私は黄色い電車と赤い電車が行き来する土手の一角に座って、釣り堀を眺めていた。十二月になろうかというのに暖かいと思われた。行き交う人々の上着が薄手だからそう思うだけだ。
平日の昼下がり、私の視線の先にはスーツ姿の青年が糸を垂れていた。私はあのサラリーマンと同じく時間をつぶしているのだ。電車が次々と行き来する中、誰に目撃されるかもしれない状況の中、時間を潰すにしても他の選択肢は無いのかとあのサラリーマンの青年に少し興味がわいた。
私は目を閉じた。
目を開けると青年の真後ろに立っている。
私には空間的距離は意味が無い。
この世とあの世の狭間にいる存在だからだ。
散髪したての青々とした首筋が三センチ先にある。頭頂部には今時めずらしくぴっちりとした分け目があった。若い横顔をのぞき込む。目は虚ろに浮きを見ている。焦点は合っていない。
私はズボンのポケットに突っ込んでいる手を片方出した。そっと後ろから彼の頭に手を乗せる。彼の思考が私に流れ込んでくる。
「今朝の俺おかしかったんだ。大学のゼミが午前中にあるのに、無意識にスーツを出してきた。釣り堀にどうしても行きたくなって電車に乗った。で、今にいたる。これどういう事?しかも同じ文言が頭の中をループしている。「仕事のお時間です 仕事のお時間です」って。おれどうしちゃったんだろう」
私は舌打ちを一つしながら慌てて手を引っ込めた。私の胸ポケットの中にある小さなマッチ箱が振動する。その小さな小箱には画面が一つある。モノクロの文言が表示されている。「お仕事よ」
私は空中でキーボードをイメージして両手を操る。まさにブラインドタッチだ。
「仕事を待ちわびていました。ですが、少しおいたが過ぎるのではありませんか?この青年は何者だ」私はエンターキーを空中で押して送信した。
今回のメール送信相手は天使なのか死神なのか。どちらでも私はかまわない。
「あなたサラリーマンがさぼってる姿を眺めるのが好きでしょう。だからちょっと私なりに彼を操作してみました。ごめんなさい。おかげであなたとコンタクト取れたでしょ。
お遊びはここまで。彼は今夜、正確にはあと五時間後に死ぬ。例によってこちらの記録では彼は死ぬ予定になっていません。彼の記録上の死因は老衰です」小箱は震えて私にメールを届けた。
「死神とのいざこざか、イレギュラーが多いな。分かった。犯人とその詳細のデータを送ってくれ」私はそう入力して天使に送った。返答はすぐ送られてきた。
「詳細は不明ですが、彼が死を迎えるホツレが発生するのは事実です」
私は頬をゆがめた。天使達は死ぬべきでない人間が死ぬことをホツレという。
「了解した」
いつからだろう。神様という存在がこの世を中途半端に管理するようになったのは。かつては運命は運命として、美しく管理されていた。
今は少し違う。神でさえ運命に翻弄されている。しかも後手に回って俺のような存在を利用してまで取り繕ってもいる。それならばすべてを放置してもよさそうなのだが、神は自身の存在を否定するわけにはいかないらしい。
今回の依頼のやり取りは以上だった。人一人の命にかかわる問題なのだが、現実は厳しい。
改めて目の前の人物を観察する。まさか自身に降りかかる運命など知る由もない彼の名前は仲間茂。二十歳。理系の大学に通う。専門は電池の構成物質をすべて固体化する研究に携わっているらしい。彼女あり。同級生の久美さんという女性とおつきあいしている。うらやましい奴だ。さてどうしたものか。私はポケットからインカムを取り出して電源を入れてスタンバイとした。片耳に差し込む。
私はアフロの髪を掻きむしり茂の様子を眺めるしかなかった。
はたして彼はどのように殺害されるのか?
茂はあくびをしながらビールケースを裏向けたイスから立ち上がった。一匹もつり上げないとはある意味すばらしい釣りの成果だ。
茂がよっこらしょという感じで駅にむかっている。茂がたまに後ろを振り返る。私は五十センチも離れてはいない。ほぼ真後ろにいる。茂に振り返られると鼻と鼻がくっつきそうになる。まあ、仕方がない。何かいやな気配を感じるのだろう。だが、もう前だけを向いて歩いてくれと願った。
茂はスマホを取り出し、通話を始めた。久美とこれから会う約束をしている。待ち合わせの時間は死亡推定時刻周辺だ。これは面倒なことになりそうだ。
茂は電車に乗った。
この時間の電車は比較的空いている。長いすの端に茂は座った。
私は何かヒントが得られないかと彼の頭に手をやり、探った。
彼の思考は何故か興奮していた。私には理解し難い数式と幾何学的模様がうずまいている。何かを思いついた。そう私は直感的に感じた。
茂は小さなノートを内ポケットから取り出して書き殴りだした。茂は釣り堀の時とは別人のように頬を上気させている。私には茂のつぶやきがはっきり聞こえた。
「これ、いけそうなんじゃない」
私はどうやら歴史的な瞬間に立ち会っている気がしていた。
乗換駅のホームには久美が待っていた。ショートカットで切れ長の瞳の美しい女性が手を挙げて茂に合図を送っている。うらやましいやつだ。私は茂の後頭部を無言で殴った。何の手応えもなく茂は久美に走り寄る。
「俺、すごいこと思いついたかもしれん」同じゼミ仲間でもある久美は茂の一言にピンときているらしい。
「安定化できそうなの?」
「これ出来るよ」
茂はそう叫んだ。
ホームにいた周囲の人々は何事かと二人を振り返っている。
やめてくれ。
目立つ行動はするな。
私は茂の頭の上に立って辺りをお見渡す。
五メートルほど先にいる迷彩がらの男に私は異質な匂いを感じた。
私は目を閉じ、そして目をあける。
迷彩のコートを着込んだ男の後頭部を見据えている。短く刈り込んだ男の手はコートの中にある。男の押し殺す声がいやでも聞こえた。
「スーツなんか着やがって、リア充か、クソが。俺は誰でもいいんだ」コートの中に両刃のナイフが光った。
「見つけた」
私はインカムに叫ぶ。
「見てるだろ、許可しろ、早く」
「許可します」
今回は異例の早さだった。
私の体が一瞬光る。
「おかえりなさい私。人間界だ」
私は叫びながら男の背後からナイフを握る手首をつかんだ。
男は無言で裏拳をくりだす。この男、やはりクレイジーだ。普通の人間ではこんな反応はしない。
私の頬を致命的なダメージを襲う。
うずくまりながら私はヒップホルスターから銃を抜く。間髪入れず奴の額に三発、天使特製の弾丸をたたきこむ。非致死性の改心弾丸。ただし精神的ダメージあり。
男は前のめりに倒れ込む。その手にはむき身のナイフが露わになっている。悲鳴が響きわたる。
「この男ナイフを持っているぞ」
「警察に電話して」
群衆が口々に叫び、逃げまどい、パニックとなる。
私は茂と久美が無事逃げるのを見届ける。
峠は越したな。私は安堵の息を漏らした。タバコを探す。実体化している今しかタバコは吸えない。今度こそ天使にタバコワンカートンをボーナスとしてせびろうと思いながら抜き出した一本に火をつける。紫煙を吐き出す。
今日の事件、茂にスーツを着せた天使のせいじゃあないのか。そう思えてならなかった。
平日の昼下がり、私の視線の先にはスーツ姿の青年が糸を垂れていた。私はあのサラリーマンと同じく時間をつぶしているのだ。電車が次々と行き来する中、誰に目撃されるかもしれない状況の中、時間を潰すにしても他の選択肢は無いのかとあのサラリーマンの青年に少し興味がわいた。
私は目を閉じた。
目を開けると青年の真後ろに立っている。
私には空間的距離は意味が無い。
この世とあの世の狭間にいる存在だからだ。
散髪したての青々とした首筋が三センチ先にある。頭頂部には今時めずらしくぴっちりとした分け目があった。若い横顔をのぞき込む。目は虚ろに浮きを見ている。焦点は合っていない。
私はズボンのポケットに突っ込んでいる手を片方出した。そっと後ろから彼の頭に手を乗せる。彼の思考が私に流れ込んでくる。
「今朝の俺おかしかったんだ。大学のゼミが午前中にあるのに、無意識にスーツを出してきた。釣り堀にどうしても行きたくなって電車に乗った。で、今にいたる。これどういう事?しかも同じ文言が頭の中をループしている。「仕事のお時間です 仕事のお時間です」って。おれどうしちゃったんだろう」
私は舌打ちを一つしながら慌てて手を引っ込めた。私の胸ポケットの中にある小さなマッチ箱が振動する。その小さな小箱には画面が一つある。モノクロの文言が表示されている。「お仕事よ」
私は空中でキーボードをイメージして両手を操る。まさにブラインドタッチだ。
「仕事を待ちわびていました。ですが、少しおいたが過ぎるのではありませんか?この青年は何者だ」私はエンターキーを空中で押して送信した。
今回のメール送信相手は天使なのか死神なのか。どちらでも私はかまわない。
「あなたサラリーマンがさぼってる姿を眺めるのが好きでしょう。だからちょっと私なりに彼を操作してみました。ごめんなさい。おかげであなたとコンタクト取れたでしょ。
お遊びはここまで。彼は今夜、正確にはあと五時間後に死ぬ。例によってこちらの記録では彼は死ぬ予定になっていません。彼の記録上の死因は老衰です」小箱は震えて私にメールを届けた。
「死神とのいざこざか、イレギュラーが多いな。分かった。犯人とその詳細のデータを送ってくれ」私はそう入力して天使に送った。返答はすぐ送られてきた。
「詳細は不明ですが、彼が死を迎えるホツレが発生するのは事実です」
私は頬をゆがめた。天使達は死ぬべきでない人間が死ぬことをホツレという。
「了解した」
いつからだろう。神様という存在がこの世を中途半端に管理するようになったのは。かつては運命は運命として、美しく管理されていた。
今は少し違う。神でさえ運命に翻弄されている。しかも後手に回って俺のような存在を利用してまで取り繕ってもいる。それならばすべてを放置してもよさそうなのだが、神は自身の存在を否定するわけにはいかないらしい。
今回の依頼のやり取りは以上だった。人一人の命にかかわる問題なのだが、現実は厳しい。
改めて目の前の人物を観察する。まさか自身に降りかかる運命など知る由もない彼の名前は仲間茂。二十歳。理系の大学に通う。専門は電池の構成物質をすべて固体化する研究に携わっているらしい。彼女あり。同級生の久美さんという女性とおつきあいしている。うらやましい奴だ。さてどうしたものか。私はポケットからインカムを取り出して電源を入れてスタンバイとした。片耳に差し込む。
私はアフロの髪を掻きむしり茂の様子を眺めるしかなかった。
はたして彼はどのように殺害されるのか?
茂はあくびをしながらビールケースを裏向けたイスから立ち上がった。一匹もつり上げないとはある意味すばらしい釣りの成果だ。
茂がよっこらしょという感じで駅にむかっている。茂がたまに後ろを振り返る。私は五十センチも離れてはいない。ほぼ真後ろにいる。茂に振り返られると鼻と鼻がくっつきそうになる。まあ、仕方がない。何かいやな気配を感じるのだろう。だが、もう前だけを向いて歩いてくれと願った。
茂はスマホを取り出し、通話を始めた。久美とこれから会う約束をしている。待ち合わせの時間は死亡推定時刻周辺だ。これは面倒なことになりそうだ。
茂は電車に乗った。
この時間の電車は比較的空いている。長いすの端に茂は座った。
私は何かヒントが得られないかと彼の頭に手をやり、探った。
彼の思考は何故か興奮していた。私には理解し難い数式と幾何学的模様がうずまいている。何かを思いついた。そう私は直感的に感じた。
茂は小さなノートを内ポケットから取り出して書き殴りだした。茂は釣り堀の時とは別人のように頬を上気させている。私には茂のつぶやきがはっきり聞こえた。
「これ、いけそうなんじゃない」
私はどうやら歴史的な瞬間に立ち会っている気がしていた。
乗換駅のホームには久美が待っていた。ショートカットで切れ長の瞳の美しい女性が手を挙げて茂に合図を送っている。うらやましいやつだ。私は茂の後頭部を無言で殴った。何の手応えもなく茂は久美に走り寄る。
「俺、すごいこと思いついたかもしれん」同じゼミ仲間でもある久美は茂の一言にピンときているらしい。
「安定化できそうなの?」
「これ出来るよ」
茂はそう叫んだ。
ホームにいた周囲の人々は何事かと二人を振り返っている。
やめてくれ。
目立つ行動はするな。
私は茂の頭の上に立って辺りをお見渡す。
五メートルほど先にいる迷彩がらの男に私は異質な匂いを感じた。
私は目を閉じ、そして目をあける。
迷彩のコートを着込んだ男の後頭部を見据えている。短く刈り込んだ男の手はコートの中にある。男の押し殺す声がいやでも聞こえた。
「スーツなんか着やがって、リア充か、クソが。俺は誰でもいいんだ」コートの中に両刃のナイフが光った。
「見つけた」
私はインカムに叫ぶ。
「見てるだろ、許可しろ、早く」
「許可します」
今回は異例の早さだった。
私の体が一瞬光る。
「おかえりなさい私。人間界だ」
私は叫びながら男の背後からナイフを握る手首をつかんだ。
男は無言で裏拳をくりだす。この男、やはりクレイジーだ。普通の人間ではこんな反応はしない。
私の頬を致命的なダメージを襲う。
うずくまりながら私はヒップホルスターから銃を抜く。間髪入れず奴の額に三発、天使特製の弾丸をたたきこむ。非致死性の改心弾丸。ただし精神的ダメージあり。
男は前のめりに倒れ込む。その手にはむき身のナイフが露わになっている。悲鳴が響きわたる。
「この男ナイフを持っているぞ」
「警察に電話して」
群衆が口々に叫び、逃げまどい、パニックとなる。
私は茂と久美が無事逃げるのを見届ける。
峠は越したな。私は安堵の息を漏らした。タバコを探す。実体化している今しかタバコは吸えない。今度こそ天使にタバコワンカートンをボーナスとしてせびろうと思いながら抜き出した一本に火をつける。紫煙を吐き出す。
今日の事件、茂にスーツを着せた天使のせいじゃあないのか。そう思えてならなかった。