2014年も暮れようとしていますが、私の母校が春の選抜大会で
初優勝できました、平安健児にとっては長年の夢であった、全国最多の
38回の出場回数で初優勝本当にうれしかったことです、
皆様にとっても嬉しかった出来事、また悲しい出来事があった事でしょうが
来年は皆さんに良い年でありますように、
木幡池にもヨシガモが羽を休めています、私も、もう一度足元を見直して
来年も元気でママチャリを乗り回したいと思います、
2014年も暮れようとしていますが、私の母校が春の選抜大会で
初優勝できました、平安健児にとっては長年の夢であった、全国最多の
38回の出場回数で初優勝本当にうれしかったことです、
皆様にとっても嬉しかった出来事、また悲しい出来事があった事でしょうが
来年は皆さんに良い年でありますように、
木幡池にもヨシガモが羽を休めています、私も、もう一度足元を見直して
来年も元気でママチャリを乗り回したいと思います、
28日 今年も後3日で暮れようとしていますが、今日はお正月料理の
買い出しに付き合いましたが、日曜日の為か、それとも皆さん正月休暇が
始まっているのか、
久御山町の大型店はお客さんで大混雑、車を止めるのも一苦労
あれやこれやで1時間以上店内にいるとあまり気分のいいものではない、
25日片側を止めて土嚢入れ替え作業中に遭遇、白色の袋から黒色の
ビニール袋に入れ替えているが、白色の汚れが気になり、黒色に移し換えているだけ、
本質的な問題を解決せねばいけない、浸水してから1年半ぐらいなるのだから、
見栄えが良くなればいいのだろうか、
昨夜25日午後11時45分から4チャンネルで放送された「クリスマスの約束」を
録画しい、今日朝から見てみると、どこかで見たことがある場面があると
思っていたが、やはり前に放送されたものだった、
2001年から小田和正が中心になり多数のアーチストが参加され、私に
とっては楽しみにしていて番組だったので凄く残念です、
期待しているものが悪いのか、裏切るものが悪いのか、
師走です、今日は25日 京都北野天満宮の通称天神さんです、
心配していた天候にも恵まれ、皆さん今年最後の天神さんを
楽しまれていることでしょう、
加茂川散策中に
コゲラ アカハラ
を見つけましたので1枚パチリ
京都の風物詩の一つ全国高等学校駅伝大会が、絶好の駅伝日和に恵まれた
今日、西京極競技場発着で行われた、
午前は女子の部、大阪代表薫英が見事な走りで立命館宇治を逆転で破り
1時間7分26秒で見事初優勝を飾る、
地元立命館宇治は見事な走りで、8秒遅れの1時間7分34秒の2位でゴール、
3位は常磐 2連覇を目指した豊川は6位入賞を決める、
男子の部は午後、世羅高校が2時間2分39秒、7人全員が区間6位までに、
又、3.4.6区は区間賞、圧倒的強さで8度目の優勝を勝ちとる、
地元外大西は2時間9分50秒の39位となり上位入賞はならなかった、
烏丸紫明近くの応援風景
女子、熊本代表の有明高は部員5人で県大会を勝ち上がり、全員見事な走りで36位で初出場を飾る、
12月21日全国高校駅伝大会が、西京極陸上競技場発着コースで
行なわれます、
今回は男子65回大会の記念大会で都道府県47校、地区代表11校を
加えた58校で行われます、
女子26回大会、10時20分スタート、5区間21.0975m 室町小学校折り返し
今大会は初出場は3校
栃木 白鴎大足利高校 香川 高松工芸高校 熊本 有明高校
優勝候補は昨年優勝しい、連覇を狙う愛知 豊川高校 後を追うのは
4回目の優勝を狙う地元立命館宇治高校 群馬 常磐高校 岡山 興譲館高校が
虎視眈々と優勝を狙っています、
男子は午後12時30分スタート 42.195km 宝ヶ池折り返し
初出場は大阪 大阪高校 新潟 関根高校の2校
29年連続出場の広島世羅高校、予選最高タイムを持つ、埼玉、埼玉栄高校が
後を追うが、地元代表の京都外大西も10番台を目標に頑張ってもらいたい、
明日は朝から雨が予想されますが、21日は天候回復しい、晴れの予報が出ていますので
持てる力を発揮しい、都大路を思い切り駆け抜けてほしいものです、
フレ-フレー立命館宇治 フレーフレー外大西、
さむおすなぁと、昔の人は言ってはいたが、今の人はどのように言うのかなぁ、
それにしてもほんまに寒いですね、
皆さん年賀状作りは終わりましたか、
昨日、今年最後のパソコン教室で2回目の年賀状作りの最終日
大勢の生徒さんが参加され先生の指導でパソコンでの
年賀作りを初体験されていました、
第47回衆議院選挙が行われたが、投票率が悪いと言われているが
年の瀬の選挙に関心ないのか、又全国的に寒波襲来しているので
震え上がる寒さの為、投票所に足を運ぶのが・・・・・・
衆院選の投票率は、14日午後4時時点で京都は30%入っていないのではないか、
私の関心ごとは山口県で行われている第22回
全国中学校駅伝大会で京都代表女子の部
桂中学が「5区間」12キロ初優勝した、
桂中学「京都」村尾 塩見 高倉 高田 枚田 41分5秒
又、宮城県で行われて実業団女子駅伝でデンソのアンカー
石橋麻衣が優勝のテープを切る
デンソ-が大会新で2年連続の優勝を飾り、26チームの頂点に立つ、
タイムは2時間16分12秒
京都出身の西原 筒井 石橋 よく頑張りました、
、
年に1回の奥さん孝行を今年も9~10日に北陸山中温泉に
いつて来ました、京都を出る時は天候は晴れでしたが、北陸今庄付近は
雪が多く、ここ何年の間では一番多く感じた、
加賀温泉駅では小雨が降ってはいたが、迎えに来るバスに乗ると
後は旅館の玄関横づけなので濡れる心配はない、
夕食までには時間がたっぷりあるが、外を見ればまだ小雨状態だが
なかなか町の観光に出ていく気にはなれず、毎年山中温泉のコロッケを
頂いていたのに少し残念な気分、
一風呂頂くが、平日にしてはお客さんは多いようだ、皆さん私たちと同じように
蟹が目的で着ておられるお客さんがほとんどのようだぁ、
6時から蟹ずくし、
10日は10時20分ごろの電車で金沢に、
駅周辺には雪は除雪されて、勿論市民生活の影響は0であることは言うまでもない、
毎年の事、近江町市場の中の市場寿司ですし三昧
奥さんの大好きな(のどぐろ)を美味しそうにいただいている、
毎年のようにいく、香林坊から21世紀美術館へ
円形ガラス張りの明るく、開放的な美術館で、アニメションの山本二三展
日本画彩画会展などが開かれていた、
心配していた雪は美術館の周りにはあるが見物人には影響はない、
金沢駅正面には新幹線が開通するまで後94日
戦後の復興期に入社した当時の想い出
終戦の翌昭和21年10月、私は中途採用により大同染工に入社しました。当時は未だ戦後の混乱からの復興初期で、西大路駅から会社までの西大路~十条通りの両側は戦時中に開墾された芋畑や玉蜀黍、豆畑等家庭菜園が残されていて、その間の地道を右左し乍ら通勤する状態でした。
会社での入社面接は吉岡専務に受け、即入社決定し、社員心得とか配属など説明もそこそこ、翌日出勤すると、人事の向井さんから工場実習へと、工務の中岡さんに引き渡され、そしていきなり捺染機の堀田さんに預けられ、捺染の実習作業をする事になりました。
元来染色とか捺染の予備智識など全く無かった私は、工場へ入った途端、天井に届かん許りの大きな連動した機械が、蒸気を噴出しながら運転が始まると人の声など聞こえない様な轟音を上げて回転し、染上がり布が振落ちから波打って落ちてくる光景に、正直恐怖にも似た驚きを覚えたものでした。
此れが以後私の五十年に及ぶ“染め”との付き合いの初めでした。
振落ち担当を命ぜられて、スフ人絹織物などの矢絣着尺や更紗、友禅染め等の和装物が多く、加工品の種類を色々と覚えました。フルに捺染機が回転している時の騒音に、戦後復興の逞しい活力と息吹を感じておりました。
2ヶ月後、22年の正月から生地倉庫の実習に変り、生地の受け入れと加工工程へ投入する準備作業を手伝い、生地の種類チェック、保管の方法など、責任者の泉さんから教わりました。その当時生地の搬入は日通の馬車や牛車で運ばれて来る事が多く、戦後の運送状況の一端を示すものです。
22年3月になって私の配属は営業部の受渡係と決まりました。営業部は小林部長、松原課長、山田さん、そして私の直接の上司として林田課長が入社着任されました。先輩事務係に山本君子さんがいて総勢6名でした。当時、世話になり指導頂いた先輩上司の方々は、60年過ぎた今日では共に昔を語り合える人も少なくなってしまいました。
この年4月から、GHQと日本政府との間で繊維産業の復興援助の一環として輸入米綿織物の染色加工輸出開始が決定されました。染色工業会が一括受注して各染工場の内情に応じて割り当て発注されると云う形式でした。
丁度私はその時期に合わせて、このGGベース取引の輸出向綿織物加工の受渡事務を最初から担当する事になりました。大阪本町にあった繊維貿易公団での加工注文書受領に始まり、担当輸出商社との打ち合わせ連絡、綿布送付案内の確認、工場への加工指図、仕上がり品の仕立て指図、輸出検査、梱包、神戸大阪港の臨海倉庫への出荷搬入指図までの受渡事務は、繁忙な反面、手順や書類の形式などは新規分野の開拓で、全部任され思い通りに仕事させて貰えた事は、今考えると何より幸いだったと思います。
その当時の大阪は戦後の復興未だ未だで瓦礫の山が其処かしこに見られ「これより心斎橋通り」の看板が瓦礫の上に立っていたのが印象深く残っています。戦災を免れたビルも傷だらけの疲弊した風景でした。
輸出注文第1号はインドネシア向け任斯(ジンス)の縞柄プリントでした。以後アフリカ向ワックスプリント、ブループリント、カンガープリント、インド向サリー、ビルマ、タイ向のパシン、ネシア向バチックサロン等々各国の民族衣装柄の注文が増えていきました。然し一方では内地向け和装商品の正規ルート闇ルートの加工品も混在して受注する時代でした。
会社では受注拡大と新しい加工技術開発に対応して、工場の建て増しや機械設備の新設増強が進み、将に日進月歩の発展でした。
当時日本国内の衣料品は統制品で所謂切符制の配給品でした。従って工場で扱う綿織物は国有綿布であり、工場の周囲には「国有綿処理工場」の立て札が立てられ警戒管理されていました、又生地の入荷や製品の出荷には、必ずGHQ管理による「移動証明書」を添付しなければならず、予定に合わせ前以て管理部へ証明書の発行依頼に日参したものでした。
この様にして始まった輸出向け染色加工も、年々拡大発展し業界挙げて設備の近代化拡充や技術開発が進み、一方国有綿の払い下げ、管理貿易から自由取引への移行、輸出優先政策と相俟って、繊維産業の輸出黄金時代が到来する気運になっていきました。更に朝鮮戦争による特需景気が経済復興と発展を飛躍的に増進させる事になりました。
当時を顧ると、新しい仕事の展開に対して興味と挑戦意欲が沸き、忙しい勤務の疲労感も気にせず、仕事をエンジョイ出来る社内雰囲気にありました。時代背景が上り坂の日本繊維業界の中にあって、青春を謳歌し将来の発展を夢見て働き得た当時の幸運と、今年厳しい努力の甲斐もなく消え去っていった大同マルタの最終を見届ける事になった後輩諸氏の心境とを比較して思う時、時代の流れとは云え、遣る瀬無い空しさと拠り所を失った淋しさを覚えるものです。
野本 明
大同マルタ染工㈱の思い出集(2009.11)に載ったものです。野本さんの原稿を原文のまま転載したものです。
野本さんの人柄と当時の苦労が良く分かります。
ご冥福をお祈りいたします。
資料提供 田中 頌
そろそろ年賀状作りと思ってはいるのだが、
今年は多くの喪中はがきが届いた、それも合計11枚
12月に入って1枚のはがきを見ると、私はもとより奥さんがびっくり
営業におられたNさんの奥さんからの喪中ハガキ
Nさん 11月13日にお亡くなりになったと、
奥さんすぐに電話しい、お悔やみを、
Nさんは新婚時代奥さんの隣に住んでおられ、会社に就職するときも
大変お世話になったと、いろんなことが走馬灯のように浮かんでくると、
Nさんのご冥福を心よりお祈りいたします、
今日の朝刊、山城版に自宅を開放無料カフェと言う記事が載っていました
よく読んでみるとなんと、
私と同期の小山幸夫君と奥さんと二人で、宇治広野の自宅で
週1回木曜日午後2時から5時まで60歳以上を対象とした
「カフェシオン」と言う名のお店を開店されました、
飲み物と奥さん手作りのケーキは無料
地域の人はもちろんですが、人々が気軽に集まれるような拠点に
なればいいと言う思いで開店されたので大同マルタの皆様も気軽に
足を運んでほしいとの事です。
北山にふらり出かけたが、やはり私が住む町よりも風もきつく、寒い、
のんきに加茂大橋近くから南に向かい写真を撮っている、
秋はそろそろ終わりに近づいてきていますね、
北山堀川の魁力屋 一度は食べてはみたいと思ってはいたので今日
行ってきました、中太ストレート麺、お醤油をベースにしたスープで背脂
たっぷりな醤油ラーメン、九条ネガは入れ放題のサービス、
お値段は600円のラーメンを注文したが、ラーメン屋さんで初めての経験、
この店は内税ではなく外税、会計は648円でした、
1年は早いものです、今年も同期会13名が
元気な顔を見せてくれましたが、今まで皆勤賞のF君が
ヘルニアを患っていることで不参加、又N君も体調不良と言うことですが
電話連絡できる人には会が始まる前に近況を聞き、元気な声だけの参加と
なりましたがうれしいかぎりです、
美味しいお酒をたくさん頂き、同期の人達の声を聴いていると
私ももう少し頑張らなければと思います、
今日から師走、1年は早いものですが、来年の同染会等で皆さんの
元気な姿を見られますように、