おせっちゃんの今日2

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大銀杏

2020-11-24 15:09:25 | ニュースから

読んでくださっている皆さん、タイトルの「大銀杏」、どんなイメージが湧きましたか?

18日、朝日新聞夕刊の第1面に大きくこの文字がありました。続いて「土俵際」と。私の頭には、紅葉の時期とて、銀杏並木が美しく色づいている風景が浮かびました。何?銀杏が土俵際?どこの並木だろう?何かの事情で切り倒されそうになっているのかしらん、と思ってしまったのでした。

とんでもない。大銀杏はその時佳境の大相撲、力士の髷の別名「大銀杏」でした。長く伸ばした力士の髪を縛る「元結(もっとい)」を作る職人が後継者がいないんだそうです。長野県飯田町に住む、祖父と父から学んだ技術を受け継いでいる職人が現状では一人なのだそうです。

また、大銀杏には欠かせない「びんつけ油」の製造も、同じような現状と言います。

大銀杏と言えば、思い出す名勝負があります。貴乃花(父親)が土俵を沸かせる人気力士でした。相手は誰だったでしょうか、(ごめんなさい)、土俵際に追い詰められ、俵ギリギリに踏ん張って、身体をそらしたのです。相手も体はほとんどありません。二人ひと固まりでどうと倒れました。貴乃花に勝ちの軍配が挙げられましたが、物言い(だったと思います)。結局、貴乃花の髷の先が地面についたのが一瞬早かったと、行司差し違えになりました。
インタビューで「髷がなかったら・・・勝っていましたよね。惜しかったですね」とアナウンサー。「髷がなければ力士じゃあありませんよ」と貴乃花。未練のかけらも見せない潔さでした。

その髷の根元を縛る元結がピンチなのです。

 


おまじない

2020-11-21 13:30:00 | 思い出

今日もまた「折々のことば」から。
中脇初枝という方が、絵本「つるかめつるかめ」のあとがきに使っているのだそうです。

「自分の力ではどうしようもないことがあった時、昔の人たちはおまじないを唱えてきました」

解説者は「天にすがるというより、その音調にのせられ、怖くてもひとりじゃないよと誰かに言ってもらっているような気持ちになる」と書いています。
おまじないの例として他に「まじゃらくまじゃらく」「とーしーとーしー」「ちちんぷいぷい」などをあげています。

幼い頃を思い出してみても、我が家ではあまり使わなかったような気がします。知っているのは「ちちんぷいぷい」。「つるかめつるかめ」は読書の中で知ったような、やや古臭い言葉の印象があります。

言葉でおまじないはあまりしませんでしたが、育ったN村には医者よりも信じられている医療がありました。今でも(というより、医学の進んだ今はより一層)不思議な加療で、おまじないとしか思えないのですが、確かに効いたのです。

田舎のことですし、戦後の物のない時代、蚊取り線香さえ不自由していました。私は虫に刺されると、真っ赤に腫れあがり、ひどい時は脚の付け根のリンパ腺がしこってぐりぐりになって、苦しみました。そんな時、先述したおまじないのおばあさんを訪ねて行くのでした。
村では旧家の立派な玄関のあるお宅でしたが、丁重に座敷に通されます。おばあさんは半紙を畳の上に広げ、傷んだ方の脚をその上に乗せ、真っ直ぐ立つように促します。そして、刷った墨をつけた筆で、私の足型を書きとるのです。脚には少しも触りません。すれすれのところに筆を走らせます。足形が取れたところで、その中央にお灸を一つ。手を合わせてお祈りをします。
それでおしまい。「じきに治りますから。お大事に」
これで効くのかなあ、疑いながらお礼を言って帰宅するのですが、これが見事に効くのです。リンパ腺のしこりも消え、痛みも取れるのです。

医療というよりはこれこそおまじないですよね。今でも不思議で仕方ありません。偶然に治る時期が来て治ったと考えることもできますが、私は幾度かやってもらいましたし(効きました)他の村人も困った時はたずねるようでしたから、確かに効いたのだと思います。不思議~!!。


言葉は使いようで

2020-11-20 14:44:07 | 言葉

わが家はずっと朝日新聞で通していますが、1面の「折々のことば」は朝目を通すことが習慣になっています。言葉を発した方、解説をしてくださっている鷲田清一さんに、わが知能がついていけず、読んでもよく理解できないことがあって嘆くこともありますが。

今日、心温まる言葉に出会いました。

「気が利いているねえ。一本というのがとてもいい。邪魔にもならずに格別にきれいだ」

田村隆一(詩人)が樋口幸子(文筆家)にかけた言葉だそうです。私はどちらの方も存じ上げないのですが、解説によれば、樋口は、フリーの校正者だった。田村の家を借りて、一つ屋根の下で暮らしたことがあるとのこと。
田村が入院をしたと聞き、夫婦で見舞った。一本のバラを手に。
田村は気儘な人間で、ひとを振り回してばかりの人と思われていたが、夫婦の困窮に思いを馳せこの言葉で礼を言ったらしい。繊細な心遣いである。
人の褒め方、労わり方が身に染みる言葉の力である。

貧しい夫婦はどんなに救われたことでしょう。たった一本のバラが、言葉一つで何にも増した素晴らしい贈り物として受け取られたのですね。
言葉の使い方ひとつ、その奥にひっそりと隠れている暖かな心遣い、貧しい夫婦の質素な見舞いが、豪華な花束にも増したものとなったのですね。
夫婦の持っていたであろう引け目も、きれいに拭い去られたことでしょう。文筆家として名が出たのも、このかけられた言葉一つが励ました結果でしょうか。


ウシさんが勢ぞろい

2020-11-19 15:59:04 | 区民センター

来年の干支・丑を、木目込みで作るというコミュニティー講座を、火曜日・今日木曜日、各3時間開催しました。牛さんの見本は先日既にお目にかけましたがなかなか可愛い新年の主役です。

コロナ禍最中ですからマスク・アルコール消毒・体温測定・をきちんと守って、机も普通の講義のように並べました。いつもは、4つくらいの島を作って、教えられたり教えたり、にぎやかに人の輪ができるのですが、声も小さめでと言い渡しました。

それでも定員いっぱいの応募者がありました。お家籠りの生活で人恋しさ、何かしたいという欲望があるのか、初めて参加の人が多いのも今年の特徴でした。
リピーターの方も多く、そういう人は、特に難しい所だけ教えれば作業は進みます。初めての方にだけ、基礎の基礎から教えます。桐の木の粉を固めた牛には、切込みが入っています。そこに生地を入れ込んでいくのです。専用のへらで切った布端が外に出ないように押し込むのですが、ほつれてくる糸くずが入りきらず、ぼさぼさになるのが初めての方の特徴です。自分にも経験のあること、コツを教えて、なおダメな時は目をつぶります。
どう見てもいい仕上がりとは思えないものでも、皆さん大満足。来年もやりますか、また応募しますと喜ばれました。

中に男性が二人。お一人は最初から欠かさず来てくださっています。むしろ私たちに変わって講師をしていただければと思うほどの手際のよさです。もう一人の方は今回で4回目だとのこと。今までは女房にプレゼントして喜ばれていましたが、今回は私の年、自分に作りました、とのこと。

委員で講師をしますので、疲れますが、皆さんに喜んでいただけてほっとしました。来年の今頃は寅が勢ぞろいするのですね。

私の年です。私は干支が10体溜まりました。あと寅と兎で十二支が揃います。生きていればですが。


女言葉には命令形がない

2020-11-18 14:01:20 | 言葉

今日の朝日新聞文化文芸面に劇作家の永井愛さんが書いていらっしゃいました。その内容については割愛しますが、びっくりしたこととして、こんなことを書いていらっしゃいました。

「執筆中に読んだ本で、女言葉には命令形がないと知り、驚いた。『出ていけ』が『出てってよ』とお願いになることにそれまで気づいていなかった。日本語の構造が男女の力関係を映していました」と。

私もこう言われて初めて気が付きました。男性が、当然のことのように、「出ていけ」と明らかに命令形の言葉を使うのに、女性はそうは言わず「出てってよ」と頼むのです。

いま、女性も男性に伍して同等の地位や、報酬を得ることが当然のような世の中に近づいては来ていますが、女性は男性には従うもの、という考えが言葉の中に歴然とあるのですね。

「止めろ」と「止めて」でも同じことですね。書きにくいことですが、性暴力犯罪が、男女の力関係で行われ、以前として残る男性優位の考えで、裁かれることなども、私達が考えるより根が深いものかもしれませんね。ごく普通の日常語の中に、こんな区別があるのですね。

とはいうものの、今、女言葉を廃し、女性も「出ていけ」「止めろ」と言っていいとは私は思いませんが。