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ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

シドニー行:見て食べてフィッシュマーケット

2019年01月10日 | オーストラリア:シドニー

20ヵ月前のシドニー旅行記もとうとう21本目。
今現在で右のカテゴリーの
サンシャインコースト(17本)
ブリスベン(16本)
を抜いて、オーストラリア1位


でもオーストラリア・デビューだった
2016年8~9月のサンシャインコースト・ブリスベン旅行記は計27本
今回もそれぐらいになるのか?
(↑出たとこ勝負



=============



4泊5日だった旅はとうとう4日目を迎えました。

またまたココで朝のコーヒー


私たちは毎朝バナナがないと始まらないおサル夫婦
(※キウイにはありがちで、こういうところはしっかりキウイ)

併設のスーパーでバナナを買うのも旅行中の日課でした。


その後向かったのは



ダーリングハーバー

でも目的はここではなく、さらに歩いて


シドニー観光の目玉のひとつ

フィッシュマーケット


誰かがわざと挟んであげたらしい魚のあらをつつくカラス

NZにはいないので、物珍しく感じます。


店内はこれでもか、これでもかのシーフード



イカ・タコが豊富なのは羨ましい~



マッスルはNZ産でした。



スパナクラブ(アサヒガニ)

エビとカニの中間のような縦長のカニ(笑)



マッドクラブ(ノコギリガザミ)

シンガポールだとチリクラブやペッパークラブになるアレ


こちらのはデッド・マッドクラブ

すでにご臨終(笑)


あえて「デッド」と断りたくなるほど生きているものが多い



押し合いへし合い元気はつらつ



エビ好きにはたまらない光景



やっぱりオイスターは外せない



目の前が海で、漁船がたくさん停泊していました。

大都会の真ん中なのが信じがたい光景。


さっそくオイスター



最大手の店は店舗の大きさも従業員の数も圧倒的な規模



圧倒されて思わずエビをゲット(笑)



ホタテは日本産



キングクラブ
写真では伝わらない重量感

キロ当たり1万3,000円なり~
1匹3~5万円しそうに見えました。


マーケットとはいえ観光地も兼ねている分、

調理してありそのまま食べられるものも。


食材を買ってその場で調理してもらえる店もありましたが

量が多いので2人ではムリでした


ホタテの煮汁を春雨に吸わせるのはいいアイデア

「家でもマネしよう
と思ったのをこの写真で20ヵ月ぶりに思い出しました(笑)


美味しそうなものがテンコ盛りで、朝食も抜いて臨んだのに

意気込みほど食べられずに残念
50代となるとこんなもの(涙)


夫が感動していたミニタバスコ

見てよし食べてよしの楽しい場所でした

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夢見:エノキダケ

2019年01月09日 | 浅き夢見し

「私」は実在する古い女友だちとキッチンにいました。
そこは彼女の家で、「私」は遊びに来ているところでした。


たわいもないおしゃべりをしながら、彼女が調理しています。
料理好きの料理上手らしく、見惚れる手際のよさです。


彼女がぱっと取り上げたのは、乳白色の扇のようなもので、
よく見るとエノキダケでした。


根に近い部分はつながったままで、先が丸く開いているので
扇のように見えたのです。


鉄板らしきものの上で焼いていたので、先が少し焦げています。
それがまた美味しそうで、タレでもかけて食べるつもりのよう。
素焼きの香ばしい香りがしました。


見て、匂いをかいだだけで、五感が喜ぶような気がして、
「これは身体にいいものに違いない。彼女は料理が上手いな。」
とレス・イズ・モアな調理に心から感心しています。


彼女は「(東京の)神田でエノキの種を買った」と言っており、
「よくNZに種が持ち込めたな~」
と思ったところで夢が途絶えます。
(※実際の彼女はインド在住



=============



夢にまで見るなんて、どれだけキノコ好きなんでしょう(笑)
特にエノキは、NZではありそうでなかなかない食材。


どこに旅行してもエノキなんて山積みなのに

@シドニー
まさにパディーズマーケットで見ました



@ブリスベン



@ハワイ
ホノルルやワイキキはもちろんのこと、
これはハワイ島のヒロにて


NZでも去年になってやっと小袋入りのものが登場



1袋約300円とまだまだ高く量も少なめですが

好物には勝てません(笑)


夢で見た素焼きをやってみようかな?

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シドニー行:夜のチャイナタウン

2019年01月08日 | オーストラリア:シドニー

ダーリングハーバーから路面電車でやってきたのは



チャイナタウン

ちょっと意外な古いレンガのランドマーク
チャイナタウンになる前からの建物のよう。


パディーズマーケットという名前の市場が入居していました。

パディーだなんて「アイルランドの太郎さん」みたいな名前。
しかもアイルランドのグリーン


特にド中華という訳ではなくむしろ東南アジアな感じ。

夜6時まで開いているというのはビックリ


しかし、その周りは見まごうことなきチャイナタウン

漢字の看板だらけ


こんなのもありました(笑)

ネオン輝く中国銀行


路面電車の工事中で辺りはこんな状態。

オークランドのドミニオン・ロードもこうなるのか?


これって香港の自動車教習所

懐かしい~
シドニー支店なのか?


この辺は観光客向けというよりも中華系住人向けで

NZ移住まで20年暮らした香港やアジアが彷彿とされます。


旅行会社、美容、翻訳、会計士など生活感溢れる場所。

階段の一段一段に宣伝するのは、香港の古い雑居ビルで
あるある(笑)


さらに、もれなくあるのが

不動産屋


行列ができていた皇帝餅なるミニパフ



こんなパン屋は香港の下町のまんま



こちらは台湾系



アワビ専門店



肉骨茶だから

シンガポールかマレーシアか?


ナインドラゴンズだなんて、

まんま九龍(爆)
香港すぎてウケました


迷いに迷って夜ご飯はここに。

湖南料理はオークランドでは見ないなぁ。


シェフからウエイトレスから、何もかも募集していました。
(※ガラスドアの張り紙)

二階席もあり席数が多いところに期待。


というのも平日だというのに、かなりの店が順番待ち。

名前を書いて番号札をちぎって待つシステム
香港の飲茶と同じ。


凝ったインテリアといい、こうした演出といい



プラ食器にまで店名が入っているところをみると

中国のチェーン店のよう


2人でもいろいろ頼める少量なところがありがたい。

一人っ子&少子化だと今どきはみんなこんななのか?


干煸四季豆



正統派回鍋肉

脂身たっぷりな庶民の味


サクッと食べるにはいい場所でした。



隣の席のアジア人女性2人が盛んにマルチ商法の話をしていて、
1人がもう1人を熱心にリクルートしているところでした。
「あなたの下に誰かつけば、あなたはこんなに儲かる
みたいな話をしていて、


「で、この人をリクルートしたらあなたはいくら儲かるの
と聞いてみたいほどでした(笑)


帰りに立ち寄ったドラッグストアはまるで香港のワトソンズ
買い物している人もアジア人ばかり(含:私たち)

手前のスーツ姿の男性は不動産屋で新築の分譲中
この時点で夜8時半
こんな時間に不動産買うのがアジア人(爆)

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シドニー行:開発民主主義

2019年01月07日 | オーストラリア:シドニー

ダーリングハーバーには

ありとあらゆる種類の船が


古いもの



新しいもの



速いもの



遅いもの



旅客輸送から



ハーバークルーズまで

おびただしい数


インターナショナルタワーが遠目だと

直立する毛虫のように見えたのは(素)


冷房効率を高めるためと思われる

無数のパネルが着いているからでした
これが毛羽立って見えるんですわ。


周囲はグルっと飲み系の店

朝から飲めそうな雰囲気(笑)


インターナショナルタワーができるまでの

アイコンだったと思われる3棟


ピアモント橋

普通の橋に見えますが、なんとこれ旋回橋
下を航行する船のために橋が開く構造になっており、
今でもスケジュールに合わせて開閉されているそう


橋の上にある古色蒼然としたキオスクのような建物が

旋回制御室なんだそうな


制御室の屋根のカモメ



1988~2013年の25年間、橋の上には高架モノレールがあり、

今は撤去されて歩行者と自転車専用道路に。
そんなものができるのもスゴいけど、
なくなるのもスゴい(笑)


1905年にできたピアモント橋と

2016年にできたインターナショナルタワー。


ダーリングハーバーは1988年に建国200周年を記念して

大規模な再開発が行われました。
以前は倉庫や工場が立ち並ぶ場所だったそう。


ウォルシュベイのような場所だったのか?



レクリエーション施設やテーマパーク、博物館



ホテル、店舗、レストランが多数でき、



コンベンション&エキシビションセンターも建設されました。



2013年には一帯の新たな再開発でセンターは取り壊され、

2016年にインターナショナル・コンベンションセンター(ICC)
としてぐっと近代化して生まれ変わりました
2017年5月はまだまだピッカピカでした。


中国庭園も建国200周年を記念して中国・広東省が寄贈。

なかなか本格的な門構え


コンベンションセンターも橋の上のモノレールも1988年にでき



25年間の寿命を全うして、生まれ変わったり、なくなったり。

発展途上国並みの目まぐるしい変化


かつてのマレーシアには「開発独裁」という言葉がありましたが、
それでいけば「開発民主主義」なのか(笑)
資源国ならではの止まらない、止められない開発なのか。

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シドニー行:ダーリングハーバーまで

2019年01月06日 | オーストラリア:シドニー

シドニー博物館で200年以上を歩き回ってクタクタに



見聞したばかりの地理や建物を見に行きたくとも



街歩きをする元気がなく



足はサーキュラーキーへ

この日はクルーズ船が入港していました。


まさに水上のホテル



フェリーに乗ったら

オペラハウスがほぼ正面。


シドニーの摩天楼



対岸ノースショアの高級アパートメント



その間のハーバーブリッジ

歴史という来し方を知ると一段と親しみが湧きます。


下から見上げると本当に驚く幅です。

全長1,149m、幅49m、高さ134mなんだそうで、
2012年にバンクーバーに抜かれるまで世界で最も幅広い橋として
ギネス世界記録に認定されていたそうです。



車道8車線と線路があり、歩行者、自転車が同時に通過できる

実際に目にしてこそ感動する規模でした。


すべてが大きいオーストラリアの象徴に思えてなりません。



ウォルシュベイを通過。



その上を電車が通過していきます。

いつかオークランドのハーバーブリッジもこうなったら
(※海底トンネル案が有力ですが)


東側のオペラハウスから見るよりも

西日を受けて橋が明るく見えます


超高層ビル群が見えてきて



先には巨大な吊り橋アンザック橋

正確には吊り橋でも斜張橋というんだそうで、
アンザックはオーストラリアNZ連合軍のこと。


橋を支える2つの塔の上にはオーストラリア旗と
NZ旗が掲揚されているそうです。
こんな場所にNZ旗とは嬉しいじゃないですか
でもそっくりだから遠目にはどちらかわからない


ここにもクルーズ船が入港していました。

この規模の桟橋がいくつもあるんですねぇ


ウォルシュベイ並みかそれ以上の倉庫群ながら

どれもほぼ100年前のもの


いろいろな船が停泊していたり



航行していたり。



めちゃくちゃ目立つ最新の超高層ビル

HSBCが入居しているぐらいだから金融の新たな中心
インターナショナルタワーというんだそうで、2016年完成。


こんな場所に住宅もあってビックリ



やってきたのは

ダーリングハーバー

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シドニー行:200年を以上を歩き回って

2019年01月05日 | オーストラリア:シドニー

「父上」「息子」と呼び合ったフィリップ総督とベネロング
 


その話だけならば、植民政策の理想のような展開ながら、
そんな植民地が世界中のどこにもなかったことは史実であり、
親密な2人にも様々な思惑があったことは想像に難くありません。


先住民族たちは、「仕返し」やその他自分たちの掟をもって
入植者たちと渡り合おうとしたものの、相手には通じず、
関係はすぐに行き詰まってしまいました。


入植者たちは侵略者であり、略奪者でした。
アボリジニの掟を次々に破って土地や女子どもを奪い、
生活の場である森を焼き払う恐ろしい人々でした。


入植者と先住民の小競り合いが絶え間なく続き、
銃で武装した入植者への抵抗は命がけでした。
そして流血の惨事が繰り返されていきました。


ぺムルウェイという類まれなリーダーは各部族の戦士を率い、

(※ぺムルウェイ)


植民政府に抵抗し、ベネロングと正反対の道を選びました。

(※ボディペインティングを施したアボリジニの戦士たち)


1797年のパラマタの戦いでは自らも被弾して重体となり、
病院で手当てを受けましたが、その後病院を抜け出し、
不死身説が出たり、首に賞金がかけられたりしました。
1802年に射殺されるとその首はロンドンまで送られました。


1810年には5代目にして最後の総督ラクラン・マッコーリーが着任。
シドニーの道路網や数々の公共建築の建設に着手するだけでなく、
元流刑囚に入植者としての機会を与え、街の発展を急ぎました。


マッコーリーの下、ニューサウスウェールズ州は流刑地から
貿易都市へと変遷を遂げ、オーストラリアという国家としての
概念が芽生え、彼を「建国の父」と称するのもそれゆえです。
1822年に帰任し、1828年には入植者だけで人口1万人以上に。


マッコーリーが帰任した1822年のパラマタ



マッコーリーが建設したハイドパークバラックス

当時は男性流刑囚宿泊施設、現在は博物館


1830年の服役中のギャングたち

みんな足枷をしており、いかにも悪そう(笑)


1844年にスザンナプレイスができています。

ロックスがスラム街と呼ばれていた頃。


鉄道が次々と敷かれ



20世紀を迎えても



街やインフラの拡大が続き



1940年代でこのモータリゼーション

なんと豊かな暮らしぶり


私が生まれた1960年代にはこんな生活もあったんですねぇ



キャンプもしてるし(笑)



とまぁ、200年以上の歴史を猛烈に見て、読んで、歩き回って
くったくた(笑)
また再訪しましょう。


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シドニー行:総督官邸跡地に建つシドニー博物館

2019年01月04日 | オーストラリア:シドニー

2017年5月のシドニー旅行記も16本目となりました。
リアルでは20ヵ月遅れの話も、いよいよ3日目です。



=============



3日目の朝はココからスタート

バヒスタ・カフェ231
エリザベス・ストリートの231番地


目の前は緑豊かなハイドパークという立地



実はココ、到着した当日にも立ち寄っていて

コーヒーも


種類が豊富だった食事も



どちらも美味しかったので



再訪しました

で、全く同じものを頼んでいる私(笑)
朝からシーザーでスタートできるのが嬉しいポイント


なんとも可愛い

ディオールの店


女子力上がりそう

でも、今の私に必要なのは
生・命・力


ぶらぶら街歩きをしながらやってきたのは

シドニー博物館
初代サウスウェールズ州総督官邸跡地に建っています。


1788年に流刑囚700人以上を乗せた移民船が到着し、
着任したフィリップ初代総督が官邸としてこの地を選択。



官邸は増改築を繰り返しながら57年間使用されたそうです。



当時の間取りと



今でもそれが示された前庭



総督はシドニーの先住民族ガディガルと友好関係を築き、
紛争を回避し、食糧を確保しようとするものの上手くいかず、



あろうことか密使を送り込み、ガディガルの民を誘拐してきました。

こういうところが武官なんだろうか?


1789年に最初に誘拐されたアラバノオは天然痘で亡くなり、
2回目に誘拐してきたのはベネロングとコルビーの2人でした。


戦士だったコルビーは鉄の足輪をつけたまま数週間で脱出し、
ベネロングはその後5ヵ月間、囚われの身としてでありながら、
相互の理解と友好を深めるために、大切にされたといいます。

(※ベネロング)


ベネロングは総督と親しくなり、流暢な英語を身に着け、
総督と夕食のテーブルにつくこともあったそうですが、
誘拐から5ヵ月後には、コルビーを追って脱出しました。


誘拐から1年もしない1790年に総督はベネロングとコルビーから
招待を受けて出かけていきます。


クジラが供され、贈り物を交換し、友好的な会話の最中に、
総督は突然、長老に槍で肩を突かれてしまいます。
民を誘拐し、土地を搾取し、木を切り倒した侵略者への
仕返しだったとみられています。


肩を突かれた後の総督とベネロングの再会の場面
前のカヌーがベネロング、後ろが奥さん。

先住民の掟では仕返し後、許しと和解が成立するそうです。


その後、エオラ・ネーションのガディガル人との交流が始まり、
ベネロングと総督は一段と親密になり、ベネロングは総督に頼んで
シドニー湾の小島にレンガの小さな家を建ててもらいました。


その跡地に建つのが今のオペラハウスなんだそうな

小島は埋め立てで岬となり、ベネロング・ポイントと称され、
その名を永遠に残すことになりました。
(※オペラハウスのレストランの名前でもあるし


1792年には帰任する総督とともにベネロングも渡英し、
イギリスに2年滞在して帰国しました。こうして
ベネロングはヨーロッパから戻った最初の先住民となりました。 


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夢見:2019年初夢クリスマスの舟

2019年01月03日 | 浅き夢見し

元旦、2日とたくさんの夢を見ましたが、
今や何も思い出せず、残像すらありません。
かろうじて思い出せるのが今朝の夢。
これを初夢としておきましょう。



=============



長い長い夢で「私」は観光地のような場所にいます。
一緒にいるのは夫ではなく、現地の女性でした。
知り合いなのか、そこで初めて会ったガイドなのか?


私たちは辺りが暗くなった時間に川べりにいました。
川上の方からたくさんの小舟がゆっくり流れてきます。
良く見えませんが、周囲は大勢の人でざわついています。


舟といっても模型のようなもので、精霊流しのようでした。
大きさはさまざまで、絢爛豪華な宝船のようなものもあれば
壊れて原形をとどめない、瓦礫のようなものもあります。
すべてが同じ速度で目の前を通り過ぎていきます。


女性はそれを英語で「クリスマスの舟」と呼んでいました。


時は新年で、なぜ新年にクリスマスの舟を見ているのか?
「私」の中では、ずっと川上で流された舟が1週間かかって
流れてきたものと理解され、話に矛盾はありませんでした。


女性は目立つ舟を指さしては、「あの舟は・・・」と
解説してくれました。誰の舟だかわかっているようでした。


流れに乗り、ぶつかりも壊れもせずに下っていくものもあれば、
ただただモノとして、流されていくものもあります。
明かりや装飾で華やかに飾り立てられているものもあれば、
闇と水面の間に消え入るようなものもあります。


「2006年から流れている」
というようなことを女性が言い、慌ててそちらを見ると、
手りゅう弾のように楕円で表面が凸凹したアルミ製らしい、
舟というよりも小さな潜水艦のようなものが流れてきました。


高級感はなくても、ぶつかっても壊れないしたたかさがあり、
アルミの軽さと、金属ならではの強さと光沢がありました。
マットな表面は満身創痍なのか鈍い光を放っており、
2006年からという年月を見たような気がしました。


「私」はこれが初夢どころか、夢という認識もないまま、
「2019年はこうなるんだろうな~」
と漠然と思ったところで記憶が途絶えます。



=============


夢の中で「これは2019年」と感じていたので、初夢としました。


ほとんどが一目で舟と判る木製で、模型のようでした。
流れに乗れば矢のように進む反面、壊れれば木片同様でした。
散逸してしまったり、沈んでしまった舟もあったのでしょう。


「舟は人生」
と夢の中でさえ感じていました。


川は時間で、舟はみな同じ速度で過ぎていきます。
しかし、その姿は実に様々でした。


2006年から流れているという舟はどこが先頭なのか不明な
不格好な姿ながら、水に浮く1円玉の軽妙さがありました。


目が覚めてから、2006年からの時間を実感しようと、
「何があった年だっけ?」
と思った瞬間、


「そうか、この家を買った年だ
と気づきました。

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シドニー行:初めてのディンタイフォン

2019年01月02日 | オーストラリア:シドニー

ロックスに始まりロックスで終わった1日。

さすがに疲れて帰りは電車に乗ってみました。


夕暮れの中央駅

初めての場所は便利なホテルに限ります。


さっそくブーンカフェ



朝ごはんから8時間後に再訪(笑)

気に入るとひつこいというか、
満足度が高くて他に行けない
(※がっかりするのが残念なので)


隣のスーパーでは仕事帰りらしいアジア系女性が
小さな子どもとお買い物中でした。

子育てしながら働く姿はかつての自分と重なります。


そのまま夜ご飯でもOKな勢いだったのですが、

せっかくなので他に行くことに


やってきたのはディンタイフォン

小籠包が有名な台湾のレストラン
「なんで台湾小籠包は上海でしょ
という疑問が拭えなかった店へ初訪問


台湾人オーナーが上海で食べた小籠包に感激して
起業したとテレビ番組で知って、納得しました



噂通り、平日の雨の日だというのに30分以上待ちました



やっとテーブルに通され、店内もちろん満席

蒸籠のインテリアがインパクト大


初めてなので基本のキ

小籠包2、3種類


食べかけ失礼

皮が破れない技術革新に驚嘆
化繊のような布が敷いてあります。
タピオカかなにか入っていそうな弾力性
その分、食感もゴムのような感覚が残り
小麦粉だけのとは別物に感じました。


サンラータン

驚くほど具沢山ながら味は淡泊


上海びいきならと期待した担担麺は、
「おっ
と身を乗り出すものが来ました。

これも研究の跡がうかがえるけれど、味は普通でした(素)


さすが有名チェーン店だけあって、食事、サービス、スピードと
あらゆる面で目配り気配りがある、オールラウンダー。
卒がなく、スキもなく、でも感動もなかった(笑)


私たちにとっては
「並んでまで食べるものだろうか?」
という疑問が残り、再訪はなさそうです。


ただし、この時点で私たちはシドニーでは他の店でも
平日に並ぶ
ということを全く知らずにいました


帰りはぶらぶらとタイタウン散策

夜遅くまでたくさんの場所でスイーツを売っているなんて、


オークランドにはないレベルのアジア化です。

ここまで数があるなら、滞在中はアジア食を堪能しよう
ということに。

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シドニー行:カラハーズレーンとビッグディグ

2019年01月01日 | オーストラリア:シドニー

新年明けましておめでとうございます。
初夢は連続でいろいろと見たのですが、
見すぎて何も覚えていません


なので、2017年5月のシドニー旅行記の続きを
続いたり止まったりの気まぐれブログですが、
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
年内に2017年脱出が夢です(笑)



=============



スザンナプレイスを出ると目の前は不思議な空間

薄いネットのようなフェンスが立ち、奥には大きなYHA


フェンス右のホエーラーズアームスというのは、
かつてここに実在したホテルの名前で、
左側の民家も取り壊される前の原寸大です。


ここはグロスター・ストリートといい、



一本奥のカンバーランド・ストリートとの間は、

1788年に流刑囚700人以上を乗せた移民船が到着して以降、
彼らが多数暮らした、ロックスひいてはシドニー発祥の地


18~19世紀の暮らしぶりがうかがえる貴重な場所。

リアルな壁画


ということも、この時点ではよくわからずに

ブラブラ歩いていました(笑)


レンガの色、素材、不揃いさに時代の古さが感じられます。



やってきたのはカラハーズレーンという小さな小径

この小さなコテージは古そうだけど20世紀の家のよう。
試しにググってみたら普通に売買されていました(笑)



いきなりビックリな光景

この上はYHAや考古学教育センターになっていて、


まさに薄い不思議なフェンスの内側



剥き出しの岩にロックスというネーミングが実感できます。

あまりにも岩しかなく、先住民も住み着かなかった場所に、
流刑囚たちが住みつき、家によってはいつ誰が建て、
住んでいたかもわかっており、夫婦とも流刑囚とか(笑)


1809~1820年代にはジョージ・クリッブという有名な流刑囚が
ここで場を併設した肉屋を営んでいたそうです
クリッブは14年の刑に服しながらも、商業的に成功をおさめ、
借家も建てて入植者や元流刑囚に貸し出していたそうな。


クリッブは1810年頃に大きな井戸を掘り、水を確保しましたが、
からの汚水で汚染されてしまい、使えなくなりました。
井戸はゴミ捨て場となり、おびただしいゴミが堆積していきました。


そこから掘り出されたものの一部。

クリッブは酒の密造を疑われたものの証拠不十分で無罪に。
しかし、井戸からはアルコールの蒸留器が見つかり、
彼の有罪が証明されました


しかし、180年後に

1994年にビッグディグと呼ばれる考古学者とボランティアによる
一帯の発掘調査が始まり、さまざまな物が掘り出されたのです。
古くは1795年に建てられた30軒以上の家や
100万点以上の埋蔵品が発掘されたそうです。
蒸留器もその中のひとつ


YHAの中まで採掘現場そのままになっています。

生きた教育の場としては最高
修学旅行なら一石二鳥


カラハーズレーンは長い間スラムと称される場所でした。



1902年にここの住人だった15歳の少年がペストで死亡し、
州政府により周辺の家の取り壊しが始まりました。

ロックスではペストにより3人の死者が出たそうです。
(※ネズミの山~


取り壊し前のカラハーズレーン



今のカラハーズレーン

一部の石畳がそのまま残されていました。
次回はぜひビッグディグ考古学教育センターを訪ねてみよう


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