菩提寺である萬松山龍勝寺の葬儀に参列しました。曹洞宗の宗派お坊さんが大勢。
小田城の歴史とも関わりの深いお寺です。
小田氏8代孝朝公の崇敬深く、小田氏の祈願所となっていた。佐竹氏によって小田城が攻められたとき小田家縁故の寺であったために焼き討ちに遭う。小田城陥落後に佐竹氏の重臣である梶原政景氏が入部して寺は再建。関ヶ原の戦いで、佐竹氏は秋田へ国替となった。宗福寺と改号、住僧をかえることで焼き討ちを逃れる、家康公より仰せつかり、現龍勝寺にもどる。
秋田の佐竹義宣の家紋と同じ家紋「扇に月」が本堂には多く掲げられている。
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