105歳・私の証「あるがまま行く」 読者の皆様に最後のごあいさつ
2002年91歳から、新聞に毎週連載され愛読していました。
サリン事件の時よく耳にした聖路加病院の院長だったこと。
看護や予防の重要性を説き、看護大学に初の博士号過程を、また日本初の人間ドッグを開設、終末医療の普及にも努めたこと。
成人病を「生活習慣病」という名に変えたこと。
100歳過ぎて、ご自身の身を持って体験してことを、すべて医療に生かされ続ける御様子も伺えました。
よど号のハイジャック事件の時にはたまたま乗り合わせていて人質になったが、犯人と話すうち打ち解けて最後には一緒に歌を歌ったこと。
「葉っぱのフレディ」のミュージカルの企画・原案を行い、出演もされたこと。
ピアノが趣味で作曲もされる。
NHK全国学校音楽コンクール2015小学生の部、「地球をつつむ歌声」作詞も。
全国の小学校へ出向き、「命の授業」を続けられたこと。
いつも言われるのは、「命の使い方・・・命とは自分が使える時間」。
父が90歳になったとき、日野原さんは103歳で現役。
「おじいちゃんも、まだまだやよ」、と話したものです。
父が逝って9ヶ月。
日野原さんも、そろそろ着かれた頃でしょうか?
これから天国で、ゆっくりお話してほしいです。
ご冥福をお祈りいたします。