1カ月ぶりに大阪に住む姉を訪ねて・・今回は夏休み中なので3孫を誘って出かけました。
中学1年生のパワーを貰いたかった事も有ります。
考えていた読みは大当たり。
昔中学の担任をしていたことがある姉にとっては何十年ぶりに中学生と話が出来たことか・・・水を得た魚のようでした。
sazae3との会話とは全く違っています、今迄一度も聞いたことがない姉が大人になる前は何をしたかったのか?初めて聞くことが多くて驚きました。
驚くことにダンスの世界で生きて行きたかったという話を孫に聞かせてくれました。
3孫がダンスが好きで暇があれば踊っている様子を見て姉は昔を思い出したようです。
DANCEの世界で生きて行きたいと考えて上京したがダンスをしたいなんてことでは親は許さないので、〇〇女子大に合格して女子大でダンス部に入っていろいろとやってきたこと、一流のダンスの先生などその当時の様子を3孫に話していました。
ダンスで食べて生活を成り立たせて行こうと思うと経済的には到底無理で、水商売などに関わって収入を得なければそれは無理な事だという事が分かったので、しょうがなくて中学校の教師になったという事のようです。
ダンスの世界での審査員の様な事も経験したようです??「悲しみ」とか「喜び」「希望」とか「挫折」とか心理的な表現をこの子はダンスでどのように表現するかを観るのよ! その都度見事な手さばきなども孫に見せて会話をしていました。
昔のことをよく覚えていてその表現は衰えていません、凄い!
私は知らなかった!!・・驚きです!
こんなに喜んでもらえるとは・・・唖然としてしまいました。
10歳以上も若返った様子です。12歳の孫娘を連れてきて良かった。
高齢者になって接触する人が高齢者ばかりでは人間は衰えを増してしまうのでしょうか?
そのような意味ではケアハウスに入ったら限られた人との会話のみで・・・置かれた世界には変化がありません。
姉が昔ホームステイをしていた頃のアルバムを見つけました。分厚いアルバムが5冊あり、その1ページごとに写真と滞在した世界中の人たちのメールが挟みこまれていて、これは心の財産ではないかと感じました。
久しぶりに見た姉はしばらくは懐かしくて目が点のようになっていました。必死で読んでいる様子です。
「私はこんなことをして生きてきたのねえ!」先ほどsazae3に「私の一生は何だったのかしら?」等とネガティブな感情を訴えていた人とは思えない生き生きとした表情を見せてくれ、正直救われました。
人間何でも一生懸命にやってきたことは何年経過しても風化しませんね。120~130人ほどの方々をお世話してきたようです。
ケア施設への入居を前にして、何か寂しげな姉でしたが表情がパッと明るくなりました。その勢いで頑張って欲しいと思いました。
留学生などからお礼に頂いた品などもsazae3に貰って欲しいと言われて困りましたが、少しだけ宅急便にして持ち帰りました。気持ちが救われたようです。ただゴミにしては捨てられないと多くの品はその関係の方々に展示品として持って行っていただいたようで安心したようですが・・いろいろな国の方からの品が限りなくありました。
でもsazae3にはどうしようもありません。
行きの新幹線に乗るときにお弁当を買いました。
渋いですねぇ・・
12歳が買ったのは柿の葉寿司でした。
読んでいてこちらまで嬉しくなります。
”私の一生は何だったんだろう・・”←それ、私です。先日40歳の人とお茶して「あ~、これからどうして生きていこう」とため息まじりに言ったら、あまりのネガティブさに驚かれてしまいました。
昔、認知症の方々のグループホームで働いていたことがありまして、そこに80代の元赤十字の看護婦さんが入居しておられたのです。認知症との診断ですから、普段はボーッとしておられます。
が、何と!他の入居者さんが急変した時、シャキッとなり的確な指示を出されたのですよ!
新聞記事でも長く認知症の元ピアノをやってらした方をピアノの前に座らせたら生き生きと昔のように演奏され、そこからぐんぐん良くなられたというのを読みました。
いつまでも好きだった事に関わり続けるのがよいと思います。
sazae3一家はダンスの才能が遺伝しているのですね!
うちは母が絵が好き、父が音楽が好きでした。
なので一家の中で踊りをする者は誰もいません~
お姉様はケア施設でアクティビティとして他の方にダンスを教えるようなことはできないでしょうか・・
もちろん本格的でなくてレクリエーション等として。
踊ること+教えることで生き生きされるように思いますが・・。
次回にそれを提案して参ります❤有難うございます