2023年3月のタスマニア2日目
世界遺産ポートアーサー史跡
でのハーバークルーズを終え
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再び史跡内の散策を再開。な
にせ広い場所なので歩け歩け
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/d1/cb139aad2217e66b77ae7b1fa491a005.jpg)
海から広々とした高台に続く
刑務所の左側にあたる場所は
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/b6/04928c0cb8e8950cbea51c9564304e9c.jpg)
かつては今や想像もつかない
ほど、建物が密集していまし
た。その規模はどんなに丁寧
な解説や逞しい想像力をもっ
てしても追いつかないほど。
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(※写真は1860年頃)
それらは刑務所を管理する司
令官を頂点とした軍人たちの
執務室や宿泊棟でした。囚人
が増えるにつけ、こうした施
設も増え続けていきました。
立派な石造りの司令部の入口
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/d8/66b348d633185766dad37a176429fa33.jpg)
石とレンガの司令官執務室
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/c8/d81f4bd13bf55bd91f8ab8a0ffad607d.jpg)
大きな窓から刑務所が見え
出入港する船、続々とやって
来る囚人、兵站所に荷揚げさ
れる物資が良く見えたはず。
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流刑地ポートアーサーの礎を
築いたチャールズ・オハラ・
ブース司令官。在任は1833~
44年の11年間に渡りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/80/fc01e0b486b67cf2a45aea9106388c72.jpg)
ブースは厳格さと公平さで知
られ、すべての囚人を罪状に
かかわらず平等に扱い、制度
に一定の透明性を導入したこ
とは、当時としては画期的で
した。同時に例外を認めない
硬直した管理体制でもあり、
良くも悪くも軍隊的でした。
ブースが建設を急いだ監視塔
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/87/467ed3f5f6977e7c42901aa884a522cd.jpg)
19世紀にあっても「中世的」
と揶揄された装飾的な外観
1年間かけて1836年に完成
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/3b/597e1e9a5e1ce6e5fd70cc26eddfbd8a.jpg)
司令部や兵舎の警備が目的
監視塔の後ろ高台にして最後
部に兵舎3棟がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/34/6cc245a96fe9b14a62cd69b4a3bf1757.jpg)
当初は軍曹1名、兵士15名用
の木造1棟でしたが、1844年
には将校3名、兵士249名に
なり、48年には3棟目が完成
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/65/7dda0d3fcb9558d528b54202b6fd7b7b.jpg)
塔から続く階段の先が兵舎跡
この2軒からなるコテージは
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/96/caf9e38c91ed016116e419e6f8adc292.jpg)
タワーコテージと名付けられ
(※監視塔の右後ろにあった)
1854年に完成した現存の営舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/97/85bf984cf4d8586b85be528c55ae3a18.jpg)
妻帯者の将校向けでした。
模型でもちゃんと黄色い建物
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/1d/46d95f256dcfb15b7895322ad6ea1135.jpg)
(※左側)
増築を繰り返したのが見て取
れる小さな建物群は司令官の
使用人部屋、洗濯部屋、厩等
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/36/1151361b831a78846fe32f50498140ed.jpg)
1877年に刑務所が閉鎖され、
民間に払い下げられると、建
物の大半は取り壊されたり森
林火災で焼失したりし、レン
ガが持ち出され荒廃した姿に
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/29/ebe0ecc8676f5e200e032a91d934db01.jpg)
元はどれだけの量があったか
レンガは官民の建物に再利用
され、今もホバートのどこか
に残っていることでしょう。
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多くは建物の擁壁を残すのみ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/c2/92264356bbcfb06f57f4c85fbaa8f324.jpg)
監視塔は払い下げ後は博物館
になり森林火災も免れたもの
の、タワーコテージは1897
年の火災で半焼。再建後は養
鶏場として利用されたそう。