今頃、ソチオリンピックの録画を整理し始めています。
アイスダンスやフィギュア女子の期間は、ドイツにいました。
(以前のこの記事の写真は、その時のもの)
あちらでも放送あるかと思ってTVを付けるのですが、日本のようには報道されていません。
ドイツには、ペアで何度も優勝してるサフチェンコ&ゾルコーヴィがいますし、個性的な「ゾンビダンス」が評判のアイスダンスのジガンシナ&ガージもいるのですが。
チャンネルを変えてると、やっていたのは何と「セーラームーン」。
〝月に替わってお仕置きよ!” も、レイちゃんも、タキシード仮面もドイツ語で話してました。
浅田真央選手のことなど、とても気になるのですが、ちらっと見た日本からの情報では「真央ちゃん、頑張った。」との文字。
・・・と言う事は?でも、わからない。
私が帰国した日は、選手たちと同じ日だったようです。
録画を観れたのはその後。
日本中、いや世界中が感激したであろう浅田真央選手のラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」。
閉会式でもデニス・マツーエフが演奏しましたね。
すごい力強い演奏で、浅田選手の演技の感動がよみがえります。
中間部の入る時の一瞬の停止と変化が、何とも言えず魅力的です。
演技でも、そこを表現していましたね。
閉会式では、リムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」やハチャトリアンの「仮面舞踏会」、ショスタコービッチの「ジャズ組曲・ワルツ」などが次々演奏され、絵画、文芸、バレエ、サーカスが紹介されました。
周りでは時期が時期だけに私がソチへ行ったと思ってた人もいたようですが、この閉会式は観に行きたかったですね。
その後、録っておいたフィギュアスケート関係の番組、いくつか見ました。
フィギュアスケートの選手を目指すということは、ピアノコンクールもびっくりの毎日です。
学校の行き帰りにリンクへ。
リンクの周りには母親がずら~り並び、先生のレッスンは30分。
その後は母親がわが子に、叱咤激励しながら練習をみます。
浅田姉妹は深夜に貸切も。
ずっとアドバイスし続ける、お母さんの匡子さんのご苦労が偲ばれます。
その後、匡子さんは病に倒れられます。
当時佐藤コーチは、今更、真央ちゃんのコーチを引き受けられないとお断りされたそうですが、病床の匡子さんにどうしてもと言われ覚悟を決められたそうです。
私も真央ちゃんと同じ年で母を失くしてるので、うちの母も色々大へんだったのかな、と顧みています。
ドイツでのお話も、そのうち書きたいと思っています。
経由したパリにて。
パリ市庁舎前が野外アイススケート場になっていました!