また「コロナウイルス」と言われそうですが、切実に共感できる文章に出会いましたので書き留めます。
朝日新聞の記事です。伊藤亜紗(美学者)利他学事始め 「友人の咳いたわれるか」と題して書いているエッセイです。おせっちゃんが文は崩してしまっていますが。
コロナの流行によって「ともだち」感覚は一変した。感染によって監視の対象になり投石や貼り紙がされるなど中傷や嫌がらせが起きるようになっている。
最近谷川俊太郎のこんな一節が読んだ本の中に紹介されていた。
ともだちって
かぜがうつっても
へいきだって
いってくれるひと
そんな考え方をしていた。寝込んでいる友人の家にご飯を作りに行ったこともあったし、自分の風邪が誰から貰ったものかなんて、笑いながら話す話題だった。
そうです。おせっちゃんの子どもの頃「風邪をひいたら、誰かに移せば治るんだよ~」という説があって、わざと咳を友達にかけたりして笑って遊んだ思い出があります。ところが新型コロナウイルスで全員マスク必須。飛沫を掛けあいっこなんてとんでもない時代になったのです。
伊藤氏の文は続きます。コロナかがある程度収束したとしても、わたしたちは「うつされる」ことに対して以前のように大らかになれないだろう。ただのインフルエンザや風邪であってもうつされる可能性に敏感になり不快感を感じるようになるかもしれない。友達がする咳を、私達はいたわれるのだろうか。
○○正義・○○警察などという、極端な正義感が尾を引くのだろうか。おせっちゃんは不安です。新型コロナウイルスの跳梁よりも、人間が、人間としての温かさを失っていく方が私は怖い。