3月8日朝日新聞夕刊のコラム「我が心の声を聞きとるべし」小池龍之介さん月読寺・正現寺住職と紹介されていた。
今日は何となくこの記事に惹きつけられた。
皆さま自分を無条件に受け止めてもらいたい承認欲求が強すぎる為に相手の話なんて聞きたくない、自分の話ばかり聞いてもらいたがっていると言うのだ。確かに最近そのような方が増えているような気がする。(自分自身も含め)
相手の方が年長者だと出来るだけ聞いて上げたい気持ちになるが、ひたすら話を聞かされる側はイライラして疲れてくる。それをそのまにし続けたら、いつしか心が離れてしまう。
なぜ私たちは他人に言葉を受け取ってもらいたがるのでしょうか。・・とある。(自分が自分と繋がれていないから寂しいが故であると・・)
その解決の仕方に自分から発した心の声をまずは自分が聞き取ろうとすること。それが仏教の最も大事な修行でもあり自分自身に聞き取ってもらえた感情はホッとして静まりかえることが出来るとある。
例えば悲しい時は「○○で悲しいんだね。」腹が立つとき「○○で腹が立つんだね」と自分に聞き取ってあげたら気持ちが静まってくれると言う事なのだ。
どちらかというと・・sazae3は妙に腹が立つときに聞いてもらいたくなることがある。聞かされる人の立場に立ったら。。。ご迷惑なことでもあり情けない事なのだ。この様な時には是非自分の心に呟きと自分で声を聞きとってあげると言う方法を試したいと感じた。
仏教の修行の道なのですねぇ・・・。納得です。
やっぱり腹の立ちうこと、言いたいことがあれば、まずはこのブログに書いて、皆さんに「そうだそうだ」と言ってもらうのがいいのではないでしょうか。それが嫌な人は読まないでしょうから。
あるいは、クレヨンしんちゃんのクラスメートのお母さんのように、ひそかにうさぎのヌイグルミを蹴飛ばすとか(笑)
お見通しですね。
そう簡単には参りませんね!修行修行・・・
ブログってそのような捌け口でもあるわけですねぇ。。。あまり修行を積んでしまったら(どうせ大した修行は出来っこないでしょうけど)、ブログの更新もできなくなると言う事ですものね。
まぁ・・ストレッチ用のボールでも蹴飛ばしておきますかぁ。物に当たると言う事はあまり考えたことがありませんが・・・ボンボン蹴っ飛ばしてみましょう!ありがとうございます。
でも修業の足らない私は、自分に言い聞かせた後にも
人に聞いてもらいたい気持ち(欲でしょうか)があります。
人にも話したいのです。
物に当たるは・・・壊したり、かたずけたりの手間を考えると
しませんが、蹴ってこわれないぬいぐるみならいいかも!
勝手失礼ながらここを借りて自分の小さいストレス原因ををアップさせていただけるなら・・・、
現・国のトップの答弁の癖として、・・します、・・やりますとは殆ど言わないで、・・してみます/・・してみたいと思います、やりたいと思います/やってみたいと思います的な答弁が多くて基本的には『可及的速やかに善処します』と同様に何もやらない・しない・現状維持と同義語だと聞えてしまう自分がいて、現役時代でも自分の周りに同様な人物が居て『・・します/やりますとは言ってないだろう!!』と謝罪の言葉もなく反論されて苦労させられたことを思い出してしまいストレスになってしまう自分がいます!!
私が心がけているのは「一つの事項を話した後チョット間をおく」と言うことです。
これは相手の反応を確かめる意味も有りますがね。
こうすると相手も話し易くなり、20代の若者たちとも話が弾むようになりますよ。
「言うは易し」ですがね。
現役時代に会社で何かを発表するときも同じで、大勢に話すのではなく、私の話に反応を示す人を相手に話すようにしていました。
ですから、数日がかりで書いた原稿は意味を成さなくなり、ほとんどはその反応に応じた「アドリブ」になってしまいます。
でも、評判は良かったです。
相手の反応を見ることも重要なのだが、それが出来ない人が多いので困ります。
その気持ちわかります。
何故か、誰かに聞いてもらってわかってもらいたいのですよね。
そして自分の怒りが正当な評価を得たいのです。
『うんわかる、わかる。あなたの言うのがもっともよ。』って
そういうことを話すときの私、もう誰の意見も聞きません。
ただ弾丸のごとくしゃべってしまいます。
物に当たる事がないのは「あとのかたずけの手間が」脳裏をかすめるので私もいままで試したことがありません(苦笑)。誰かが処理してくれるなら思い切って蹴飛ばすのですが・・
身近な人物が発する事もあります(爆笑)・・
修行が必要なsazae3ですぅ・・・
聞いて下さる人が見つかると・・・ひたすら弾丸のごとく・・私もしゃべってしまいますね・・・これからは少し意識して自分の心に問いかけるようにいたします。