ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

パース行:19世紀の新たな奴隷制度

2021年09月26日 | オーストラリア:パース

2019年8月のパース2日目の
フリーマントル刑務所は個人
的に非常に興味深い場所だっ
たので、もう数本続けます


刑務所という概念がなかった
1700年代までは、犯罪者は絞
首刑、鞭打ち、火あぶりなど
公会刑に処されましたが、社
会の発展とともに、犯罪者へ
の処罰は刑務所という非公開
の場所へと移されました。


流刑囚時代の処罰は鉄の足か
せをつけての重労働、独房監
禁、鞭打ち、食事の制限など
で足かせ以外は1900年代に入
っても続けられたそうです。



足かせや鞭打ちはブリスベン
の博物館
でも見ていました。

(※ブリスベン博物館にて) 


西オーストラリア州での流刑
植民地(Penal Colony)の建設
は1849年から始まりました。


1788年のシドニーを中心とす
るニューサウスウェールズ州、
1824年のブリスベンを中心と
するクイーンズランド州より
大きく遅れて始まり、終了も
また1868年と遅れました。


約18年間に延べ43隻の船が計
9,721人の主に20、30代の若
い流刑囚をフリーマントル刑
務所に送り込み、1868年の囚
人船の廃止以降も流刑者移送
は1886年まで継続したそう。


1840年代の西オーストラリア
は深刻な労働者不足からイン
フラ整備が進まず、入植者が
東海岸へ移る中、植民地崩壊
の危機に立たされ、本国に懇
願し流刑植民地として再出発
することになったんだそう。


囚人の受け入れに当たり、本
国に3つの条件を出しました。
①女性流刑囚の受け入れ
➁政治犯の受け入れ不可
③重犯罪者の受け入れ不可


①は最初から実施され、➁③
は早々に反故にされました。


工事や製造の『熟練者求む』
という条件もあったそうで、
本国は現地の要求に応じて、
人繰りを確保する人材派遣業
のような役割を負い、流刑者
がアフリカの黒人に代わる新
たな奴隷だったことは明白で

足かせがその象徴に思えます。


処罰の対象となる囚人は所内
の鍛冶場で足かせをはめられ
その重さは刑に応じて30~40
ポンド(14~18kg)で、刑罰を
終えるまでつけさせられ、外
した時には足首が硬くなって
跡は一生残ったといいます。

(※ブリスベンで刑期を終えた
J・ウィリアムズと足かせ痕)


1850~60年代のフリーマント
ルでは、早朝からジャラジャ
ラという聞き慣れた鉄鎖の音
が鳴り響き、『チェーンギャ
ング』と呼ばれた足かせをさ
れた囚人たちがゾロゾロと現
場に赴いて行ったそうです。


囚人たちは矢印のついた派手
な囚人服を支給されました。



この時からすでにオーストラ
リア色で、カウボーイハット
を被っているのには驚き



この姿で現場へ行き1日10時
間の長時間労働と粗末な食事

囚人は刑罰のためではなく植
民地建設のために送られた。

と言われる訳がわかります。


当時の書物には囚人を指し、
『まるで国家の奴隷
(Crown serfs)のような』

と記され、中世の農奴(serfs)
を彷彿とさせる残酷な状況。


1850~62年の間に囚人たち
は、まず自分たちが収監され
る刑務所を建設し、その後は
高速道路を含む563マイル(約
1000km)の道路、橋梁239基
を建設し、井戸44本、排水溝
543本を掘り、桟橋2ヵ所、主
要道路沿いの36マイル毎の宿
泊所なども建設し、伐採した
樹木は4千本、切り出した石は
数えられないことでしょう。


囚人たちが造ったライムスト
ーンの塀の前を行く少女たち




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2 コメント

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みことさんへ (遅生)
2021-09-26 10:56:34
日本ではほとんど知られていませんが、オーストラリアのダークな部分が浮かび上がりますね。
私も、英国からの島流しくらいにしか思っていませんでした。
返信する
遅生さんへ (みこと)
2021-09-26 13:30:44
仰るとおりで、私もオーストラリアに行くまでは凶悪犯の島流しぐらいにしか思っていませんでした。

植民地政策は結果的に、国家として発展してしまうので、後付け講釈で美化されがちですが、先住者だけでなく自国民にもこれだけの犠牲を強いたのかと知ると驚愕とします。

それを正直に額面通り後世に伝えようとする、今のオーストラリアの取り組みは貴重だと思いました。

パースは本当に刑務所=観光地でした(笑)
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