田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

下痢30  麻屋与志夫

2019-11-28 13:41:37 | 純文学
30

 ぼくはいつの間にか、グラスを割ったらしい。指先から血がでていた。
 白いハンカチーフが巻かれ、そこにも深紅のしみが広がっていた。
 自動扉が開いた。コートの襟を立てた女たちが、街にでていく。
 街路樹の葉が緑に芽吹くにはまだしばらく待たなくてはならない。
 冬の朝風に揺られて細枝が乾いた音を立てていた。
 ぼくは風にののって、ふたたび御蔵跡の通りにもどろうとした。
 こんどは、うまくいかなかった。
 ひとたび、くだけた、イメージの破片をふたたび元の形をあたえることはできない。
 再構築できるわけがない。
 洗面台に淡く赤い血が一滴垂れ……ぼくの指先からの出血はなかなか止まらない。
 指の腹でそっと触れてみると傷口に小さなグラスの破片がらしいものが確かにある。
 親指と人差し指の爪をあわせてぬきとろうするのだが……むなしい。
 爪に血がついたたけだ。ぼくはいらいらして彼女に針をかりてきてくれるように頼む。
 やっと、えぐりだした微細なグラスの破片。
 針の先ほどの大きさで……、それがグラスの破片であるといった証拠はなにもない。
 出血はますますひどくる。
 彼女はハンカチを細く紐状にさき、かるくより合わせ、ロープにし、ぼくの腕にまきつける。
 ぼくの胸のポケットから万年筆をぬき、ロープと皮膚の間に差し込む。
 ギュッとしめる。白いロープが肉にくいこむ。
 ぼんやりと彼女の手慣れた動作を見ている。
 ――Kさんご夫妻が待っているわ。行きましょうか。
 ぼくらはまだ洗面所にいた。
 ――いきましょう。外へでましょう。



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