田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

パソコンの中のアダムとイブ

2008-04-05 05:39:47 | Weblog
4月5日 土曜日
パソコンの中のアダムとイブ 6 (小説)
 パソコンで打ったからといって、小説の内容までアップデートできるわけではない。精進だ。病院の行き帰りに見たこと聞いたことをしつかりと記憶すること。鈍くなっている感覚。ふるくなっている感性を更新しなければならない。そのために、神が絶好のチャンスをあたえてくれたのだ。こころして精進せよ。そんな神の声がみみにひびくようだ。
 ひとは病院に生きるためにいく。
 わたしには、死に方を学ぶために行くのだとおもえる。
 いま罹っている病気のこと。その病状。それにともなう不安。あせり。絶望。けっして、若い妻のキリコにはもらすことのできないものだった。
 村木は奇跡的なこのノート型パソコンとの出会いをパソコン教室に神田先生に伝えた。質問もあった。
「ワープロのフロッピーをパソコンに読み取らせて保存することはできますよ。オプションが必要ですが」
 村木はうれしかった。書きためた小説がオシャカにならないですむ。全部まとめてデスクトップのほうのパソコンに移して保存してもらった。
 長年使いこんだワープロは機能を停止した。電源をつないでももう反応しなくなった。書斎のかたすみに置いた。座布団を敷いてやった。使用した期間を書いた。油性の白のマジックペンで書いた。なにか、墓碑銘を書いているようで寂しかった。そのうち戒名をかんがえてやろう。マジでそうかんがえた。
 パソコンで小説を書いてみた。デスクトップの方にいままで書きためた原稿が保存してある。心強かった。いつでもノート型の方へも移転できる。書斎を持ち運んでいるようなものだ。
 ところが、パソコンがすこし変だ。村木の書き上げた文章の下に赤い波線がでる。「それは、文脈の乱れや誤りを注意されているのです」と神田さんがていねいに説明してくれた。たしかに、いまだにぬけていない方言や文法上のミス。長すぎる文体。いかようにも解釈できそうなアイマイな箇所。に波線がついていた。
「ちいさな赤丸がついているのは、どうしてですか」
 パソコン教室の先生たちが寄ってきた。村木の手元をのぞきこんだ。沈黙した。
「ときには、二重の赤丸がついていることもあります。よく書けましたねーーと小学校の先生が生徒の作文につけてくれる。あれとおなじです」
 先生たちは絶句したままかたまった。神田さんが文章をうちこんでも、なにもかわったことは起きなかった。
 怪異はそれだけではすまなかった。
 しばしば理解できないことが起きるようになった。やはりワケありの機種だったのだろうか。しばしば変異があらわれる。
 パソコンが有機体のようにおもえてきた。
 怖くて、気楽に文章がかけなくなった。
推敲までしてくれる。できるだけ易しいことばで書く。短く書く。そんな習慣がついた。おかげで、だらだらと句読点もうたず垂れ流すような文体があらたまった。

村木の病は前立腺癌。
父が死んでいった病だった。遺伝を気にしてはきた。トマトを常食とた。すこしでも体にいいといわれることは試してきた。栄養には配慮してきたつもりだ。10年も前から肥大はあった。癌ではなかった。肥大にたいしては治療のほうほうもなく、6か月おきに血液検査をしてもらっているだけだった。それが半年前の定期検査で腫瘍マークがきゅうに8を超えた。
前立腺超音波。
生理検査(前立腺針生検法)。
の二通りの検査をうけることになった。

●検査室にはいりましたら、下半身の衣類をぜんぶ脱いで内寝台へあがってください。
●肛門から超音波の器械をあて、形や性状を診ます。
 というガイダンスにしたがってつぎつぎと検査がつづいた。生検をうけることになった。
 脱衣カゴのそばの椅子に座る。ズボンからパンツまでいさぎよく下半身につけていたものは全部脱ぐ。若い看護婦さんに、美人だったりして、チンボコさわられたら老いたりといえども男、不本意ながら……早い話が勃起したらどうしょう。……どうしょう、と村木は心配になってきた。ところがいざいざホンバンになった。あんずることはない。不安でチンボコは縮みあがった。ただでさえソチンだ。亀の頭のように、ゴメンナサイと皮のなかに潜りこんでしまう。
ふらふらとした足取りですぐ目の前にある診療椅子に座る。
ふいに、椅子が45度回転して、診療室の中央を向く。
妊産婦の分娩のような姿勢。股裂き状態。Mの字に股を開いていると、さらに
椅子が自動的に移動を開始する。カーテンがひかれている。向こう側はみえない。看護婦さんの声が妙にやさしくびく。
「右4回。左6回。針さします。痛みはありません。音がしますがだいしょうぶです」
 だいじょうぶ。どころではない。ガシヤと肛門の中で音がするたびにチンボコがちぢみあがる。とはいつてもちぢみあがるべきモノはすでに下腹部に潜んでいる。戦慄が肛門から背筋をつたつて頭頂までたっした。
 結果は3か所から癌細胞が検出された。
 ガンときた。なんておやじギャグをとばした。内心は不安と絶望におののいていた。
 手術ではなく、放射線治療を選んだ。

 照射する部位をエコーとCTスキャンできめた。赤いマーキングがお腹に書き込まれた。まるでただの物体だ。ひとではなくなってしまった。
 放射能治療。患部への照射。通院がはじまることになった。
 ノート型パソコンを携帯して電車にのりこんだ。東武日光線の電車で往復4時間。車内ではわき目もふらず小説を書き続けた。キーにはなれている。その段階の操作にはなれている。なんの支障もない。ただあいかわらず、二重赤丸出現の謎はとけていない。

 疲れた目を車窓の景色がいやしてくれた。
 利根川の鉄橋。いくたび美智子と菜の花の咲くこの土手を見たことだろう。思いではいつも春。桜色に、あるいは菜の花色に霞んでいる。
 友だちの出版記念会に出席するためになんども通過したこの鉄橋。美智子はけっして会場までは同伴しなかった。いまにしておもえば、彼女は村木の出版記念会をこころまちにしていたのだ。ひそかに望んでいたのだろう。そうにちがいない。
「あなたの晴れ姿をみたいわ」
 控え目な美智子はそんなことはいえない。
 いまなら……わかる。
 老いの目に涙がにじんだ。春霞の風景が涙に霞む。

 その妻の美智子が釜川に滑落して死んだ。
 その日は、ある文学賞の締切日だった。
 当日消印有効。日曜日だった。
「なんとか消印だけてもおしてください」
「規則ですから。ダメデス」
 規則ですからそれはできません。冷酷な声。けんもほろほろの対応だった。

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