82年の人生の中で初めてのことを体験しました。「エフエム世田谷」というラジオ局が代田区民センターを紹介すると取材に来たのです。
世田谷区内には12の区民センターがあり、それぞれを「運営協議会」が運営しています。その12の区民センターを順次紹介していこうという番組のようです。
私は運営協議会の「コミュニティー委員」に加わっています。故郷の父母舅姑をあの世に送り出してから、お友だちに誘われて委員の仲間に加えてもらったのです。はっきり覚えていませんが、15年(いえ、20年?)居座っているかもしれません。居座りが長くなったということは歳とったということです。そろそろお役に立つどころか、迷惑をかけかねない心身になってきておりますが、古いと言うことから「コミュニティー事業委員会委員長」という厳めしい肩書を背負っています。
今日は代田区民センターのコミュニティー委員会がどんな働きをしているか、どんなイベントを企画しているか、他にはない特徴的なイベントは?などの質問に答えるものでした。運営協議会 会長がほとんど答えてくださいましたので、目立つ失敗もなくどうにかこなせました。
先日、妹のらい太が苦笑いをしながらこんなことを言っていました。らい太は東京友の会に長く在籍し、パソコン関係を受け持っているようです。コロナ禍の中、ズームでのオンライン授業をしたのだそうです。かなり自信を持ってのことだったようですが、あとで聞き直してみると、まあ、説明はくどい、言葉は山口弁に傾いている、参った参った、とのことです。
今日のラジオ番組インタビュー出演(大袈裟!)で、らい太を思い出しました。
う~ん、山口弁が出ていたかなあ、くどくど時間ばかり食っての説明だったかなあ、と思うのです。みっともないかな、心配心配。
まあ、いいか。ラジオだから私が見えるわけではなし、小さなラジオ局、聞く人もあまりいないでしょうし。