2019年8月のパース2日目のフ
リーマントル散策が続きます。
フリーマントルといえばコレ

なんだそうで、初めて知った
フリーマントル刑務所の存在

州や国家遺産だけでなく2010
年には国内10カ所の史跡とと
もに『オーストラリアの囚人
遺跡群』として世界遺産(文化
遺産)に登録されたそうです。

オーストラリア建国の歴史は
イギリスからの流刑囚なくし
ては語れないということを、
オーストラリアの都市部を回
るたびに実感してきましたが

パースもまた、そうでした

オーストラリアには1788~
1868年までの間に16万5千人
の流刑囚が送り込まれ、うち1
万人がパースに送られました。
刑務所は流刑囚施設として、
1851~59年にかけ石灰岩で建
設され、1855年より収監が始
まりました。1868年に流刑制
度が廃止されて以降は通常の
刑務所として使用されました。

偽札造りで1863年に流刑囚と
して到着した建築士兼土木技
術者トーマス“サタン”ブラウ
ンが1864年頃に描いた施設
刑務所は1991年に136年の役
目を終え、長い本格的な修復
を経て、今は流刑囚の歴史を
伝える博物館兼観光施設に。

1912年頃のゲートハウスと門衛

1855年完成。時計はロンドン製
ゲートハウスには小さな博物
館があり今は気軽に入れます
が、収監された者はどんな思
いでこの前に立ったことか。

入所と出所は必ずこの門から
行われていたんだそうです。
当局はこの重要な歴史的建造
物の永久保存に取り組んでお
り、『永久』という明確な目
標的への情熱を感じました。

19世紀から21世紀。そしても
っと先まで伝え続けたい史実
建物の中央に位置するイング
ランド国教会の礼拝堂の変遷
左が改装前、右が改装中・後

2005年の改装前。ペディメン
トにはVR(ビクトリア女王)1855年

改装後は文字が取り払われ
元来のライムストーンに

ゲートハウスの内側。中庭の
ような造りでカフェや店も

古の囚人たちはまず石の切り
出しから建設を始めました。

労働力欲しさにスリなど軽犯
罪でも流刑になった史実もあ
るそうで、植民地政策は先住
民だけでなく、犯罪者にも過
酷な政策だったのが分かり、

アメリカの独立で広大な植民
地を失い、奴隷制も諦めざる
をえなかった19世紀イギリス
の新たな植民地政策として、

流刑制度はいつまでも語り継
がれる

