ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

アデレード行:「白人」になるために

2019年12月22日 | オーストラリア:アデレード

仕事納めや体調不良、
他のブログの後出し解消で
今度はこのブログが止まる💦
というあちら立てばの展開。


今年も残すところ3日となり
希望的観測では年内に終わる
はずだったこの旅行記も
年越し決定です(笑)


まぁ、すでに1年半遅れなので
年越しだろうがなんだろうが


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2018年5月の初アデレード
12話目ですがまだ2日目の話で
移住博物館の特別展の続きです。


『私の絵が私を語る』

クニ・ジューン・アン・マキナニー
Kunyi June Anne McInerney
というアボリジナルの画家の
絵と文の展示でした。


オーストラリアで1967年まで続いた
白人との混血児として生まれた
アボリジナルやトレス海峡島嶼系
の子どもたちを親から隔離し、
白人としての教育を受けさせた
同化政策による「盗まれた世代」。
クニは典型的なその1人でした。


最初に目にしたのはこの絵でした。

子どもたちの楽し気な声が聞こえ
てきそうな活き活きとした描写。
しかし、ズラリと並ぶ10個の
おまるが非日常を物語ります。


私は自分の生い立ちを伝えたい。
そうすれば、これが2度と繰り返される
ことはないでしょう。私は自分の
家族、言語、文化を奪われました。
私の話は作り話ではなく、真実です。
ぜひ皆さんに知ってほしいのです。」


ク二の絵も文も非常にストレートで
観る者の心に真っすぐ届いてきます。
子どもの目を通じた正直な真実の
いかに力強いことか。


クニが収容された場所は子どもの家
と称されていましたが、親の元に
帰るとはできず実質は孤児院でした。


そこでの生活が鮮やかな色彩で
平易に淡々と描かれています。



子どもらしい日常に笑みが

こぼれそうになりますが


「白人」になるために収容されて
いるのですから、日々の生活は
過酷な現実と表裏一体でした。



部屋の隅に立たされる罰

孤児院の生活は軍のキャンプ
のようなもので、怒鳴られ
叩かれ、時には部屋の隅に
1日中立たされることも。


シスターたちは言うことを
聞かないと罰を下すのですが、
英語にも白人の習慣にも
不慣れな子どもたちには、
何を言われたのかわからない
ことが’多々あったのです。


「おむつの罰」と題された絵

おばあちゃんが教会に来たのに
一緒に帰ることを許されず、
それを悲しんで泣くクニに、
泣くのは赤ん坊の印とおむつを
履かせる罰がくだされた様子。


「禁じられた新聞」

飛んできた新聞に、疾走する
馬の写真がたくさんあり、
みんなで喜んで見ていると


カンカンに怒ったシスターが
棒を持って現れ罰を受けました。

英語の読み書きができない
子どもには競馬も賭け事も
わかりようもないのですが、
罰せられてしまいました。


「からしの罰」

大さじのからしを口に入れられ
吐き出すなと怒鳴られました。


「ジャガイモ袋の罰」

遊んでいる時に服を脱ぐと
ジャガイモ袋を着せられて
罰せられました。


「おねしょ」

おねしょをした子は日の出前に
濡らしたシーツ代わりのラグを
洗わなくてはなりませんでした。


真っ暗な中、どんなに怖くても
庭を通って洗濯部屋まで行くのです。
クニは収容されて早々におねしょを
してしまいますが、その時わずか4歳。


小さな後姿をそっと抱きしめて
あげたいほど切なく哀しい光景。



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