まるで自分が悪事をしたかのように、また、自分の大切なものを盗まれたかのように暗い気持ちに落ち込むニュースがありました。
折角愛情をこめ、育てた牛や豚を、夜陰に紛れて盗んでいく事件が頻発しているということです。連続して起こること、非常に手際が良いことなどから、プロ(というのも腹が立ちますが)の仕業のように思えます。
卑怯です。家畜は、思うに家族の一員と同じで、愛情をこめて世話をしているに違いないのです。それに、育て上げた暁にはこの農家の経済を支える収入源になるものだと思うのです。それを最後にひょいと盗っていくなんて。農家の人の気持ちを想像できないのでしょうか。恥知らずです。
テレビの前で、怒っているうちに、父と舅を思い出しました。
私の実家は、瀬戸内海を見下ろす小高い山の中腹にありました。60メートルほどの低い山ですが、薪を取ったり、子どもの遊び場になったり、秋にはキノコも採れ、戦後の食糧難の食卓を助けてくれたものです。私の子どもの頃にはもうほとんど絶滅していましたが、父の頃には松茸も採れていたそうです。
父の毎度おなじみの話が始まります。
「松茸山はのお、人が踏み込まんように境に縄をはっちょくんよ。自分のところと他人のところがすぐ区別がつくようにのお。お父ちゃんの兄さまは、そりゃあ正直な人じゃった。ある時、境の縄すれすれのところに松茸がはえちょったんよ。兄さまは縄をまたいで立って、真上から垂直に見て、う~ん。残念、こりゃあ隣じゃのうと手ぶらで帰ってきちゃったんよ。馬鹿らしいと思うかもしれんが、人間その位正直でなきゃあいけん」。
夫の実家には、門前に畑が少しありました。私どもが子供を連れて夏に帰省するとその畑にスイカが作ってありました。
「おおよく帰った。これ見てごらん。今年は大きいのが出来たんよ。2・3日したら食べごろになるじゃろう。美味しいよ」と迎えてくれたのでした。
さア明日は捥いで前の川で冷やして食べようね、美味しいと思うよ。子どもたちも目を丸くしています。
翌朝、外から舅の「ありゃあ、やられた」の大声。跳び出て見るとスイカは影も形もありません。夜のうちに盗られたのです。こちらが食べごろと思うときを逃さず、敵も食べごろを取って行ったのです。
舅はすっかり落ち込んでしまいました。子どもたちもがっかりです。
スイカ泥棒は、一家の楽しみまで奪ったのでした。