長島音楽教室~守口メイプルパーク

守口メイプルパークのピアノ教室です。
リトミック・絶対音感指導も行っています。

敵もまた同じ神の子

2015-04-23 12:10:15 | 旅行
私はウン10年前にインドの山奥、チベット亡命政府があるダラムシャラへ行きました。

インドはその前年に一人旅し、今度は友人と2人。
デリーのバスターミナルで確かめたものの、行き先あってるのか?
バスはボロボロだし。
でも、チベット人らしき人が何人も乗ってるし、お坊さん(西洋人)も乗ってて間違いないようです。

郊外へ出たバスは、途中何箇所かで停まります。
一度、トイレに行きたい気がして出発時間を確認して降りました。
トイレの場所を訊き、行ってみて愕然。
そこはカラスだらけのゴミだめとしか・・・。
もちろん囲いもなくただの広場。
汗をいっぱいかいて水分も取ってなく大丈夫だったので、そのまま戻りました。

ある停留所では出店でサトウキビジュースを絞って売ってたりで、全員降りて休憩。
ダラムシャラに留学中の娘さんに会いに来た、インテリっぽいチベット人のおじさん。
「今日は、広島に原爆が落とされた日だ。アメリカはひどい。」と盛んに話してこられます(英語)。
「今日は、日本ではどうしてる?」と言われるので
「その時間に黙祷してお祈りする。」と話したりしていました。
お坊さんはスペイン人で修行に来てるそうです。
チベット人の女の子も話を聞いていました。

バスはそのうち、どんどん山道へ入っていきます。
長距離バスなのに、時々停留所もない所で歩いてる人を拾います。
日も暮れてきました。

10時間ちょっとで着くと聞いていたのですが、とっくに過ぎ、夜も更け、だんだん心配になってきました。
出発して15時間くらいかかってようやくダラムシャラに着きました。
深夜なので宿泊を心配してたら、たくさんの出迎えがありました。
ただ一軒のホテル、ホテルチベットに決め、そこはとても親切で良かったのですが・・・。
翌日、私たちの足は見事に虫刺されでブクブクに。

町を歩くと日本人そっくりな子供たちが、恥ずかしそうに見に来ます。
おじさんたちは、私たちを見ると「チペッタン?」
「イエス、チベッタン!」と答えると、
「ンン~?!ノウ、ジャパニーズ!」とばれてしまいました。


政府の建物の方へ行くと、ダライラマ14世のレセプションをしていました。
お堂にお坊さんがいっぱい座っていて、その奥にダライラマが見えます。
人々はお堂の周りをぐるぐる回り、五体投地礼をしてる人も。
私たちもぐるぐる一緒に回りました(五体投地礼で身を投げ出しながら進んで行くのが本当だそうです)。
係りの人が近づいてきて怒られるのかと思ったら、写真を取るいい場所を教えてくれました。
あの頃、ダライラマはまだ40代だったんですね。
夜は、お坊さんたちの宿坊からお経が聞こえ、行ってみたら、バター茶でもてなされました。

その晩は布団を蚊取り線香で燻し、殺虫剤を撒いて、ハイソックスを重ね履きして(用意がいいねぇ、インド2度目だもの)寝たものの、やはり翌朝足はブクブクでした(泣)

帰りは疲れてよく覚えていません。
道中は後で見ると、外国人立ち入り禁止区域もあったようです。
パンジャブ州?バンジャビーを来た人たちがたくさんトラックに乗ってたりしました。

実は、ダラムシャラに行ったのは偶然なのです。
本当はラダックのレーという、チベット仏教の聖地に行く予定でした。

シュリナガルという避暑地まで行って、そこから飛行機のキャンセル待ちを続けたけどダメだったのでデリーに戻ってきて、じゃ、ダラムシャラなら行けるのでは?バスが出てる!となったのでした。
この前日までダライラマはレーに行ってたそうで、ダラムシャラで会えたのも偶然でした。



・・・・では、今日の新聞記事を引用します(長いです)。

1989年にノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世(79)が今月来日。
「非暴力」を訴えるチベット仏教の最高指導者の目に、過激派組織「イスラム国」(IS)のテロなどで混沌(こんとん)とする現在はどう映っているのか。

ノーベル賞を受けた年にベルリンの壁は崩れた。冷戦後の世界について、ダライ・ラマは「第3次世界大戦の恐れは基本的に薄れ、はるかに安全になった」との認識を示す。だが、すぐに続けて宗教がらみの地域紛争やテロが広がる現状に言及。「とても、とても悲しい」と二度繰り返した。

憂うのは中東情勢ばかりではない。例えばミャンマーやスリランカでは近年、仏教徒による少数派イスラム教徒への襲撃事件が起きている。暴力とは縁遠い仏教のイメージを揺るがす出来事だ。この問題では、同じくノーベル平和賞を受賞したミャンマーの民主化運動指導者アウンサンスーチーさんとも話し合ったという。

「私たちチベット人も『仏教こそが唯一の真理』と言うことがある。しかし地球上には数多くの宗教伝統があり、何千年も人類に寄与してきた。私たちは『いくつもの真理』を認めなければならない」。一神教の論理まで用いて説く。「敵もまた神が創造したもので、同じ神の子ではないか。敵への怒りは神への怒りと同じだ」

とはいえ、ISの蛮行の前では、そうした言葉はきれいごとではないか。武力で封じ込める以外に手立てはあるのか――。

こうした問いには「暴力的な手段は人の肉体を押さえつけるだけで、精神をコントロールすることはできない」と信念を語る。

「容易ではないのは承知している。しかしテロリストたちを人間として、信仰を持つ者として受け入れ、対話の道を探るしかない。そのための長期的な戦略と説得工作が必要だ」。武装組織の中に、考えを変える者がいずれ現れることに希望をつなごうというのだ。

そう語る理由の一つには2001年の米同時多発テロがある。ダライ・ラマは事件の翌日、当時のブッシュ米大統領に書簡を送り、「暴力は暴力の輪を広げるだけだ」と武力行使に慎重であるよう求めた。しかし結局はアフガニスタン戦争、イラク戦争と続き、ISが生まれてしまった。

長期的に重要と指摘するのは教育だ。「教育は、自分を取り巻く世界の全体像についての『知』を与えてくれる。それによって現実的な行動を取れるようになる」。人々が過激な考えに走る背景には、国家間や一つの国の中での経済格差もある。「自分は不幸だと感じている者はたやすく思想的に感化されてしまう」

テロや地域紛争には、宗教だけでなく政治や経済などの問題が絡み合う。それに対処するため、世界の英知を結集した組織づくりを提唱する。「国々が集まる国連では対応できない。科学者や作家、各国政府と利害関係のない指導者……。純粋に人類の幸いを追求する組織が必要だ」(磯村健太郎、小暮哲夫)

     ◇

ダライ・ラマ 「大海の師」という意味の称号で、チベット仏教では観音菩薩(ぼさつ)の化身とされる。いまのダライ・ラマ14世は2歳の時、高僧たちによって「先代の生まれ変わり」と認定された。

1949年の中華人民共和国の建国後、中国軍がチベットに進駐。ダライ・ラマは59年にインド北部に逃れ、亡命政府を樹立した。政教一致体制は徐々に民主制へ移行。ダライ・ラマは2011年、民主的に選ばれた指導者に政治的権限を移譲した。ただし、中国政府からは「分裂主義者」と非難される。

ノーベル平和賞の授与は、非暴力の闘いを続けてきたことが評価された。その後も、異なる宗教の相互理解などに力を入れ、欧米やアジア諸国を訪問。オバマ大統領ら米国の歴代大統領とも会談している。


・・・・・・・以上

旅行カテゴリーを見ると

2014-08-14 17:28:00 | 旅行

西表島はどうなったんだ!

 

実は・・・

その夏に行かなかった夫と2人で、1昨年10月にリベンジいたしました。

先日、某TV番組で西表島から外パナリという無人島に行くのを放送していて、懐かしく思い出しました。

私たちは、何も知らずそこへ行き、そのおっつぁんと驚きの出会いをしたのでした。

何だか人に話のが勿体なくて今まで黙っていました

 

時間を見つけてupしようかな?

でも、果たして、ここで音楽の事でなく、そんなこと期待して下さってる読者さんはいるのか?!

 

↑ 無人島に25年も住んでる、この方。

綺麗な貝殻たくさん、貰っちゃた。


その後、干立のお祭り(節祭)に行く。

左がミルク様、右がオホホ様。

前日から夜を徹して奉納者のオーディションがあったり、舟漕ぎ競走など見どころ満載。


それから、何と日本最西端の地、あこがれの与那国島にも渡ったのでした。

向こうに台湾が見える・・・。


屋久島に行ってきました。

2014-08-12 18:39:54 | 旅行

屋久島・白谷雲水峡にて

苔むす森・・・もののけ姫の森です。

まるで、映画の一シーン。

 

トトロ?コダマ?

 

ヤクザル

 

 

大川(おおこ)の滝

 

千尋の滝

 

熱帯植物園

 

海亀さんがいる、いなか浜。

向こうに見えるは、噴火し始めた口永良部島。

夜のうみがめ観察会を申し込んでいましたが・・・。

 

強まる風雨・・・。

全身びしょ濡れで寒い。                       コダマもぶるぶる・・・。

  


それからは空港に詰め、飛行機が鹿児島を発ったというアナウンスを期待しつつ到着待ち。

放送の度に、「お知らせ」か「お詫び」か、聞き耳を立て・・・

(「お知らせ」便が来る時、「お詫び」欠航する時、と何度も聞くうち学習しました。)


欠航が相次ぎ、明けて翌日、ようやく到着した時には思わず拍手


ところが私たち、この日「ライオンキング」(劇団四季)のチケットを取っていたのです。

何とリュックを背負ったトレッキング姿(ジャングルにぴったり過ぎる~)で一路四季劇場へ。

幸いなことに、大阪空港→四季劇場前直行のバスがあり、ぎりぎり間に合うことができましたが・・・。

こんなハードスケジュールになるとは!


白谷雲水峡が、増水で長くいることができなかったので、島一周して下さったガイドさん。

大雨の中を屋久杉に連れて行って下さり、急な延泊にも応えて下さった民宿湊楽さん。

屋久島に誘ってくれた長女(ライオンキングにも)

留守番が予定より長くなり、試験にも関わらず家事をしてくれた次女。

私を自由にさせてくれる夫。

そして、私のバイタリティの源である教室の生徒さんたち。

皆様のおかげ。

感謝いたします


石垣島4日目

2012-09-05 23:31:58 | 旅行

夜が明けて、南に停滞していた台風14号は西方向に逸れて行ったようです。

さて、石垣島北部、米原のいよいよ水中へclick  

under the sea click 

seabeansさんのブログclick 

 

せっかくのクマノミやイワシの大群は、娘しか見てません・・・。

私は酔ってリタイアしたので

ガイドさんの奥様手作りのおやつ、紅イモ入りバウンドケーキは、貰って帰って、空港で取り合いして戴きました~。

 

この台風14号、この後、とんでもない経路をたどります。

拡大すると分かりますが、一旦、台湾の南を西方向へ去りましたが、巨大台風15号につられ、舞い戻って来たんです。

ニュースで見て、まだ居てたん?!とびっくりしました。

普段、近畿地方を通らないとなかなか気にすることのない台風ですが、島ではこんなに度々台風に見舞われてるのですね・・・。

 

古書店で手に入れた「西表島フィールド図鑑

図書館で借りてきた「西表島の巨大なマメと不思議な歌

面白いです。

今度こそ、西表島へ・・・。


石垣島3日目~その2

2012-09-04 23:50:07 | 旅行

さて、台風はどうなるか・・・石垣島の夜

見つけました~!byフリーペーパーやえやまなび。

ナイトツアー。

やってるかな?

早速電話で問い合わせ。

 

seabeans click、ガイドは石垣島の生物の生き字引のような小林氏。

本格的な双眼鏡、懐中電灯、長靴の出で立ちで、4輪駆動に乗り込み、山道を分け入ります。

これは、小林氏が撮影し、CDにして送ってきて下さった写真のほんの一部を縮小加工したものです。

これを見れば、如何にすばらしいツアーか、一目瞭然でしょう?

聴こえるのは、不思議なカエルの声。

真っ暗闇に光る蛍たち。

でも、懐中電灯で探すと、虫や蟹たちの姿が・・・。

木には鳥や、こうもりが休んでいます。

 

夜も更け、気が付けば台風は少し治まって来たような。

seabeansさんは、シュノーケルもあるそうなので、明日実施できるならと、お願いしました。

諦めていた海へ入る事ができる?!

 


石垣島3日目~その1

2012-09-04 23:47:41 | 旅行

今日は「プチ秘境探検ツアー」。

迎えに来たのは、ヨットマンのガイド、マイク。

場所は、於茂登トンネル周辺。

西表島はもっとすごいのでしょうが。

それでも足にへばり付く蛭(ヒル)を剥がし剥がし、軍手した手にくっ付き指が6本になったかと思うほど巨大なイモ虫を振り払い・・・。

とぐろを巻いたハブにも遭遇・・・。

木登りトカゲclick 一瞬ですよ。かわいい~。

爽快なのは、ハーネスを付けてのターザン如く「ア~アア~~」。

“ジャングルジップ”というのだそうです。

秘境ツアーその1click さすが、マイク!

秘境ツアーその2click なかなか様になってる?

 ロープを伝って岩を降りると、そこは・・・

 

道路に出ると、やはり風は強く、まだ台風は居座ってるようです。

ホテルを移動するのに、海岸沿いの道を歩くとすごい風。

雨も降ったりやんだりですが、風と荷物で傘が差せません。

ホテルに入る直前、ダァ~と大雨が降りだし、ずぶ濡れに


石垣島2日目

2012-08-31 23:39:25 | 旅行

早朝、白保海岸まで様子を見に行くも、風は非常に強く、船は岸に上げられています。

民宿のおばぁが、白保の海は無理だから早めに町へ行った方がいい、と車で送ってくれました。

途中、夏川りみの実家を通りました

 

この日はバスで石垣鍾乳洞へ行くことに。

元々の計画では、西表島の整備されてない洞窟探検に行くはずだったので、どうせ観光地だろう、と全く期待せず行ったのですが・・・。

たくさんの種類の鍾乳石に圧倒され、天井も間近に見れたり、迫力満点。

水琴窟では雨だれのような神秘的な音楽が奏でられ、イルミネーションも悪くなかった。

今まで、沖縄本島の玉泉洞、山口の秋芳洞、琵琶湖東の河内風穴へ行ったことがありますが、ここもなかなかの物でした。

 

親切な運転手さんが、行きは途中で降ろしてくれたのですが、帰りはバス停まで登らなくては。

これを逃すと、もうバスはないので、懸命に走り、どうにか間に合い、乗った途端に大雨が

 

宿はトリプルが取れなかったので、二つの部屋を行き来しつつ、明日行ける所を探す。

そこで目にしたのは、「台風でもOKプチ探検ツアー」。


夏休み~in石垣島with台風~1日目

2012-08-30 13:45:43 | 旅行

皆さん、夏休みはいかがお過ごしでしたでしょうか?

私のところは娘らの受験等で、ここ数年夏休みの旅行はお預けでした。

そして今年、娘らと3人で何とか日程を調整し、念願の八重山諸島へ。

西表島に宿泊、サワートレッキング、洞くつ探検、バラス島・鳩間島へシュノーケリングなど、計画を立てていました。

そこへ台風が・・・

 

波浪警報発令で、西表島は断念。

急きょ、石垣島の、青珊瑚で有名な白保の民宿を予約しました。

空港に迎えに来てくれた民宿のおばぁが、白保の海は大波で入れないから、竹富島へ行くように、と港へ送ってくれました。

石垣港から10分の竹富島。

2時間ばかりサイクリングを楽しむことができました。

私は、30年ほど前にも竹富島を尋ねています。

・・・小さな埠頭、そこに並べられた貸自転車を借り、地図もなく適当に回ると、竹富小中学校の鼓笛隊に何度か出くわし・・・突然現れた広い真っ白な浜に寝そべるただ一組のカップル・・・南西航空のポスターの撮影、そのモデルさんがシャッターを押してくれた自分の写真・・・手のひらに取った砂はすべて星の形・・・小さな宿から聞こえる三線の音・・・。

今回、初めの予定には入れていなかったのは、観光客もほとんどいなかった当時のそんな記憶をそっとして置きたかったのかも知れません。

さて、民宿では美味しい石垣牛や八重山そばを戴き、懐中電灯を借りて海を見に行こうとしましたが・・・猛烈な風と、真っ暗闇に断念。

明日はどうなるかな


白川郷

2010-01-20 00:28:05 | 旅行

お正月明けに念願の白川郷へ行ってきました。
金沢は雨でした。そこからバスに乗ったとたん眠りにつき、1時間ほどして目が覚めると・・・。
張り詰めた空気
誰もが無言
そう、車窓から見えるのは、ただ一面の雪
そして到着した白川郷。
でも、合掌作りの家々へはこの橋を渡らねばなりません。


橋の手前には、離村した人々が残した村を移転した民家園があります。
どこに何があるか雪でよく見えません。
屋根の上よく見て下さい。雪掻きしてる人が写っています。


展望台より


八幡神社。
宿では雪で入れないのでは?と言う事でしたが、行ってみました。


なぜって?
“ひぐらし”絵馬なる物を見たかったのです。
この写真では見えにくいですが、ここは某アニメの舞台なので、その絵で一杯だという…


白弓スキー場は、貸し切り状態。
新雪に膝まで埋もれ…


静心庵という、平瀬温泉のお宿も私たち母娘3人だけでした。
ここはお風呂の湯と、食事がとてもよかったです。
手打ちそば、お正月仕様の付きだしが逸品。
ごま豆腐も美味しかったなぁ。


これは、静心庵の方が次の宿まで送っ下さった時に通った、3軒家。


合掌作りの民宿、幸ェ門。
こちらは、江戸時代からのお家でありながら、住みやすい工夫をされていて、とても暖かく居心地のいいお宿でした。


2階を案内がてら、ご主人がお話をして下さいました。
白川郷が世界遺産として認められるまでの、長い道のり。
かつては、古い家を残す、なんて誰も賛同しなかった。
ダム建設や、住みにくさにより、集団離村する人々。

この白川郷を残すには。

来た人が泊れるように合掌作りの家を民宿に。
囲炉裏使用のため、民宿に必要な火災報知機を付けることができず、許可が出なかった。
直談判で、特別許可を得る。

建物だけでなく、「結」と呼ばれる村民共同の文化も遺産。
屋根は村民100人余りの共同作業によって葺き替えられる。
ダムによる収入にも助けられ、次第に協賛を得るように。

そして遂に、白川郷は世界遺産に登録された。

朝早く、外へ出て東の空を見た。
夜が明ける時、どんな風になるのか見たかった。
でも、東なんて関係なかった。
ただ、雪明りが全体に、いつの間にか、日の明かりに変わって行った。

冬、真っ白な雪に覆われた白川郷。
人々はひたすら雪かきをする。
未明から一日中、何台もの除雪車が走り回っている。
それでも、後から後から雪は降り続き、合掌作りの家々は雪に埋もれ続ける。
何百年も前から…