反原発 命ある限り 楢葉の住職、運動続け40年より転載

早川さんは反原発活動を文章にまとめ始めている。「どのようにして原発が造られ、事故が起こったか、私が知る限りを書き留めたい」=いわき市
福島県楢葉町は10日、福島第1原発事故の警戒区域の指定が解かれ、避難指示解除準備区域に移行する。町の山あいにある宝鏡寺の住職で、原発の危険性を40年間訴えた早川篤雄さん(72)も古里を追われ、いわき市の借り上げアパートで暮らす。避難区域再編を前に「むなしい限り」とため息をつく。
「あんたの言っていた通りになった」。原発事故後、町の人にそう話し掛けられるようになった。それまでは「いくら騒いでも事故は起きない」と聞く耳を持ってもらえなかった。
原発との関わりは1972年、町に福島第2原発を建設する計画が持ち上がったことで始まった。町民有志で勉強会を開き、学者の話を聞いて「原発で公害が起こる」と確信した。
署名を集めて公聴会の開催まで持ち込んだが、政官財による建設推進の合唱にかき消された。会からは町の有力者が抜け、活動も下火になった。
会名の変遷が苦難の歩みを物語る。初めは「公害から楢葉町を守る町民の会」。それが「原発反対福島県連絡会」「原発の安全性を求める福島県連絡会」と変わる。建設計画が進み、実情に合わせざるを得なかった。原発事故後の今年6月には「原発問題福島県民連絡会」となった。
事故後、報道機関からコメントを求められたが、ほとんど断った。「マスコミが住民の訴えに真剣に向き合い、真面目に危険性を取り上げていたならこんなことにはならなかった」。反対派の声を黙殺していたマスコミが事故後、手のひらを返すように「脱原発」を唱え始めたと映る。
5年前に胃がんを患い、体調は良くない。「命ある限り、県民世論に働き掛ける」と自らに言い聞かせる。
政府が計画する除染廃棄物の中間貯蔵施設に疑問をぶつける。「汚染物を双葉郡から持ち出せるわけがない」と中間貯蔵施設はいずれ最終処分場になるとみる。「政府は『申し訳ないが、最後まで置かせてください』と正直に頭を下げるべきだ」と話す。
帰町は第1原発5、6号機と第2原発の廃炉が前提と主張する。準備区域に切り替わる10日に一時的に寺に戻るつもりだ。原発事故後に亡くなった檀家(だんか)の骨を墓に納めて盆を迎える。
[楢葉町の避難区域再編] 警戒区域が10日午前0時、避難指示解除準備区域に切り替わる。町域の約80%を占め、ほぼ全町民に当たる約7600人が住民登録している。準備区域は放射線量が年間20ミリシーベルト以下で除染、インフラ整備を進め、早期帰還を目指す。立ち入り自由で事業活動も可能だが、宿泊はできない。町民の約7割は現在いわき市で避難生活を送り、仮役場や小中学校の仮校舎も同市内にある。
2012年08月08日水曜日
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