移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ
立て続けに、よく知る実在の
人物が夢に出てきたので、こ
こで取り上げてみましょう
まず先月見た夢で、5つ星ホ
テルの新館で出会った黒服の
日本人ホテルマネージャー
夢見:新館と旧館(前編)
「なにかお探しですか?」
と日本語で声をかけられて驚
いた人はよく知るH氏でした。
夢の中で「私」は気づき、目
が覚めても覚えていました。
H氏はホテルマンではなく、
そこにいることは不思議でも
「どうしてホテルにいるの?」
と現実とはつながらないのが
夢の中のルールのようです。
「私」は「これはH氏だ」と認
識しながら、すべての状況を
受け入れ、判断はせず、彼の
指示に素直に従っています。
そして今月に入って見た夢、
夢見:バーバラ
タイトルのバーバラは実在の
ボランティア仲間で、最高齢
の90代。みんなの尊敬と憧憬
を一身に集める素晴らしい人
「私」は夢の中でもバーバラ
を実在の彼女と同じように認
識し、急な出来事に駆け寄っ
て介抱し言葉を交わします。
そして夢の中では珍しいこと
に彼女の「身体」に直接触れ
近くのシートに座らせます。
一見何の関係もないような2
つの夢と2人の登場人物です。
しかし、今になって気づいた
のは2人ともコロナ以降の20
21年、22年とごく最近鬼籍
に入り、夢の中の設定はどち
らも「あの世」のようです。
ホテルに
新館と旧館があるこ
とを知ったとき、バーバラを
救けに行こうとしながらも、
「無限」を感じる草原を目前
にしたとき、彼らが「この世」
にいないのを思い出す事なく
彼らがいる場所には行かれな
いのだと夢の中で悟ります。
H氏、
バーバラからはいまだ
何かを学んでいるようです。
大人物とはこういうものな
のでしょうか。2人に合掌
「旅は道連れ」と言いますが
夢日記をつけるようになって
時として「夢は道連れ」でも
あることに気がつきました
道連れには2通りあり、夫や
息子など実在の人物の場合と
自分でも「誰だっけ?」と思
う「人」の場合があります。
後者の場合、気配や声だけが
しても姿を見た記憶がない点
が共通しています。なぜ見な
い(見えない)のかは、見れば
誰だか特定できてしまうから
なのか、精霊のような存在で
そもそも姿がないからなのか
私にはなんとなく後者のよう
に感じられ、姿がなくてもい
つも女性のように感じます。
10年も前の夢ですが、夢日記
では最初に記録された「妹」
夢日記:座敷童子
私たちはエンジェル👼だか座
敷童子だかになって、ヨーロ
ッパまで出かけています(笑)
2015年の夢では天国への坂道
の途中の家に女性がいます。
夢日記:どちらの国ですか?
姿を見ていなくても、彼女と
相談し、会話をしています。
(これが天国に続く坂道らしい)
夢の道連れは、夢というあや
ふやな体験の中で、一緒に何
かを見聞したり相談したり、
信じられないよな状況の「証
人」として、自分を支えてく
れる心強い味方のような存在
では、と今は考えています。
もしかしたら顕在意識の中で
は感知できない、私のスピリ
チュアルガイド(守護霊や自
然霊など)が、夢にまで付き
合ってくれているのかな
ともぼんやり思っています。
姿はなくても、彼女らの存在
に自信と勇気を得ているのは
確かなように感じられます。
どうも女性と縁の薄い人生を
送っているせいか
(子ども
2人は息子、職場は男性が圧
倒的多数の金融機関だったり)
身近な女性の存在が、非常に
特異なものに思えるのです。
夢の道連れは誰なのでしょう?
どうしてここまで「ホテル」
と「エレベーター」が頻繁に
出て来る夢を私は見るのか。
ホテルの方は、何度も繰り返
し繰り返し登場する状況から
幽体離脱中の身の安全(身体
がないのに)を確保できる
場所として位置づけられてい
ると、自分で気づきました。
エレベーターの方は、幽体離
脱中の「あの世」から戻る新
兵器と、長らく漠然と思って
いますが、ホテルほどピンと
来ている訳ではありません。
ただ、エレベーターに乗るシ
チュエーションは、
今回の夢
のようにすでにホテル内であ
ることが多く、降りたい階に
降りられなくても、ホテルが
見つからない時ほどの緊張は
なく、どこかリラックスして
います。身の安全が確保され
ているのが判っているのか
今回の夢で興味を引いたのが
最後のエレベーターには大勢
の人が乗っていたことです。
逆光で1人1人の顔が判然とし
ない壁のような大柄な人たち
あえて言えばモアイ像🗿のよ
うな黒々とした男たちです。
🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿🗿
「私」はこの同乗者がこの世
の人たちではないことを、な
んとなく知っていたように感
じます。しかし、恐怖感はな
く彼らが「8階」と言う指示
に従い、1階違いの近さまで
帰り着くことができました。
そこに居たのは目つきの悪い
いかにも胡散臭そうなヒト。
このコントラストは鮮明で、
「私」にとっては壁のような
モアイ像たちといる方が心が
落ち着いていて安心でした。
夢から覚めて、すぐに思い出
したのが、香港に実在したホ
テルでの知人の経験でした。
出張で滞在していたホテルで
エレベーターに乗るたびに、
見えない大勢の人が中にいて
「なんなの、あのホテルは?」
と普通に怒っていました(笑)
彼女にとって、見えない人た
ちは恐怖の対象ではなく、宿
泊客でもないのに無賃乗車し
ているぐらいの物言いです
(※ご興味があればこの話はメ
ルマガ
~90cm上の世界~で)
「夢日記を始めて10年」に書い
たように、どうやら臨死体験
だったらしい中、私がチュー
ブと表現したものを別の人が
「ヌードル」「トンネル」と
呼んだように、誰かがエレベ
ーターを別の物で形容し、い
つかその役割を知る日が来る
ことを密かに願っています。
実際のNZ暮らしではシティ
ーにでも行かない限りエレベ
ーターに乗る機会はなく、1
年に1往復2回も乗るかどうか
夢での方が乗ってるかも
夢日記をつけ始めて10年
ということに気づきました。
夢の重要さに気づいたのは、
2011年の東日本大震災後の
「体験」がきっかけでした。
夢日記の効用でも書いたとお
り、夢とは思えないリアルな
体験や報道でも見なかった状
況を目にし、魂は間違いなく
現地に飛んでいたと確信でき
夢は幽体離脱
という主張を理解しました。
それでも夢日記をつけようと
までは思わなかったのですが
2012年7月に、自分でも驚く
ほど衝撃的で鮮明な夢を見て
「これは臨死体験?」
と密かに思うところがあり、
それを書き残したのが、今に
続く夢日記の始まりでした。
メルマガにしていた第1号
夢日記:チューブ
その1年半後、久々に読み返
した本に、臨死体験をしたア
メリカの少年の話があり、少
年が語った経験は、まさに私
がチューブで経験したものだ
ったと直観し、あれは臨死体
験だったと理解したのです。
(※旅行中の大雨でたまたま
再読し読み通した本でした)
私がチューブと表現したもの
を少年は「ヌードル」「トン
ネル」と呼んでいました。中
が液体で満たされている点も
一緒です。少年は交通事故で
「溺れかかり」、私は底が抜
けた五右衛門風呂に「飛び込
んで」、潜っていきました。
これもメルマガにしました。
夢日記番外編:眠っている間の大冒険
その中で紹介している初期の
頃の夢は重い内容が多く、今
読み返しても息が上がってき
そうなほどリアルに思い返す
ことができます。その感覚は
目覚めている時の経験と何ら
変わらないように思います。
~チューブ~での臨死体験
~座敷童子~での幽体離脱
~夢の教訓~心にないことは
してはいけないという教訓
~生と死~での自分の死のバ
ーチャル体験は、予定外の生
理を引き起こす衝撃体験に
~死の淵~夫の死を体験し、
子どもたちのためにこの世に
留まる決心をするまでの葛藤
これらに比べると、今では夢
見の経験を積んだせいか、夫
が登場しない単独行動が増え
ホテルに出入りしつつ、「こ
の世」と「あの世」をより自
由に行き来できるようになっ
てきた
のかもしれません。
そのうち夢の中で、自分が肉
体を残してほっつき歩いてい
る幽体離脱状態にあることに
気づく日が来るかもしれず、
それはちょっと楽しみかも
「またホテルか」
今回も目覚めたときに思わず
ニヤっとしてしまいました。
夢の中で、ホテルの登場回数
が驚異的に多いことに気づき
「私にとり夢の中のホテルは
宇宙ステーションのような、
幽体離脱後の中継地なのか」
と思い始めて早数年。夢日記
をつけなければ気づくことは
できなかったことでしょう。
今回の夢で私たちはホテルを
超えないとバーバラが居る所
に行けないことを判っており
裏口から入り正面から出る離
れ業
でそこを突破します。
この感覚でいくと、今回のホ
テルは幽体離脱後の休憩所と
いうよりも「あの世」への玄
関口に近く、以前の夢でいえ
ば、
新館の方だったのでは
確かに閂を抜いてドアを開け
たときの物々しい重厚さは、
5つ星ホテルのそれでした
生きている自分たちが足を踏
み入れる場所ではないことを
知っていたからこそ、私たち
は裏口からの強行突破
を試みたのかもしれません。
そして目の前に立ちはだかる
荒野。風が渡って行くばかり
で危険な感じはしませんが、
一面の雑草は均一で目印にな
るようなものはなく、果てが
見えず、方角もわからず、漠
然と「無限」を感じました。
そここそ足を踏み入れる場所
ではなく「あの世」への距離
感を自覚し、バーバラが居る
所に行くことを諦めました。
ここで目が覚めたところをみ
ると、納得づくで私は「この
世」に帰ってきたようです。
まだ「あの世」は遠かった
バーバラは実在の人物で、夢
の中では気づいていませんが
2021年に他界していました。
(※彼女は人生で出会った屈指
の印象深い人で、かつて
メル
マガでも取り上げています)
「またホテルか」
前編、
後編と書いてきた新館
と旧館のあるホテルの夢から
覚めて最初に思ったのはソコ
夢日記をつけるようになって
気づいた、夢でのホテルの登
場回数の多さは驚異的です。
「自分が旅行好きでホテル好
きだから」では説明できない
頻度ではないかと考えるうち
「私にとり夢の中のホテルは
宇宙ステーションのような、
幽体離脱後の中継地なのか」
と、思うようになりました。
夢を見ている自覚はなくても
目覚めている、いつもの状態
とも違うことを漠然と理解し
ている中で、ホテルは幽体離
脱中の身の(?)安全を確保で
きる場所として位置づけられ
ているのではないだろうか。
だから夢の中で混乱するとホ
テルに帰ろうとするのでは
今回の夢で興味深かったのは
「私」がブーツ
とクロッス
という頓珍漢であっても、履
き物を履いていたことです。
「あの世」は現実世界から90
cmほど上に重なるようにあ
るという「あの世」が見える
サイキックの話を何年も前に
知り目から鱗の思いでした。
「だから日本のお化けは足が
なく人魂は浮いて見える」
夢日記をつけているうちに、
自分の身長から1、2mほどの
高さでなにかを目撃している
ポジショニングを何度か経験
し納得しました。(
最近の例)
そのせいか履き物に注意が払
われることはまれなのですが
新館と旧館の境目を密かに靴
底で確認していることに意味
があり、履き物を履いていた
ことはその伏線だったよう。
「私」は夢の中でさえ、新館
と旧館が異次元であることに
気がついており、新館で声を
かけられた日本人マネージャ
ーが旧館に入れないこともな
んとなくわかっていました。
なので、その境目に非常に興
味を持ったのだと思います。
宇宙ステーションのホテルの
中でも次元が異なる場所があ
り、簡単には行き来ができな
いのは不思議な気づきです。
「旧館のお客様だったんです
ね」というマネージャーの口
ぶりは、5つ星ホテルにある
まじきバスローブ姿の「私」
への蔑みではなく、本来そこ
にいるべきではない者がそこ
にいたことへの驚きであった
ことを、夢でも感じました。
その時点では自分の妙な格好
以外、『なぜココにいてはい
けないのか』はわかりません
でしたが、どうも煌びやかで
絢爛豪華な新館の方が、より
「あの世」に近かったらしく
「私」が足を踏み入れる場所
ではなかったようなのです。
旧館ですら「私」は居場所を
見つけられず迷子になり、う
っかり異次元へのドアを開け
てしまい、現世のメキシコら
しい場所に転がり落ちます。
「上とつながっているのは、
アレだけだ。乗ってみるか」
と自動車修理工はエレベータ
ーを指差し、「私」はそれ以
上の冒険を諦めて「この世」
に帰ってきたよう。やはりエ
レベーターが「あの世」に通
じるものとして登場します。
エレベーターは幽体離脱の
「あの世」から戻る新兵器
と
疑い始めてすでに6年経過
これまた驚異的な登場頻度で
「この世」「宇宙ステーショ
ン」「あの世」の移動手段
いろいろなものが即物的でわ
かりやすいのが重要なのか
間延びしましたが、次回はロ
トルア旅行記に戻ります
自分の家が実は2棟からなり
裏にもう1軒あった上に、そ
こに水道修理のために穴が開
いていたという
衝撃的な夢
夢はいつも大なり小なり荒唐
無稽ですが、今回のように設
定が実際に近い普段の状況だ
と、そこで起きる異変の衝撃
度が増幅
されるようです。
さて、この夢で目覚めた私は
そのままベッドにいました。
ぢっとしていると興味深いこ
とに、テストの答え合わせの
ように、夢の意味するところ
が次から次へと、頭の中に降
りて
来るではないですか
それらは頭の中で考えたり思
いついたりしたものではなく
外から入ってきたものです。
長い長い解説だったように思
いますが簡潔にまとめると、
「家」は自分自身であること。
玄関がある家の正面が「現在
の自分」。壁に穴が開いた裏
の家は「過去の自分」で、ど
ちらも自分を形成している
という深淵なレクチャーに続
き、過去の穴は埋められない
と言明されます。正面からは
見えなくても、人はみな過去
を背負って生きており、完璧
な人も、完璧な人生もない。
だからあるがままでいいのだ
という結論だったようです。
思い出したくないような経験
や失敗は誰にでもあるはず。
本人は忘れたつもりでもそれ
は背中にくっついていて、そ
れでいい、というお墨付き
そう思うだけで、浄化作用が
あるような気になりました。
=============
しかし、実際の今の家は裏で
はなく階下が借家になってお
り、そこの水周りがよろしく
ないというリアルな問題もあ
って夢の意味は奥深いです。
こればかりは、「あるがまま
でいい」とはいかないので💦
引っ越し早々に2階からの
水
漏れというハプニングもあり
壁や天井に穴を開けて修理
前の家主が知らなかったとは
到底信じられないパイプの穴
を見つけ、家主や不動産屋へ
の不信感と後味の悪さはしば
し続きました。それも過去
昨日の
離婚の夢。設定は衝撃
的ながら核心は別の所にあり
目覚めた瞬間にそれが判るよ
うになったのは長年の夢日記
の効用
だと思っています。
離婚された「私」も8歳の里
子も自分だったと気づいたの
は、前日に引っ越し荷物を片
づけながら、シートン動物記
を手にしていたからでした。
折に触れて語っていますが、
私の子ども時代は母から訳な
く疎まれる(その後理由判明)
という非常に辛く、寂しいも
ので、2~4歳ぐらいまでは
トイレや押し入れへの閉じ込
め、それ以降は縁側に出され
家に入れないという躾という
名の虐待に遭ってきました。
それでも母の怒りが収まらな
ければ「出て行け出て行け」
と詰め寄られ、里子に出され
る自分というものを漠然と心
に描きながら、動物たちが主
人公の物語にのめり込んでい
ったのがちょうど小学校3年
生、8歳の時だったのです。
今思えば人間不信の反動だっ
たのでしょう。今でも私は人
付き合いより動物好きです。
(※猫飼い歴はかれこれ30年)
両親の関係は子どもの目から
も冷え切っていて、離婚しな
かったのはひとえに母の世間
体と父の沈黙の結果でした。
夢の中の「私」は離婚に直面
しても、それが正しい選択だ
と思えばとっとと受け入れ、
里子に出された8歳の自分の
分身の手を引いて新しい生活
に挑んでいこうとします。
夢の中で両親ができなかった
離婚を実現し、自分にはなか
った親への信頼や追い出され
る不安のない子ども時代を保
証することで、養母と里子と
いう血縁ではない親子の可能
性に賭けようとしています。
半世紀も前の自分の子ども時
代を夢の中で懸命に生き直そ
うとしているのを感じます。
それが自身への癒しであり、
過去への許し、未来への希望
となって、いつか人生を終え
るまでに、心の中に溜まった
積年の澱を掻き出し決着をつ
けようとしているようです。
コロナの直前に片づけをし、
「もう2度と来なくていい」
と思ったら、力が抜けるよう
な安堵と達成感を感じた実家
に、夢とはいえ行こうとし、
そこが空き家であったことに
深い意味を感じ、決着が進ん
できていることを感じます。
父は昨年他界し、母は特養に
おり実家は売却されました。
長年、夢日記をつけてきて気
づいたことは多々ありますが
その中のひとつが、夢には2
つのタイプがあるという事。
ひとつは自分の好奇心から、
寝入った身体を抜け出して幽
体離脱状態で気の向くまま、
興味の向くままに、どこかに
飛んで行っている能動的な夢
で数では圧倒的にこれです。
例えば、最近見た夢なら、
ふってあげる
たまたま耳にした曲のシーン
を自分なりに再現したよう。
少し前の夢ですが、ふと30年
来の友人を訪ねて
いった夢
4階建ての家
そんな野次馬的物見遊山的夢
にも気づきがある事を、後か
ら気づく
こともあります。
『4階建ての家』に関しては
私にとり夢の中での『建物』
や特にその中にある『部屋』
がいかに大切かを改めて知る
きっかけとなり、この件は
夢は見るべくして見ている
という1本にまとめました
もうひとつの夢は、能動的な
夢ではなく、どこからともな
く降って来るメッセージを受
け取る受動的かつ希少な夢。
割と最近の夢では、
コロナは背中からやってくる
夢の中でもNZの新型コロナ
対策を率いる実際の医務技監
が登場することが重要
で、
これについてもまた書こう
今から10年も前の夢では、
福音:スネヲヒヤスナ
これなど夢に脈絡なく割り込
んできたメッセージでした。
いずれも夢の中で衝撃を受け
起きてからもそれが続いて、
書き残しておいたものです
いまだにメッセージに敬意を
払って、いずれも日々の生活
に活かすようにしています。
旅行記に戻る前にもう1本
心に余裕がないと夢は見ない
という気づきの中でストンと
腑に落ちた事がありました。
「不登校や引きこもりになる
のは、身体の代替である家か
ら心が離れられないからだ」
自分には経験がないのにナゼ
か「家から離れられない」と
いう状況がクリアに理解でき
離れられない人の苦しみに、
少し近づけた気がしました。
この辺の感覚は人によるので
しょうが、自分の身体の次に
なにが最も身体に近いのか。
近さは心地よさだったり、安
心感につながるのでしょう。
例えば自分のベッドや車、
部屋、家、さらには故郷か。
長い時間を過ごし、身体に
馴染んだ場所なのでは
夢の中で幽体離脱を繰り替え
すように、日中はベッドから
起き出し、家や部屋を出て、
通学・出勤や外出をし、用が
済めば家や部屋に帰り、自分
のベッドで眠る。夢を見てい
るときは、魂は身体を抜け出
してあちこちほっつき歩く。
私には合点がいきました
日中に家や部屋を出られない、
寝ている間に身体を抜け出し
て夢を見られないというのは、
離れられない事情がある
というのが
久々の夢の記憶で
実感することができました。
一瞬でも雪景色
という住ん
でいるオークランドにはない
クリアな夢のシーンを思い出
すことができ、目覚めた時に
元気づけられた気がしたのは
また離れられるようになった
と理解できたからなのです。
次回は本当に、オタゴはダニ
ーデン旅行記に入ります
(※ダニーデン駅)
「最近、夢を見ないな~」
という自覚がありました。
目が覚めた時におぼろげな
残像がスッと消える事があ
り、見るには見ているので
しょうが、夢日記として記
せるようなものではない、
うたかたの夢
数日前に久々に夢を見て、
起きても覚えていました。
真っ白な雪景色のオタゴで
「こんなに降るんだ~」
と驚きながら「私」はどこ
からかそれを見ています。
テレビやネットの画面を見
ているわけではなく、臨場
感はあっても寒さを感じず
雪の上にもおらず、ドロー
ンで俯瞰するような視線。
夢の中でよくあるポジショ
ニング。地上から2~3mの
所から見下ろしています。
夢日記をつける中で徐々に
夢は幽体離脱体験である事
を自覚していった私にとり
魂が地上2~3mで浮遊して
いるのは合点がいきます。
オタゴの雪景色に深い意味
はなさそうです。寒波で南
島の気温が下がっていると
聞き、たまたまオタゴ旅行
の写真を目にしたことで、
夢の中でフラりと立ち寄っ
たぐらいのことでしょう。
それでも真っ白な美しい雪
に感動し、久々に見た夢を
断片的に覚えていました。
この経験から気づいたのが
心に余裕がないと夢は見ない
ということ。ここ3ヵ月ほど
身体より心を占めるものが
あり、そのせいで寝ている間
に心が身体を離れて自由に飛
び周る余裕がなかったよう
再び身体を抜け出し始めた
心にしめしめと思いつつ、
次ぎはダニーデン旅行記です。
それで写真を見ていました。
(※オタゴ大学)
夢関係3連発(笑)
久々に
夢を語っていて
気がついたのでもう1回
2019年12月に書いた夢日記
4階建ての家
30年来の友人と4階建ての家
を共同で建て、モダンな家の
4階の部屋を夫婦の部屋とし
すぐ隣が友人の部屋でしたが
彼女は不在で会えなかった、
という何気ない話でした。
新築でモダンな中層の家よりも
築75年の木造の平屋の家に
猛烈に帰りたいと思う自分
と書き、夢の最後は焦燥感に
駆られて夢が途絶えました。
その4ヵ月前には連載で書いた
死後の下見:天国の知り合い
の中で、夢の中で部屋を探す
という状況について自分で、
建物まではたどり着けても、
自分が入るべき部屋がない
それこそ自分が生きている証左で
死後の下見たる所以なのでは
部屋が見つかるときは
下見ではないのでしょう。
と書いていたではないですか
4ヵ月後の夢で建物にたどり
着くどころか、気に入った
部屋まで見つけてしまう
しかし、部屋を決めたあとに
NZの今の家を思い浮かべて
「あそこを出るのは嫌。」
とはっきり答えを出している
ところに、自分がまだ死ぬ
準備ができていないのだ、と
今になって気がつきました。
好奇心の翼は夜な夜な大きく
広がって、「私」はあちこち
出向き、生と死がどこでどう
切り替わるのか繰り返し下見
をしているようで興味深い。
こうして夢を振り返り、思考を
深めることができるだけでも
夢日記をつける意味がある
夢は見るべくして見ている
続けてますますそう思います。
次回は旅行記に戻ります。
絶賛2年遅れ中💦
次男に
赤ちゃんがいた!
という衝撃の夢の話です。
コロナのパンデミックで
次男と3月上旬から一緒に
暮らし始め、2週間後には
イギリスからGFもやって
来て
まさかの4人暮らしを
しているとはいうものの
(※2人で仲良く料理中
)
23歳と20歳の大学生の2人に
赤ちゃんというのは、夢の中
でも驚きましたが、それ以上
に嬉しさでいっぱいでした
しかし、目が覚めた瞬間に
夢の意味を理解しました
あれは予知夢などではなく
次男がお腹に括り付けて
いたのは次男自身でした
ちょうど数日前に次男が
赤ちゃんだったときの写真
の話を2人としていました。
次男は生後9カ月で腸重積
という腸の皮がくっついて
しまう恐ろしい病気になり
入院したことがありました。
その時の話をしながら、
「無事に育ってよかった」
と心から思ったことが夢になり
今の本人が当時の本人をお腹に
括り付けて登場したのです。
それは『自立』の姿でした。
目覚めた瞬間に降って湧いた
ように意味を理解しました。
「自立して、もう親として
心配することはなにもない」
と悟っていたのか、夢の中で
スマホをのぞきこむ次男に
「私」は声をかけませんでした。
しかし、まぁ、私の夢では
「ホテル」と
「エレベーター」
が完全に基本設定らしいです💦
ややご無沙汰していました。
多忙と
旅行で更新が疎かに
今日からいつものペースに
戻りたいと思います(祈)
=============
2回り年上で同じ寅年
今年81歳になる、
スー
彼女とは民族や年齢を超えた
理解と共感がありました。
その中でも一番の共通点は
本当の孤独を知っている
ことだと思っていましたが、
彼女は若い頃の辛い経験が
尾を引いているのか、
人付き合いには慎重で
なかなか心を開きません。
私たちはボランティアで
知り合いました。人の善い
優しい仲間が多い中でも、
スーは頑なな態度や発言で
孤立してしまいがちでした。
私はできる限り中立に
スーの人付き合いの悪さ、
というよりも未熟さを
受け流すようにしていました。
私たちはNZの美しさへの
愛と称賛では一家言を持ち、
海よりも山や湖が好き
(海派のキウイの中では少数派)
南島より北島が好き
(NZの観光地は南島に集中)
という共通点もあり、旅の
話が尽きませんでした。
「だから私は海外に行かないの。
前は行ったけれど、そのたびに
やっぱりNZが一番いい!
と思って帰って来るので、
もう行くのをやめたの。」
「そうね。私もそうだわ。」
深く考えずに、私は相槌を打ち
話を流してしまいました。
NZが一番いい!
というのは揺るぎなく、
その点は私の本心でした。
その会話は2015年頃の話で、
今に続く一連の海外旅行や
海外不動産投資を始める前で
私も日本や香港への里帰り
以外では、まったく海外に
行っていませんでした。
それが2016年に入るや、
夫が思いがけず
「旅行元年」宣言を出し
年に何回も海外に出かける
今の生活が始まりました。
ちょうどその頃からスーは
ボランティアを変わり、
私たちはなかなか会う
機会がありませんでした。
2017年に入ってみんなで
集まったときに、珍しく
スーもやってきました。
他愛もないおしゃべりの中で、
70代後半の仲間の1人が、
「知ってた?この子ったら
ハワイのホテルの1室を買って
これから毎年行くのよ
」
と、私を話の肴にすると、
スーは燃えるような瞳で
私を見つめ、無言でした。
失望を露わにした硬い表情に
私は取り返しのつかない事態に
なったことを悟りました。
人付き合いに慎重で、なかなか
心を開かなかったスーの心は
私に対してもピシャリと閉じ、
2度と開きませんでした。
スーは仲間の中から完全に消え、
誰が誘っても来なくなりました。
些細な誤解を解く機会もないまま
月日が流れ、スーはときどき
白い清楚な木綿のネグリジェで
夢に登場しては、彼女そのままの
声と仕草で声をかけてくれます。
メルボルン旅行記の続きに
戻るはずが、夢日記からの
脱線脱線また脱線ついでに
また連載
天国の知り合いとして
夢日記の中で2回は登場している
白いネグリジェの高齢で白髪の
リアルの友人スー
彼女は私より2回り年上なので
同じ干支で寅年
です。
そのせいか私たちは共通点が多く、
民族や年齢を超えた理解と共感が
ありました。
その中でも一番の共通点は
本当の孤独を知っている
ということだったと思います。
彼女はNZの地方の出身で
近くに学校がなかったため、
ホームスクールと呼ばれる
両親が家で勉強を教えることで
小学生レベルを終え、その後は
オークランドの私立の女子校の
寄宿舎に入りました。
学校生活を送ったことがない
彼女はそこでいじめに遭い、
孤立してしまったそうです。
寄宿生活では逃げ場もなく、
辛い学生生活を送ったそうです。
その孤独の中で多くのことを
学び、強くなり、賢くなり、
優秀なリケジョとなって
生涯の伴侶となるご主人と
大学時代に知り合いました。
私は学校でいじめられた経験は
ないものの、家で母親から
執拗に追い詰められる子ども時代
を送っていたので、逃げ場のない
本当の孤独を知っている
という点で彼女と似ていました。
お互い基本的に1人か夫婦で行動し、
友だち付き合いは最小限にとどめ
その辺の感覚もよく似ていたのに、
一時は固い友情のようなもの(笑)
で結ばれるほど意気投合しました。
しかし、ほんの些細な誤解から
疎遠になってしまったのです。
(つづく)