まあ読みすすんでいくうちに、難しいけれど読んでみようという気になりまして、なんだかんだと言いながら256頁まで来ました。
「解釈」については外山滋比古さん
人間が本来持っている解釈本能というものが備わっているからこそ表現が空白、欠落を内蔵しながらも存在を許されるなどとある。なるほど納得です。
読み手が変われば補充も違い、各自各様の違った解釈、意味になるはずとあります。十人いれば十人の異なった解釈が生まれる道理であると・・・・読者は透明人間ではないので、解釈という想像を行う個性であると言っていますね。
「おもしろい」と「分かる」中村雄二郎さんが書いたものです。
これは明日に致します。こうしてなんだか引き摺られて次々に読んでしまいそうです。
「分かる」ことを中心にして読むか?「おもしろい」を中心にして読むか?
ヘレンケラーとサリバン先生の最も感動的な例を出して説明しておられますね。
「おもしろい」と「関心が持てる」その人にとって関心の高さでなければならないと…言っておられます。
日常の中で気が付かないでただやり過ごしている事を改めて、実は人間の脳の中ではどんなことになっているのかな?考え直してみたりすること・・・こういうことが私は好きなんですね。
高校の教科書がこんなにも魅力ある読み物だとは思いもかけないことでした。
それぞれ5ページ位の内容ですから主婦の傍らつまみ食いのような読書には打って付けのものかもです。
気が付いたことは教科書はしっかりしている(補足説明の写真のページあり歴史の年表があり)からかもしれませんが重いです。病院での待ち時間には重くて向きません。
バッグに入れて負担にならない文庫本位が私には有り難い重量です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます