊の漫画に影響され過ぎて、つい自らの恋愛について結構突っ込んだ文章を書かずにいられないところまで追い込まれてしまいました。
今、この作品と、私が先日書いたものを比べてみると、あらためて私がどのくらい強くこの作品に支配されていたのかがよく分かります。そのくらい力のある作品でした。私は読んでいて、私のことを忘れながらも、私のことしか考えられなかった。ああ、でも色々書いてしまったおかげで、やっと私は冷静にこれに向き合えるというものです。でも、もうあまり書くことないな。おとといの「恋愛について考えた」という記事が、この作品に対する私の解釈であると言ってしまいましょう。

えーと、でも一応もう少し物語について書いてみると、この作品のキモは、主人公の恭一さんが最後までノーマルな男としてあり続けるところにあるかと。あとがきで、作者の水城さんも書いておられましたが、普通に女性を愛してきた男が、同性愛者の男をどう愛せるか。どこまで行けば愛したことになるのか。このへんの苦悩が、見所なんだと思います。
男同士の恋愛というと特殊に思えるけれども、突き詰めていけば、ある人間が別の誰かをどう愛するかというのは、男と女であっても、女と女であっても、どこまで行ってもその場合にしかよらないのではないかというようなことを、私は考えさせられましたね。
それから、もし幸福になるためのルールとか、社会のなかでうまくやっていくためのルールのようなものがあるとして、それがもし今とは違っていたなら、恋愛ももしかすると別の形をとることができるのではないかとも考えます。かなり繊細な問題だと思いますけどね。


とにかくもの凄い作品でした。
恋愛ってなんだっけ…と思い悩んだことがあるという人には、興味深く読める漫画なのではないかと思われます。いや、私は興味深いなんてのどかなレベルでは全然読めなかったんですけど。今ヶ瀬くんの台詞がいちいち私の過去とダブってしまって。いやもう大変ですよ。狂おしい恋情が蘇ってしまって。だからどうということはないですけど。とにかく色々と思い出した。


なにも残らない恋愛にも、どうしてもそれにこだわらずにいられないからには、もしかして何かあるのではないだろうか。何かすごく重要なものがあるのではないだろうか。
そういうことを、私は久しぶりに真剣に考えました。あー、お疲れさまでした!





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←これが長い

2010年02月11日 | もやもや日記

てきとー絵!




気がついたら、ブログ開設からこのあいだで1900日を過ぎていました。記事の総数は、もうすぐ1200件。まあ、何と言うか、我ながらしぶとい! 塵も積もれば山となっていますね。

それにしても、こんなに長く続けているのに、どうもこのブログはいつまで経ってもバランスが悪い。むしろ書けば書くほどバランスは悪くなります。内容はまあ仕方ないとしても、見た目くらいはなんとか出来るはずなんですがねぇ。例えば、ページ左側のメニューバー。カテゴリーや過去記事の年月リストが、ずらずらと長いのなんのって! ああ、こりゃいかん。どうにかしたいものです。

やっぱり無料で利用するのもそろそろ限界かなー。有料版なら、ページのカスタマイズももっと自由にできるもんなー。うん。春になったら考えよう。



ところで、長らく悩んでいたFLASHの文字化け問題ですが、どうにか解決しました。根本的には解決しませんでしたが、私は結局、今の環境で【MacromediaFlash-MX】上での「ヒラギノ」フォントの使用を断念しました。どうしても化けてしまう。
そこで、OS9時代に使っていた「平成明朝」を今の環境へ持ってくることで、すべて解決! あー、こんなことに気づくのに、随分と時間がかかってしまったぜ……! なんて間抜けだったんでしょう; でもまだなんか引っかかるので、いつかは根本的に解決したいと思います。そう、いつかは――。

とにかく、とりあえず解決して一安心です(^^)
同人誌【ミズオト】の制作もじりじり進んでおります。公開まであとおよそ10日間。がんばらないと! 実は漫画を読んだりして、またまたサボっておりました。スミマセン!!
同人のみなさまには、事前にサンプルデータをお送りしますので(たぶん直前に…;)、どうぞよろしくお願いします!(たぶん来週末くらい…?)




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恋愛について考えた

2010年02月10日 | 学習






日曜にある漫画を読んだのですが、それは生産とか建設というところからはあまりにも遠いところにある恋愛を描いたもので、私はとても衝撃を受けてしまいました。私はその物語について考えたいのに、どうしてだか自分自身の恋愛のこれまでを振り返ることを強いられて、以来3日間へどろのようになって私の恋愛を振り返ったのです。いや、これまでを振り返ったら、へどろのようになったと言った方が正しいかもしれません。

私はこれまでここに、色々なことを書き散らしてきました。個人的なことを恥ずかしげもなく。私は個人的なことを書く分にはさほど抵抗を感じません。誰に、どんな風に読まれても、わりと平気です。
けれども、恋愛のこととなると話は違います。なぜなら、それは相手のあることだから。私が好き勝手に書くわけにはいきません。それで、ここ3日分の考えをまとめたいと思いながらも、文章にするべきかどうか、文章にしてしまったら私は公開したくなるだろうし、と思い悩み、どうしても書きたくなる時が来るまでは放置しておこうと決めたところでした。でも、今朝、事情が変わりました。どうしても書いておかなくてはならなくなりました。というわけで、なるべく簡単にまとめておきたいと思います。


私には恋人がいて、およそ12年のあいだ一緒にいます。私にとってその人は、ただ一人の恋人です。私はとても粘着質で執念深い質なので、最初の熱狂のような数年間を過ぎて、その後何度も繰り返し破局の兆しが現れても、どうしてもその人を手放すことができませんでした。なぜなら、私は決めていたから。その人だけだと決めていたから。
私ははじめ噴き上がるような情熱をもって、その人の魂の奥底から、肉体の、骨格まで全部を自分のものにしたいと願いましたが、別々の身体と心を持って生きることを運命づけられた二人の人間である私とその人とであってみれば、当然それは叶わず、私はかんしゃくを起こし、その人は私の激し過ぎる激しさを恐れ、私たちはいつの間にか泥沼の深くへ冷たく沈んでいきました。

どうしてもっと早く終わらなかったのか不思議です。私たちはお互いに「自分ではなく、もっと別の誰かであれば、君はもっと幸せになれるのではないだろうか」と言い合い、またある時にはお互いの相手に対する一方的で身勝手な要求を罵り合い、またある時には何か確からしく見えるような提案を虚しく差し出し合ったりもしました。

何か確からしく見えるもの。それがないと幸福になれないのではないかと思われるようなさまざまなものを、私たちはあれこれと挙げてみたものです。けれども、私が指し示すものはその人にすげなく振り払われ、その人が私に差し出してくれるものを私は非情にも叩き壊してやりました。詰まるところ、私たちの思っていた幸福とやらは、あからさまなまがい物もあれば、なかには本当らしいものもありましたが、どれも振り払えば飛び散って、叩けば壊れるようなものでしかなかったということだけが分かりました。私たちはへとへとになって、とうとう何も言わなくなりました。もうすっかり分からなくなってしまった。

けれども、そこまできてようやく始まりました。少なくとも、私にはようやく分かった。私はそもそも確からしいものなんて望んではいなかったということを。別にそんなのはなくてもよかった。私は自分が「確かなものの確かさをひたすらに疑って」生きる人間だということを、一方で「目には見えないけれどあるはずのものを信じて」生きる人間だということを、ようやくはっきりと思い出したのです。恋が始まった途端から、なぜだか見失っていた。そうしてまた、この私が何か確かなものを誰かへ差し出すことなんて決してできないのだと、私の本質からしてそうなのだと分かって、ようやくその人に対してそういうものを要求することの不合理と、無意味とを思い知りました。

今では私がその人に望むことはほとんどありません。ただ二つのことがあるだけです。ひとつは、出来るだけ長く側にいてほしいということ。もうひとつは、出来るだけその人なりに幸福であってほしいということ。
12年経って、今その人がどういう気持ちでいるのかは、たとえすぐ側にいても、私が正確に知ることはできません。しかし、私について言えば、ひとつ目の願いが叶えられている限りは、私は幸福です。私たちの間には、目に見えるものがなにもないように思えるから、なお一層幸福です。外部から保証してくれるものが一切ないようなのに、意思の力だけでまだ一緒にいるように思えるのが幸福です。私はその人のことが、今でもまだ好きだ。出会った頃とは感情の性質が少し違ってきたような気もするけれど、でもまだ好きだ。
君はどうだろう。君は少しでも幸福を感じているだろうか。



そんなことを、私は3日間考え抜きました。黙って。何にも言わないで。その人に、私がそんなことを考えているなんてことは、一言も言いませんでした。それなのに、今朝、

「もう12年になるんだね、長いね」

と、その人は言いました。私はどうして急にそんなことを言い出したのかに驚きながらも、どうせはぐらかされるだろうからと、冗談のつもりで、

「うん、長いね。今でも私のことが好きかい?」

と、血迷ったことを訊きました。その人は少し考えて、

「好きかって?……分からないけど、最初の頃とはもう性質が違うような気がするけれど、そうね」



この時の、胸が潰れるような気持ちを、私にはうまく説明できません。胸が潰れそうだった。この人は、こうやって私が何も言わないのに、素手で私の心に触ってくる。こんなことは君でなければできない。君ほどに鈍くて単純で無遠慮で、けれど賢くて優しくなければ。私には君だけだ。私には君だけだ。これでますます君を手放せなくなる。震えるほどの欲望が、ふたたび私の中を吹き荒れる。けれども、この激しい私の欲望が、一方的に君を焼き尽くそうとすることはもうないだろう。どこまで行っても、私たちは相手がどんなことを思っているのかをはっきりとは知らぬまま、誤解したり理解したと思ったりを繰り返しながら、ひとりひとりで満足するしかないだろう。確かなものはなにもないし、何も残らないだろうけれど、私はこれが楽しいよ。君は美しいものを、過ぎ去っていくだけのものを、ときどき私に見せてくれるから。それは私に焼き付いて、いつまでも忘れられない。


12年も経って、まだ恋の存在する余地のあったことにたまげた、というお話でした。ああ、でも、まだ12年なんだよ。まだたったの12年。今やっと、何度か尋ねられてきたけれどうまく答えることができなかった君の問いに答えられるような気がする。

「俺って、君のなんなの?」

君は私の恋人だ。私の、ただ一人の。恐ろしく執念深い奴から目をつけられた、可哀想な恋人だよ。アッハッハ、アハハ!
その人は、このブログを見たりしない人なので、いつかまた訊かれたら、こう答えてやろうと思っています。


明日は休日で、しかも雪になりそうだというから、一日中閉じ篭ってあの人にへばりついていよう。うざがられるだろうから、せめて心だけでも。





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ぬるい風が強い

2010年02月09日 | もやもや日記




今日は生温い風が強く吹き付けています。私は風が強いのはあまり好きではありませんが、いつか吹き抜ける風の強さを心地よいと感じられるようになりたいと願ってはいます。

などと、えせ文学風味に書きはじめてしまいましたが、ああ、風が強いなあ、ほんとうに。もし、私が帆船を持っていたら強い風の力でどこか遠くまで水の上を駆けていくでしょう。もし、私が飛べるだけの翼を持っていたら強い風に乗ってどこか遠く風が止む場所まで飛んでいくでしょう。

しかし、どちらも持っていない私はこんな風の日にも地面にへばりついたまま、ただ煽られるだけですが、強過ぎる風は私の身体から心だけを吹き飛ばしてくれるようです。風の強い日くらいは、私は肉体のこの重さのことを忘れたっていいだろう? いったい私は心だけでどこまで行けるのか、知りたくはないか。私の心だけではそんなに遠くまでは行けないだろうとは思うけれども。そら、行け。もっと遠くまで。このぬるくて強い風に吹き飛ばされてしまえよ。

そして遠くの美しいものを持って帰ってきてくれ。






なんて、ぬるいことを考えてしまうぬるい風の日。
センチメンタルが加速しても、私はやっぱり心だけではまだ遠くまで行けません。身体が気になって。強風に煽られてもみくちゃになって取り残される身体が心配で。目にゴミが入るかもしれないし、なんてことが気になってしまって。
なんてこった、くだらねえ、まったく根性ねえなー。あーあー、やだね。

でも、間抜けでよろしい。
私は間抜けでよろしいのです。
俗物で結構!


ぬるい風が少し心地よくなってきた。






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最近のこと

2010年02月08日 | もやもや日記




ここ1週間くらいは、結構いろいろありました。わりと良いことばかりです。
そのうちのひとつが、昨日行ってきたちょっと面白いアルバイト。友達から紹介してもらった1日限りのバイトでしたが、なかなか面白かったです。絵画関係の風変わりなお仕事。私がこれまで考えたこともなかった世の中の裏側の仕組みについて、昨日もまた少し勉強してきたわけです。なるほどなー。世の中にはいろいろな仕事があるもんだ。


そして、その報酬をいただいて浮かれた私は、以前から欲しかった漫画を1冊、ご褒美として買って帰りました。そして、帰宅してすぐに読みはじめたのですが、予想以上に内容が重くて、ゆうべは夜更けまで寝られないまま、何度も読み返し、ああでもない、こうでもないと思い悩んでは、今日もとめどなく凹み中です……ご褒美だ、楽しむぞと思って買って来たのに、一体なにがしたいんだ私は(/o\;)
その漫画のあらすじを私はちらっとだけ知っていたけれど、どういう結末を迎える物語なのかは知らなかった。しかしながら、それはやはり私の今年のテーマに添った内容だったので、これほどまでにしっくりと私の問題意識に馴染むとは予想はしていなかったものの、このタイミングでこれを買って来てしまう私の嗅覚の鋭さにうんざり…。いや嗅覚がどうこう以前に、向うから私の方にやってくる、それを私はどのみち避けられないんだからいいんだ。せっかくだから、思う存分凹んでみて、そこから何かを取り出したい。胸が痛くなるような問題に、もっと集中したい。何かに触れて、ぎりぎりと絞られるように苦しむことを、私はこのところずっと避けていた気がする。無闇に、バカ丸出しでのたうちまわらないと。びびってる場合じゃないぜ。




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『華麗なるペテン師たち』

2010年02月06日 | 映像



今、私がもっとも注目している海外ドラマが、この『華麗なるペテン師たち』(イギリスBBC制作)です。やば面白い。


正月に帰省した時に、何気なくテレビを見ていたら、ちょうどこのドラマシリーズの宣伝が始まりました。一緒に見ていた父が、「お、ロバート・ヴォーンだ。ロバート・ヴォーンを知ってるか?」と訊くので、「さあ、知らない」と答えたら、「お前はロバート・ヴォーンも知らないのか!」と言われました。ちなみにこれは父特有の言い回しで人の神経を少し逆撫でますが、おそらく本人にそのつもりはなく、深い意味もないようです(たぶん)。そのまま話を聞いてみると、どうやらこの人(上の画像の右端のおじいさん)はイギリスの名優らしい。超有名映画に出演経験多数とのこと。あとで調べてみると、なるほど『タワーリング・インフェルノ』、『荒野の七人』などなど、たしかに名高い俳優であるらしいことが分かりました。ふーん、なるほどねー。

と、そういう経緯があって、ちょっとこのドラマシリーズが気になっていたので、第3シリーズの第2話をたまたま機会があり観てみたのです。すると、どうでしょう、この面白さは!! 超ヒット! ハート直撃です!

物語はすべて1話完結で、タイトルの通り華麗なるペテン師たちのお話です。隅から隅までスタイリッシュで、完全なキャラクター、練りに練られたストーリー、ユーモアとペーソス、なにもかもがすっかり私の好み通りでした。オープニングのアニメーションからして、もう素晴らしく私の好きな感じです。びびった!! やべー、クソ面白いぜ!! 第1、2シーズンを見損ねたのは、大失敗だった。しまったなー。あー。

おおまかなストーリーは以下の通り(NHKオンラインより)。

ロンドンを舞台に華麗に暗躍する5人のペテン師をスタイリッシュかつコミカルに描いた人気シリーズ第3弾。

ミッキー、ステイシー、ダニー、アルバート、アッシュの5人は巧みに大仕掛けの詐欺をやってのけるエキスパート集団。「金だけの問題じゃない」を信条にする彼らがカモにするのは強欲な悪人ばかり。ところが世の中そんな強欲者たちには事欠かず。今日も5人のだましのアートが繰り広げられる。



現在、BS2で第3シーズン(全6話)を放送中。第5話まで放送したので、あと1話で終わりですね。なんか初期のシーズンはDVDになっているらしいので、私はちょっと欲しくなっているところです。もう少し安かったら即買いなんだがなー。

それにしても、『名探偵シャーロック・ホームズ』といい、『名探偵ポワロ』といい、イギリスのドラマシリーズの質の高さにはびっくりですね。繰り返しの視聴に耐える良質なドラマシリーズが私は好きだ。この『華麗なるペテン師』もひたすら繰り返して観てしまいそうな気配がぷんぷんです。

それにあちらではSFシリーズドラマも結構あるんですよね。『ドクター・フー』などは水戸黄門レベルの長寿シリーズだと聞いたことがありますし、『宇宙船レッド・ドワーフ号』というのは、ちらっとしか観たことがありませんが、むちゃくちゃに飛んだ設定(宇宙船のクルーが、人間、ホログラム、アンドロイドと進化した猫! とかそういう…)で面白そうでした。これはいつかちゃんと観てみたい。


というわけで、イギリスのドラマシリーズの凄さをあらためて痛感させられました。これからも面白いドラマをどんどん作っていってもらいたいですね♪





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微熱つづきで

2010年02月05日 | もやもや日記


昨日は、微熱でぐったりさせられました。なんかぼんやりするなーと思っていたら、熱があった。せっかく奮発した太巻きの味がよく分からなかったので、実際は節分の夜から熱っぽかったようです。

ぼんやりするのと若干の胃痛以外にはとりたてて不便を感じさせることもない微熱ですが、それでもなんだかちょっと痩せた気がします。よかった。最近は見苦しいほどに肥えていたので、この調子でもうちょっとスッキリしてほしい。不思議なことに、手の甲にあった傷も急速に治りかかっています。熱のおかげで代謝がよくなっているのかもしれません。微熱もなかなかいいものですね。というか、普段の体温をもうすこし上げたらいいのかも。

「ひょっとして、普段の体温をもうすこし上げたらいいのかもね。どうしたら上がるのかね?」と聞いたら、K氏には「運動だろ」と言われました。

そこで、「前に寝違えて傷めた首がまだ痛い。筋力が衰えているのかも…」というK氏には、「やっぱ運動だろ」と言ってやりました。



実はここ数日のうちに、嬉しいことがいくつかあり、そのことについても書きたかったのですが、熱っぽいと変な文章ばかり書いてしまうので、落ち着いてからにしようと思います。
はやく暖かくなってほしいなー。



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節分

2010年02月03日 | もやもや日記

恵方巻を買ってきた。
見た中では一番高級な海鮮ものを。
お、思わず……(/o\;)




今日は節分ですね。
というわけで、張り切って太巻きを買ってきました!
シンプルなものから具沢山なものまで色々置いてありましたが、あれこれ見ているうちにどういうわけか気が大きくなってしまい、なんか高級そうなのを買ってしまった私……。太巻きが好きなものですから、つい興奮して……(/o\;)ツイ… 変わりどころでは、ヒレカツ巻ってのも気になったんですけどね、とても。来年はそういうのにしてみようかしら。


「節分に太巻きを恵方に向って食べる」という習わしは、私は大阪時代に初めて知ったのですが、関東でも広まってきたようですね。私が6、7年前、まだ東京に住んでいた時分には全然見かけませんでしたが、今日の横浜地方ではあちらこちらで恵方巻が見受けられます。それにしても、すごい量の太巻きだ……いったい全部売り切れるのか、ひと事ながら心配ですね。


福豆は、まえもって買ってありましたが、これは撒くためではなくて、普通に節分と関係なく食べるため。すでに2袋を空けてしまいました。福豆が旨くて止められない、止まらない。なんでこんなに旨いんだ。
このシーズンのうちに買いだめておこうと思ったのに、さっきスーパーに行ったらもう置いてありませんでした(正確には少しだけ置いてあったけど、あの炒っただけのシンプルな豆でなくて、なんかコーティングしたやつだった)。しまったー! なんてこった!! そして昨日まで豆があったところにはお雛さま関連商品が……。うーむ。気が早過ぎやしないかい?

それはさておき、豆撒きは邪気を払うために行うんですよね……。
…今年は撒いてみるか?
祓った方がいいよね?? うん、いいに決まってる、どう考えても。私がおどろおどろとした邪気に覆われまくってるのは、豆を撒かなかったからなんだな、そうだったのか。そうだよね? 内部から発生する邪気にも効くんだよね?

少しだけ撒くかもしれません。でも豆を部屋中に飛び散らかすのは嫌なので、エア豆撒きになるかもしれません(こう、掴んで投げる振り。気分だけでも)。てゆーか、落花生でも買ってくりゃよかった(ちなみに私は落花生も大好き)。殻付き安心。もうなんでもいい。


節分、ということは、もうすぐ春なんだなぁ。寒いけれど。




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