私は8年余り、小中学校で音楽を教えていました。
ある時、6年生のあまり音楽が得意ではないらしい男子が、
「なんで音楽なんかあんねん。」
と言うのを耳にしました。
「今なんて言ったん?」というと、怒られると思った風情。
「いや、なんで音楽の科目があるんかな、と先生も今聞いて思った。
ちょっとよく考えてくるわ。」
私はその時、音楽教師に成り立てで、楽しければいいと思っていました。
でも、その声を聞いて本当に素朴な疑問として初めて心に止まったのです。
翌週。
「先週、○○君が、なんで音楽あんねん?って言ってたよね。」
縮こまってる感の○○君。
「怒ってるのちゃうよ。本当に、なんで音楽するんやろ、と改めて思ったから考えてたんよ。」
例えば△君が、□ちゃんを見て“きれいな”と思ったとするやん。
(ヒュ~と外野の声)
で、□ちゃんのことを知りたいと思ったり、どんなこと考えてるか想像したり、ときには好きと思ったり。・・・・・・・etc.
そういうことを感じるの、って算数とか勉強するのとちょっと違うと思うねん。
今やってる「おぼろ月夜」。
“菜の花畑に入日薄れ、見渡す山の端かすみ深し~♪”
菜の花畑見たことないし、夜でなくて月も出てない。
でもメロディに乗せて歌って、想像する。
いつか、田舎に行ったとき、この風景を目にする。
そしたら、この歌を思い出す。
“蛙の鳴き声も、鐘の音も霞めるおぼろ月夜~♪”
これか!
歌を知ってて想像したことがあれば、感激もひとしお・・・。
もしかして、歌を知らなかったら、美しいおぼろ月夜に気づかないかも知れない。
・・・・・
そういう、心に感じることのため、それを深めるために音楽ってあるんじゃないのかな。
6年生の子たちは、一所懸命私の話を聞いてくれました。
この頃のことは、今の私の芯となっているように思います。
ピアノを習いにくる生徒さんたちは、もちろん音楽をしたいから来てるのですけど。
それぞれの曲に、心に感じるもの、思いを深めるものを持ってほしい。
それが音楽をするということでしょう。