短歌の同好会に入って何年になるのだろう?いつの間にかお世話役が回ってきました。
たまたまパソコンが出来るのでという事で、一か月おきに例会が開かれるのですが、その前に皆様からの詠草を纏めてプリントし、メールで先生や同好会のメンバーへ送るお役目をしております。
その作業では送ってきた歌をランダムに並べて2枚のA4に纏めます。
ただ書き写すだけの事なのですが、そそっかしいsazae3は間違えてしまう事もママございます。今回も一か所「名前」と書いてしまい、本当は「名」だけで良かったのです。結構正確に書き写す事って難しいものです。自分の癖が知らぬ間に入ってしまい余計な言葉を入れてしまう事がございます。急遽訂正のメールを送り直します。ポリポリ・・
今回は歌に添書きとして一つの短歌に長い文章が添えられていました。これをどう扱うかは?難しいことですが、内容に感動いたしましたので、ブログでご紹介したいと思います。
歌は本人がまだ添削をして頂いていないので掲載しません。歌にそえる「詞書」(ことばがき)ではございません。
詠み人によるこのような添書きが付いておりました。懐かしいことが出てきますよ!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今は亡き叔父の家に遊びに行き偶然見つけた、叔父の学生時代の寮生活の同人誌を見つけ読んだ時の事を書かれていました。
学生時代は、よく生活費が乏しくなり「カネオクレ」の電報を打ったりしていました。夏休みになり家に帰ったとき「あのお金は何に使ったの」と尋ねられたのだそうです。思わず「英語の本を買ったよ」と答えると「何という題の本か」と聞かれたので、考えて「イブニング・ライオン」という本だよと答えました。
この時代は☆お国のために☆日本の為に☆天皇のために、イブニング・ライオン・ナショナリズム 天皇陛下という愛国の志士の思想が流行していましたから、自分のこころざしイブニング・ライオン 憂国の志士のいいわけを思いついたという事。
そのような学生時代のエピソードが綴られていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
終戦記念日に歌ったその方の歌に添えられていました。
それを読みまして、考えてしまいました。「カネオクレ」なんて電報の時代を知って懐かしいなと思える人は少なくなったなぁ・・という事。
今の時代に「カネオクレ」なんて電報を打ったら・・どうなることでしょうね(笑)
こうして昔の事を書いてくださっている方が居るから、こんなことを思い出せるのですね。もちろんsazae3は戦後生まれですが、兄弟の上の人や叔父たちの話題が耳に入っていたから分かるのです・・・・
私はバリバリ戦後生まれですが、どういうわけかものすごく昔の歌をたくさん知っているのですよ、なぜでしょう?
支那の夜、憧れのハワイ航路などもちろんのこと、東海林太郎?やら戦歌なども・・どんどん出てきます。いったい、いつ、どこで聞き覚えたのか・・
祖母が兵隊で満州にいた時のことや、一家が平壌から引き揚げ船で帰ってきた話やら、今の時代の人たちには「???」でしょうが、自分が聞けたことは大変有難かったと思います。
わたしだってどこでどうして古い歌など覚えているのか?不思議です。
昔はラジオの時代なので知らず知らずのうちに体にしみこんでいるのですね。支那の夜・憧れのハワイ航路・・あはは・・懐かしいですね。
変な思想までもしみこんでいるのでしょうね(笑)
カネオクレ・・・・これって・・・昔は貧乏でも親は頑張っていたのですね。
祖母は兵隊には行きませんね。祖父です。
小さい頃の記憶は、有線放送?ポンプで水を汲み上げる、歯磨き粉は文字通り粉だったし、五右衛門風呂、かまどでご飯、氷の塊が入った冷蔵庫、暖房は火鉢、等など、今では考えられませんね!!
当時、こんな世の中になるなんて誰が想像したでしょう!?
小さいころの記憶・・それってMAyさんは何年生まれだったかしらと・・・五右衛門風呂なんて凄いですね。私より早くお生まれだったかしら(笑)等と思いましたよ!
氷の塊の冷蔵庫は使いましたね。煖房は火鉢と炬燵でした。歯磨き粉と言っていましたから・・・粉ですよね。
あの頃今の生活は考えなかったですね。