チャクメロ消しゴムのラベルには虫めがねでしか見えない文章がびっしりと書かれていた。
原材料名:ケシゴム(楽しくて良く消せるためのいろいろな材料がいっぱいです)化学調味料は入っていませんが夢と希望と冒険(オーバーですが)はたくさん入っています。
賞味期限:大人になっても充分楽しめます。
保存方法:集めて並べたり、友達と交換したりして常温で保存して下さい。
調理方法:①調理はできませんが、フタを開けると中にめんが入っています。②絶対に熱湯は注がないで下さい。
熱中3倍
原材料名:ケシゴム(楽しくて良く消せるためのいろいろな材料がいっぱいです)化学調味料は入っていませんが夢と希望と冒険(オーバーですが)はたくさん入っています。
賞味期限:大人になっても充分楽しめます。
保存方法:集めて並べたり、友達と交換したりして常温で保存して下さい。
調理方法:①調理はできませんが、フタを開けると中にめんが入っています。②絶対に熱湯は注がないで下さい。
熱中3倍
ダウンコートを着た女性がコートを選んでいる。
手に持つのはダウンのコート。
今着用中のものは茶色。
それより少しだけ濃い茶色のほぼ同じ形のダウンコートを買おうと悩んでおられる様子。
私のジャッジ
ほぼ同じですから買わなくて良いですよ
と言いたかった。
手に持つのはダウンのコート。
今着用中のものは茶色。
それより少しだけ濃い茶色のほぼ同じ形のダウンコートを買おうと悩んでおられる様子。
私のジャッジ
ほぼ同じですから買わなくて良いですよ
と言いたかった。
深夜、バイクを走らせていた。ライトが照らし出すアスファルトは冬の硬質な空気ごしに見るとより青く見えた。誰も走っていない峠道を登る。十分な馬力を伴って登りカーブを加速する。イメージ通りのラインをタイヤは忠実になぞる。我ながら惚れ惚れする。
速さを追い求める必要は私にはない。この世に存在しない私は、その気になれば光の速さでも比べられないスピードで移動する事は出来る。しかし、バイクにまたがる自分。カーブを駆け抜ける自分を想像するだけでたまらない気分になるのだ。私ってかっこいい。出来れば意味もなく激しい雨なんてものが降っていれば、なおすばらしい。私は自分に酔いしれる為にバイクを操っている。
峠を登りきり、下りへの直線にさしかかった時、レザージャケットのポケットに振動を感じた。私は現在の高揚と、仕事の幸福を秤にかけた。舌打ちをしながら、バイクを路肩に停め、グローブの右手だけを外してポケットから端末を取り出す。
「お前の現在位置は把握している。埠頭の倉庫に行け。詳細は添付ファイルを見ろ。野口という男を守れ。お前が行かなければ野口は死ぬ」
「私のことをお前と呼ぶ相手は決まっているが、念のため確認する。あんた悪魔だな」わたしは踊るように両手を操り、空中で端末に文章を入力した。程なくして返信が入る。依頼主とのやり取りは相手が誰であろうとメールで行う。面と向かって私と会うのは彼らのルールに反しているのだろうか。
「そうだ。ちなみにえんま帳の不備の依頼という事は理解しているか」
私は苦笑いを浮かべる。
「天界も魔界もいったいどうなっているんだ。地獄に堕ちるべき人物なのだが、まだその時ではない。手違いで地獄にやってくる。死ぬってことだろう」
「そうだ。そういうことだ。神と違う点はひとつ。閻魔大王はこの件の事を知らないということだ。事務方悪魔の手違いを悪魔らしく隠蔽したいということだ」私はメールを読み、確認と念押しを行う。
「私は天国、地獄どちらかの世界に行くのか現段階では不明だ。そちらに行く場合、幹部待遇で迎えてくれる。その点間違いないな」
「魚心あれば水心だ。安心しろ。俺は悪魔だぞ。悪魔うそつかない」
私は最後の返信は無視して、端末をポケットにしまった。
野口を守るべき場所は確認した。
私は路肩に停めていたバイクのスタンドを蹴り上げ、後方を目視確認したあと車体をゆるりと出した。一気にアクセルをひねる。視界が一瞬溶けた後、潮の香りがヘルメットの中に充満するのを感じる。人気の全くない埠頭に私はいた。ヘルメットを脱ぎ徒歩で十番倉庫を目指す。
一台のセダンがアイドリング状態で止まっているのが分かった。運転席、助手席、後部座席それぞれ人が座っている。合計三人。私は目を閉じて開けた。セダンのすぐそばにいる。セダンの色は青色だった。
後部座席で座る男のタバコの火が顔を照らし出す。口ひげがユーモラスだが、瞳がその愛嬌を消し去っている。野口だ。添付ファイルには彼のこれまでに犯した犯罪が列挙されていた。なるほど極悪人だった。私は今夜、この人物が死なない様に守らなければならない。運転席の男が落ち着かない素振りで野口に話かける。
「ブツの受け渡しっていつもこんな感じなんですね。深夜、埠頭、武装って、この状況で警察に踏み込まれたら言い訳出来ないっすね」緊張の為、饒舌になっているのは私にもわかった。
「そうだ。しかも今回は本部抜きの俺たち三人だけの山だ。ちなみにブツは本部のをちょろまかしている」私は思った。野口ってせこいな。
助手席の男も口を開いた。
「自分、その話初耳なんですけど分け前がいただけるのならよろこんでその話に乗るっすよ」満面の笑みを浮かべている。
野口以外の二人はちょろい印象だ。なぜ、野口はこんな若者を連れているのだろうか?
前方からヘッドライトがきらめきつつ近づいてきた。黒塗りのセダンがゆっくりと姿をあらわす。野口達の車と向き合う形で停車した。
私は首筋の辺りに違和感を感じた。始まる。そう思った。悪魔側への連絡は派手だ。真下に向けて銃の弾丸を放つ。程なく私の体が光始めた。
「おかえり人間界。ただいま俺」そうつぶやきながら野口達の車の下に潜り込んだ。頭上の車から三人が降りた。
相手の車からも三人降り立った。
「金はこちらにある」
毛足の長い真っ白のコートを着込んだ男がアタッシュケースを少し持ち上げた。部下達も白色のスーツを着込んでいる。まるでチーム白だ。私はあだ名をつけた。
「ブツはここだ」
野口も同じく小振りのアタッシュケースを持ち上げる。
六人の視線は二つのアタッシュケースに集中している。私は車の横に転がり出て、資材の置かれている闇にとけ込んだ。
お互いの部下がそれぞれのアタッシュケースを持ち、ふたを開けて中身を見せた。一つは札束、一つは白い粉の袋がいくつも入っている。
白コートの男がうなずく。
それを合図にチーム白の二人の部下が発砲した。野口以外の二人が前のめりに倒れて海に落ちていった。
野口は無言でエコバックを懐から取り出し、現金を移し替える。空のケースを海に投げ捨てた。野口が背をむけながら言う。
「じゃあな。車はこのまま放置していく。あの車は若い衆の私物だ。若気の至りで組のブツを持ち出し私腹を肥やそうとしたが返り討ちにあった。そういう筋書きだ。あんたたちもいい話だったろ、相場の半分の値でブツを手に入れるんだから」
「そうだな、悪くない話だった。でも半値よりもっといいのは何か分かるか」
野口がぎくりと動きを停めて白コートを見上げる。
「ただだよな」
チーム白の二人がゆるりと銃口を野口に向けた。
私はすでに暗闇の中を移動済みだ。今夜は音のしないラバーソウルの靴を掃いている。チーム白の真後ろから弾丸を三発発射した。腕、腕、足に命中させる。チーム白の地面に落ちた銃を次の二発で破壊する。今回の弾丸は実弾だ。悪魔からの依頼では都合のよい弾丸は調達できない。
「逃げろ」私は野口に叫んだ。奴はエコバックを握りしめた。そして自分たちの持参した白いブツ入りのケースも拾い上げると後ろを見ずに走り出した。
悪魔からの依頼はこれで完遂した。今夜、野口は死ななかった。でも近い内に本部とチーム白から追っ手がかかるだろう。どうせ長い命ではない。
私は天使からもらったワンカートンからタバコを一箱取り出した。天使達は気前がいい。もしくは俺は安上がりだと思いつつ着火した。
速さを追い求める必要は私にはない。この世に存在しない私は、その気になれば光の速さでも比べられないスピードで移動する事は出来る。しかし、バイクにまたがる自分。カーブを駆け抜ける自分を想像するだけでたまらない気分になるのだ。私ってかっこいい。出来れば意味もなく激しい雨なんてものが降っていれば、なおすばらしい。私は自分に酔いしれる為にバイクを操っている。
峠を登りきり、下りへの直線にさしかかった時、レザージャケットのポケットに振動を感じた。私は現在の高揚と、仕事の幸福を秤にかけた。舌打ちをしながら、バイクを路肩に停め、グローブの右手だけを外してポケットから端末を取り出す。
「お前の現在位置は把握している。埠頭の倉庫に行け。詳細は添付ファイルを見ろ。野口という男を守れ。お前が行かなければ野口は死ぬ」
「私のことをお前と呼ぶ相手は決まっているが、念のため確認する。あんた悪魔だな」わたしは踊るように両手を操り、空中で端末に文章を入力した。程なくして返信が入る。依頼主とのやり取りは相手が誰であろうとメールで行う。面と向かって私と会うのは彼らのルールに反しているのだろうか。
「そうだ。ちなみにえんま帳の不備の依頼という事は理解しているか」
私は苦笑いを浮かべる。
「天界も魔界もいったいどうなっているんだ。地獄に堕ちるべき人物なのだが、まだその時ではない。手違いで地獄にやってくる。死ぬってことだろう」
「そうだ。そういうことだ。神と違う点はひとつ。閻魔大王はこの件の事を知らないということだ。事務方悪魔の手違いを悪魔らしく隠蔽したいということだ」私はメールを読み、確認と念押しを行う。
「私は天国、地獄どちらかの世界に行くのか現段階では不明だ。そちらに行く場合、幹部待遇で迎えてくれる。その点間違いないな」
「魚心あれば水心だ。安心しろ。俺は悪魔だぞ。悪魔うそつかない」
私は最後の返信は無視して、端末をポケットにしまった。
野口を守るべき場所は確認した。
私は路肩に停めていたバイクのスタンドを蹴り上げ、後方を目視確認したあと車体をゆるりと出した。一気にアクセルをひねる。視界が一瞬溶けた後、潮の香りがヘルメットの中に充満するのを感じる。人気の全くない埠頭に私はいた。ヘルメットを脱ぎ徒歩で十番倉庫を目指す。
一台のセダンがアイドリング状態で止まっているのが分かった。運転席、助手席、後部座席それぞれ人が座っている。合計三人。私は目を閉じて開けた。セダンのすぐそばにいる。セダンの色は青色だった。
後部座席で座る男のタバコの火が顔を照らし出す。口ひげがユーモラスだが、瞳がその愛嬌を消し去っている。野口だ。添付ファイルには彼のこれまでに犯した犯罪が列挙されていた。なるほど極悪人だった。私は今夜、この人物が死なない様に守らなければならない。運転席の男が落ち着かない素振りで野口に話かける。
「ブツの受け渡しっていつもこんな感じなんですね。深夜、埠頭、武装って、この状況で警察に踏み込まれたら言い訳出来ないっすね」緊張の為、饒舌になっているのは私にもわかった。
「そうだ。しかも今回は本部抜きの俺たち三人だけの山だ。ちなみにブツは本部のをちょろまかしている」私は思った。野口ってせこいな。
助手席の男も口を開いた。
「自分、その話初耳なんですけど分け前がいただけるのならよろこんでその話に乗るっすよ」満面の笑みを浮かべている。
野口以外の二人はちょろい印象だ。なぜ、野口はこんな若者を連れているのだろうか?
前方からヘッドライトがきらめきつつ近づいてきた。黒塗りのセダンがゆっくりと姿をあらわす。野口達の車と向き合う形で停車した。
私は首筋の辺りに違和感を感じた。始まる。そう思った。悪魔側への連絡は派手だ。真下に向けて銃の弾丸を放つ。程なく私の体が光始めた。
「おかえり人間界。ただいま俺」そうつぶやきながら野口達の車の下に潜り込んだ。頭上の車から三人が降りた。
相手の車からも三人降り立った。
「金はこちらにある」
毛足の長い真っ白のコートを着込んだ男がアタッシュケースを少し持ち上げた。部下達も白色のスーツを着込んでいる。まるでチーム白だ。私はあだ名をつけた。
「ブツはここだ」
野口も同じく小振りのアタッシュケースを持ち上げる。
六人の視線は二つのアタッシュケースに集中している。私は車の横に転がり出て、資材の置かれている闇にとけ込んだ。
お互いの部下がそれぞれのアタッシュケースを持ち、ふたを開けて中身を見せた。一つは札束、一つは白い粉の袋がいくつも入っている。
白コートの男がうなずく。
それを合図にチーム白の二人の部下が発砲した。野口以外の二人が前のめりに倒れて海に落ちていった。
野口は無言でエコバックを懐から取り出し、現金を移し替える。空のケースを海に投げ捨てた。野口が背をむけながら言う。
「じゃあな。車はこのまま放置していく。あの車は若い衆の私物だ。若気の至りで組のブツを持ち出し私腹を肥やそうとしたが返り討ちにあった。そういう筋書きだ。あんたたちもいい話だったろ、相場の半分の値でブツを手に入れるんだから」
「そうだな、悪くない話だった。でも半値よりもっといいのは何か分かるか」
野口がぎくりと動きを停めて白コートを見上げる。
「ただだよな」
チーム白の二人がゆるりと銃口を野口に向けた。
私はすでに暗闇の中を移動済みだ。今夜は音のしないラバーソウルの靴を掃いている。チーム白の真後ろから弾丸を三発発射した。腕、腕、足に命中させる。チーム白の地面に落ちた銃を次の二発で破壊する。今回の弾丸は実弾だ。悪魔からの依頼では都合のよい弾丸は調達できない。
「逃げろ」私は野口に叫んだ。奴はエコバックを握りしめた。そして自分たちの持参した白いブツ入りのケースも拾い上げると後ろを見ずに走り出した。
悪魔からの依頼はこれで完遂した。今夜、野口は死ななかった。でも近い内に本部とチーム白から追っ手がかかるだろう。どうせ長い命ではない。
私は天使からもらったワンカートンからタバコを一箱取り出した。天使達は気前がいい。もしくは俺は安上がりだと思いつつ着火した。
私は黄色い電車と赤い電車が行き来する土手の一角に座って、釣り堀を眺めていた。十二月になろうかというのに暖かいと思われた。行き交う人々の上着が薄手だからそう思うだけだ。
平日の昼下がり、私の視線の先にはスーツ姿の青年が糸を垂れていた。私はあのサラリーマンと同じく時間をつぶしているのだ。電車が次々と行き来する中、誰に目撃されるかもしれない状況の中、時間を潰すにしても他の選択肢は無いのかとあのサラリーマンの青年に少し興味がわいた。
私は目を閉じた。
目を開けると青年の真後ろに立っている。
私には空間的距離は意味が無い。
この世とあの世の狭間にいる存在だからだ。
散髪したての青々とした首筋が三センチ先にある。頭頂部には今時めずらしくぴっちりとした分け目があった。若い横顔をのぞき込む。目は虚ろに浮きを見ている。焦点は合っていない。
私はズボンのポケットに突っ込んでいる手を片方出した。そっと後ろから彼の頭に手を乗せる。彼の思考が私に流れ込んでくる。
「今朝の俺おかしかったんだ。大学のゼミが午前中にあるのに、無意識にスーツを出してきた。釣り堀にどうしても行きたくなって電車に乗った。で、今にいたる。これどういう事?しかも同じ文言が頭の中をループしている。「仕事のお時間です 仕事のお時間です」って。おれどうしちゃったんだろう」
私は舌打ちを一つしながら慌てて手を引っ込めた。私の胸ポケットの中にある小さなマッチ箱が振動する。その小さな小箱には画面が一つある。モノクロの文言が表示されている。「お仕事よ」
私は空中でキーボードをイメージして両手を操る。まさにブラインドタッチだ。
「仕事を待ちわびていました。ですが、少しおいたが過ぎるのではありませんか?この青年は何者だ」私はエンターキーを空中で押して送信した。
今回のメール送信相手は天使なのか死神なのか。どちらでも私はかまわない。
「あなたサラリーマンがさぼってる姿を眺めるのが好きでしょう。だからちょっと私なりに彼を操作してみました。ごめんなさい。おかげであなたとコンタクト取れたでしょ。
お遊びはここまで。彼は今夜、正確にはあと五時間後に死ぬ。例によってこちらの記録では彼は死ぬ予定になっていません。彼の記録上の死因は老衰です」小箱は震えて私にメールを届けた。
「死神とのいざこざか、イレギュラーが多いな。分かった。犯人とその詳細のデータを送ってくれ」私はそう入力して天使に送った。返答はすぐ送られてきた。
「詳細は不明ですが、彼が死を迎えるホツレが発生するのは事実です」
私は頬をゆがめた。天使達は死ぬべきでない人間が死ぬことをホツレという。
「了解した」
いつからだろう。神様という存在がこの世を中途半端に管理するようになったのは。かつては運命は運命として、美しく管理されていた。
今は少し違う。神でさえ運命に翻弄されている。しかも後手に回って俺のような存在を利用してまで取り繕ってもいる。それならばすべてを放置してもよさそうなのだが、神は自身の存在を否定するわけにはいかないらしい。
今回の依頼のやり取りは以上だった。人一人の命にかかわる問題なのだが、現実は厳しい。
改めて目の前の人物を観察する。まさか自身に降りかかる運命など知る由もない彼の名前は仲間茂。二十歳。理系の大学に通う。専門は電池の構成物質をすべて固体化する研究に携わっているらしい。彼女あり。同級生の久美さんという女性とおつきあいしている。うらやましい奴だ。さてどうしたものか。私はポケットからインカムを取り出して電源を入れてスタンバイとした。片耳に差し込む。
私はアフロの髪を掻きむしり茂の様子を眺めるしかなかった。
はたして彼はどのように殺害されるのか?
茂はあくびをしながらビールケースを裏向けたイスから立ち上がった。一匹もつり上げないとはある意味すばらしい釣りの成果だ。
茂がよっこらしょという感じで駅にむかっている。茂がたまに後ろを振り返る。私は五十センチも離れてはいない。ほぼ真後ろにいる。茂に振り返られると鼻と鼻がくっつきそうになる。まあ、仕方がない。何かいやな気配を感じるのだろう。だが、もう前だけを向いて歩いてくれと願った。
茂はスマホを取り出し、通話を始めた。久美とこれから会う約束をしている。待ち合わせの時間は死亡推定時刻周辺だ。これは面倒なことになりそうだ。
茂は電車に乗った。
この時間の電車は比較的空いている。長いすの端に茂は座った。
私は何かヒントが得られないかと彼の頭に手をやり、探った。
彼の思考は何故か興奮していた。私には理解し難い数式と幾何学的模様がうずまいている。何かを思いついた。そう私は直感的に感じた。
茂は小さなノートを内ポケットから取り出して書き殴りだした。茂は釣り堀の時とは別人のように頬を上気させている。私には茂のつぶやきがはっきり聞こえた。
「これ、いけそうなんじゃない」
私はどうやら歴史的な瞬間に立ち会っている気がしていた。
乗換駅のホームには久美が待っていた。ショートカットで切れ長の瞳の美しい女性が手を挙げて茂に合図を送っている。うらやましいやつだ。私は茂の後頭部を無言で殴った。何の手応えもなく茂は久美に走り寄る。
「俺、すごいこと思いついたかもしれん」同じゼミ仲間でもある久美は茂の一言にピンときているらしい。
「安定化できそうなの?」
「これ出来るよ」
茂はそう叫んだ。
ホームにいた周囲の人々は何事かと二人を振り返っている。
やめてくれ。
目立つ行動はするな。
私は茂の頭の上に立って辺りをお見渡す。
五メートルほど先にいる迷彩がらの男に私は異質な匂いを感じた。
私は目を閉じ、そして目をあける。
迷彩のコートを着込んだ男の後頭部を見据えている。短く刈り込んだ男の手はコートの中にある。男の押し殺す声がいやでも聞こえた。
「スーツなんか着やがって、リア充か、クソが。俺は誰でもいいんだ」コートの中に両刃のナイフが光った。
「見つけた」
私はインカムに叫ぶ。
「見てるだろ、許可しろ、早く」
「許可します」
今回は異例の早さだった。
私の体が一瞬光る。
「おかえりなさい私。人間界だ」
私は叫びながら男の背後からナイフを握る手首をつかんだ。
男は無言で裏拳をくりだす。この男、やはりクレイジーだ。普通の人間ではこんな反応はしない。
私の頬を致命的なダメージを襲う。
うずくまりながら私はヒップホルスターから銃を抜く。間髪入れず奴の額に三発、天使特製の弾丸をたたきこむ。非致死性の改心弾丸。ただし精神的ダメージあり。
男は前のめりに倒れ込む。その手にはむき身のナイフが露わになっている。悲鳴が響きわたる。
「この男ナイフを持っているぞ」
「警察に電話して」
群衆が口々に叫び、逃げまどい、パニックとなる。
私は茂と久美が無事逃げるのを見届ける。
峠は越したな。私は安堵の息を漏らした。タバコを探す。実体化している今しかタバコは吸えない。今度こそ天使にタバコワンカートンをボーナスとしてせびろうと思いながら抜き出した一本に火をつける。紫煙を吐き出す。
今日の事件、茂にスーツを着せた天使のせいじゃあないのか。そう思えてならなかった。
平日の昼下がり、私の視線の先にはスーツ姿の青年が糸を垂れていた。私はあのサラリーマンと同じく時間をつぶしているのだ。電車が次々と行き来する中、誰に目撃されるかもしれない状況の中、時間を潰すにしても他の選択肢は無いのかとあのサラリーマンの青年に少し興味がわいた。
私は目を閉じた。
目を開けると青年の真後ろに立っている。
私には空間的距離は意味が無い。
この世とあの世の狭間にいる存在だからだ。
散髪したての青々とした首筋が三センチ先にある。頭頂部には今時めずらしくぴっちりとした分け目があった。若い横顔をのぞき込む。目は虚ろに浮きを見ている。焦点は合っていない。
私はズボンのポケットに突っ込んでいる手を片方出した。そっと後ろから彼の頭に手を乗せる。彼の思考が私に流れ込んでくる。
「今朝の俺おかしかったんだ。大学のゼミが午前中にあるのに、無意識にスーツを出してきた。釣り堀にどうしても行きたくなって電車に乗った。で、今にいたる。これどういう事?しかも同じ文言が頭の中をループしている。「仕事のお時間です 仕事のお時間です」って。おれどうしちゃったんだろう」
私は舌打ちを一つしながら慌てて手を引っ込めた。私の胸ポケットの中にある小さなマッチ箱が振動する。その小さな小箱には画面が一つある。モノクロの文言が表示されている。「お仕事よ」
私は空中でキーボードをイメージして両手を操る。まさにブラインドタッチだ。
「仕事を待ちわびていました。ですが、少しおいたが過ぎるのではありませんか?この青年は何者だ」私はエンターキーを空中で押して送信した。
今回のメール送信相手は天使なのか死神なのか。どちらでも私はかまわない。
「あなたサラリーマンがさぼってる姿を眺めるのが好きでしょう。だからちょっと私なりに彼を操作してみました。ごめんなさい。おかげであなたとコンタクト取れたでしょ。
お遊びはここまで。彼は今夜、正確にはあと五時間後に死ぬ。例によってこちらの記録では彼は死ぬ予定になっていません。彼の記録上の死因は老衰です」小箱は震えて私にメールを届けた。
「死神とのいざこざか、イレギュラーが多いな。分かった。犯人とその詳細のデータを送ってくれ」私はそう入力して天使に送った。返答はすぐ送られてきた。
「詳細は不明ですが、彼が死を迎えるホツレが発生するのは事実です」
私は頬をゆがめた。天使達は死ぬべきでない人間が死ぬことをホツレという。
「了解した」
いつからだろう。神様という存在がこの世を中途半端に管理するようになったのは。かつては運命は運命として、美しく管理されていた。
今は少し違う。神でさえ運命に翻弄されている。しかも後手に回って俺のような存在を利用してまで取り繕ってもいる。それならばすべてを放置してもよさそうなのだが、神は自身の存在を否定するわけにはいかないらしい。
今回の依頼のやり取りは以上だった。人一人の命にかかわる問題なのだが、現実は厳しい。
改めて目の前の人物を観察する。まさか自身に降りかかる運命など知る由もない彼の名前は仲間茂。二十歳。理系の大学に通う。専門は電池の構成物質をすべて固体化する研究に携わっているらしい。彼女あり。同級生の久美さんという女性とおつきあいしている。うらやましい奴だ。さてどうしたものか。私はポケットからインカムを取り出して電源を入れてスタンバイとした。片耳に差し込む。
私はアフロの髪を掻きむしり茂の様子を眺めるしかなかった。
はたして彼はどのように殺害されるのか?
茂はあくびをしながらビールケースを裏向けたイスから立ち上がった。一匹もつり上げないとはある意味すばらしい釣りの成果だ。
茂がよっこらしょという感じで駅にむかっている。茂がたまに後ろを振り返る。私は五十センチも離れてはいない。ほぼ真後ろにいる。茂に振り返られると鼻と鼻がくっつきそうになる。まあ、仕方がない。何かいやな気配を感じるのだろう。だが、もう前だけを向いて歩いてくれと願った。
茂はスマホを取り出し、通話を始めた。久美とこれから会う約束をしている。待ち合わせの時間は死亡推定時刻周辺だ。これは面倒なことになりそうだ。
茂は電車に乗った。
この時間の電車は比較的空いている。長いすの端に茂は座った。
私は何かヒントが得られないかと彼の頭に手をやり、探った。
彼の思考は何故か興奮していた。私には理解し難い数式と幾何学的模様がうずまいている。何かを思いついた。そう私は直感的に感じた。
茂は小さなノートを内ポケットから取り出して書き殴りだした。茂は釣り堀の時とは別人のように頬を上気させている。私には茂のつぶやきがはっきり聞こえた。
「これ、いけそうなんじゃない」
私はどうやら歴史的な瞬間に立ち会っている気がしていた。
乗換駅のホームには久美が待っていた。ショートカットで切れ長の瞳の美しい女性が手を挙げて茂に合図を送っている。うらやましいやつだ。私は茂の後頭部を無言で殴った。何の手応えもなく茂は久美に走り寄る。
「俺、すごいこと思いついたかもしれん」同じゼミ仲間でもある久美は茂の一言にピンときているらしい。
「安定化できそうなの?」
「これ出来るよ」
茂はそう叫んだ。
ホームにいた周囲の人々は何事かと二人を振り返っている。
やめてくれ。
目立つ行動はするな。
私は茂の頭の上に立って辺りをお見渡す。
五メートルほど先にいる迷彩がらの男に私は異質な匂いを感じた。
私は目を閉じ、そして目をあける。
迷彩のコートを着込んだ男の後頭部を見据えている。短く刈り込んだ男の手はコートの中にある。男の押し殺す声がいやでも聞こえた。
「スーツなんか着やがって、リア充か、クソが。俺は誰でもいいんだ」コートの中に両刃のナイフが光った。
「見つけた」
私はインカムに叫ぶ。
「見てるだろ、許可しろ、早く」
「許可します」
今回は異例の早さだった。
私の体が一瞬光る。
「おかえりなさい私。人間界だ」
私は叫びながら男の背後からナイフを握る手首をつかんだ。
男は無言で裏拳をくりだす。この男、やはりクレイジーだ。普通の人間ではこんな反応はしない。
私の頬を致命的なダメージを襲う。
うずくまりながら私はヒップホルスターから銃を抜く。間髪入れず奴の額に三発、天使特製の弾丸をたたきこむ。非致死性の改心弾丸。ただし精神的ダメージあり。
男は前のめりに倒れ込む。その手にはむき身のナイフが露わになっている。悲鳴が響きわたる。
「この男ナイフを持っているぞ」
「警察に電話して」
群衆が口々に叫び、逃げまどい、パニックとなる。
私は茂と久美が無事逃げるのを見届ける。
峠は越したな。私は安堵の息を漏らした。タバコを探す。実体化している今しかタバコは吸えない。今度こそ天使にタバコワンカートンをボーナスとしてせびろうと思いながら抜き出した一本に火をつける。紫煙を吐き出す。
今日の事件、茂にスーツを着せた天使のせいじゃあないのか。そう思えてならなかった。