令和5年
一月元旦
おめでとうございます。
快晴。
散歩に出た。
霜柱の続く畦道はのこっていた。
両側は住宅街になっている。
畦道がむかしのままのこっていたのがうれしかった。
実は、いつも散歩の折、住宅の立ち並ぶあたりを覗いていた。
たしか、このあたりに千手観音堂の参道に通じる畦道があったはずだ。
春にはレンゲ畑。
秋には稲の穂が波打つ田圃。
田畑の連なる思い出の場所だ。
ところが住宅街となってしまった。
むかしの面影はのこっていない。
そうあきらめていただけに、うれしかった。
水音がする。
小川も流れていた。
ささやかな流れだ。
宝蔵寺の大谷石の塀が聳えている。
幼いぼくらには、城壁のようにみえた。3メートルほどの高さだ。
苔むし、色あせている。
12歳のぼくらが、このあたりを走り回っている。
年老いて、散歩しているとむかしの思い出のある自然や事物に出会うことがある。
いまは、すっかり脚力も落ちた。
猫の行動範囲は半径500メートル。
まさに猫並みの散歩だ。
その範囲内にまた一か所懐かしい場所を発見できて舞い上がっている。
今年はいいことがありそうだ。
元日のGGの散歩のひととき。
快晴。
10℃。
川音。
霜柱が足元で崩れる。
GGはまだ生きている。
小説を書きつづけるぞ。
麻屋与志夫の小説は下記のカクヨムのサイトで読むことができます。どうぞご訪問ください。
ブログで未完の作品は、カクヨムサイトで完成しています。
カクヨムサイトはこちら
角川のbookwalkerーにも載っています。
今日も遊びに来てくれてありがとうございます。
お帰りに下のバナーを押してくださると…活力になります。
皆さんの応援でがんばっています。
一月元旦
おめでとうございます。
快晴。
散歩に出た。
霜柱の続く畦道はのこっていた。
両側は住宅街になっている。
畦道がむかしのままのこっていたのがうれしかった。
実は、いつも散歩の折、住宅の立ち並ぶあたりを覗いていた。
たしか、このあたりに千手観音堂の参道に通じる畦道があったはずだ。
春にはレンゲ畑。
秋には稲の穂が波打つ田圃。
田畑の連なる思い出の場所だ。
ところが住宅街となってしまった。
むかしの面影はのこっていない。
そうあきらめていただけに、うれしかった。
水音がする。
小川も流れていた。
ささやかな流れだ。
宝蔵寺の大谷石の塀が聳えている。
幼いぼくらには、城壁のようにみえた。3メートルほどの高さだ。
苔むし、色あせている。
12歳のぼくらが、このあたりを走り回っている。
年老いて、散歩しているとむかしの思い出のある自然や事物に出会うことがある。
いまは、すっかり脚力も落ちた。
猫の行動範囲は半径500メートル。
まさに猫並みの散歩だ。
その範囲内にまた一か所懐かしい場所を発見できて舞い上がっている。
今年はいいことがありそうだ。
元日のGGの散歩のひととき。
快晴。
10℃。
川音。
霜柱が足元で崩れる。
GGはまだ生きている。
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昔の面影が残っていて良かったですね。
わたしの場合、両親それに弟ふたりも、鬼籍に入ってしまい、実際に訪ねることが困難です。ですから、故郷が恋しくなったら、記憶の中に、十歳ころの風景を探します。それはけっこう楽しいもので、いつも、わたしを元気づけてくれます。
この歳になると、ながく本を読む気力がなくなります。若いうちにいっぱいほんを読んでください。お忙しいでしょうが。