トップにとんでもないものを登場させて失礼します。この姿ですけれども、我が家では30年おさんどんの主婦を助けてくれた功労者なのです。
30年前には我々夫婦も。子どもたちも元気いっぱい、食い気満点の時代でした。夕食はボリューム満点、揚げ物・肉入り炒め物がテーブルの真ん中にどっかりと大皿で座る時代でした。この直径30センチの中華なべ、フライパンは、家族でお出かけも兼ねて合羽橋まで行って買い求めたものだったと記憶しています。
親子4人に加えて次兄の長男が大学の2年生まで下宿しておりまして、その胃袋を満たすべく大活躍をしてくれたのでした。
主婦の私も若かった、中華鍋が重いなどと思ったことはありませんでした。戦後、農地改革で米も麦も自分で作らなければならないことになって、俄か百姓をして凌いだのです。女の細腕(?)で1俵60キロのカマスをエイッと持ち上げることはかなわずとも、地面を擦るように躱すことはできていました。二の腕には力こぶができていました。中華鍋なんざ~・・・でした。
それが甥っ子が本郷に行き、子どもたちが独立して出て行き、年を重ねて、私はおばさんから婆さんへと移ろいました。夫と二人分作るのには大きくて、買い替えるべきだよなあ、と思いつつもそのまま使っていました。炒め物を仕上げて皿に移す時、その重みに手が震えるようになり、腕だけでなく、胸の筋肉までがピリピリするように弱ってきてしまいました。
2か月ほど前のことです。リハビリで、整形に行き、カーテンで仕切られたベッドで順番が来るのを待っていました。隣から腕を痛めたという女性とリハビリ先生との会話が聞こえてきます。どうも台所で重いものを持ったのが原因のようです。治療が終わって顔を合わせた時、「私一人ではないのですね。中華鍋は無理ですかねえ」と話し仲間に入りました。まだ若い、孫のような先生が
「そうですヨ。何にもしないのは勿論いけませんが無理はいけません。おせっちゃん、意地を張って、大きな鍋と格闘しないでください。今の家族に合うようなものに買い替えてください」とおっしゃいました。
もう鍛えるという段階は過ぎているのでしょう。
台所の功労者ですが、二つには引退してもらうことにしました。功労者ですから、最後にブログに登場させてやろうと思ったのです。
先ほど粗大ごみセンターに電話して見ましたら、各個400円で引き取ってくれるとのこと。
今までありがとうね。よく頑張ってくれました。感謝!!