ばばの気まぐれ日記

老後の暮らしというものはこういう事だったのかと思う日々
老後を迎えて初めて気が付くことも多い日々

難病は難病だから難病と言うのですね

2015年06月01日 | 雑感

久しく行けなかった妹を訪ねて、毎度毎度、前より弱ってきている・・とは思えない気がする。

胃ろうを始めてから、しばらくはカロリーも低かったせいか?徐々に弱ってきていたような状態のときもありました。

しかし、その後少しカロリーをあげてもらってから今回久しぶりの面会でしたが、病状が進み悪化の一途を辿っている・・とは思えない気がしたのです。

なにしろ難病と言われていますから難病なのです。これと言った治療も確立していない難病です。

病名には「進行性・・核上性麻痺」というのですから・・・進行性なのかと思います。前に行ったときより進行していなければならないのでしょうか?かなり進行の速度は速くはないように思います。

栄養がしっかり摂取できれば、もしかしたら呑み込みのリハビリをすれば、飲み込みも改善できるような気さえ致します。

しかし私は遠く離れていて偶に行くだけなのでそう感じるのでしょうか?

医師は「見舞客や身内の人が来ると頑張って食欲が出たり、飲み込みが出来たり、やたら良い状態のようになる患者さんもいるのよね!」・・と言われます。妹の状態はそうなのでしょうか?

たとえそうであっても張り切って喜んでもらおうと頑張って美味しいと言ってアイスクリームやプリンなどを食べてくれるのですが、それは「患者がいいかっこして呑み込めているのでしょうか?」

理想と現実はかけ離れていて、そんなに簡単には改善はしないのでしょうか?病気は確実に「進行性」なのでしょうか?

でも・・・妹は私の前ではかなり良い表情をしてくれるし、話だって話しにくいけれど話そうとの意気込みがあって、話してきます。心の中を訴えてきます。その場を立ち去り難くなります。何時も後ろ髪をひかれた状態でそれを振り切って帰宅します。

それが現実です。行く時は良いのですが、帰宅するときはかなり辛い。

何とかならない・・・このもどかしさに・・・考えるだけでも悲しくなります。

せめて近かったら頻繁に会いに行けるのですが、費用も時間もかかり過ぎて・・・・

でも私が介護に取り組んだら、きっと共倒れになってしまうのでしょう。必死になって看病して・・それって良い事ではないですものね。先が見えてこないです。

出来る事なら連れて帰りたい気持ちになります。でもいろいろなことを考えると私一人で抱えることは無理。

私も一人で生きている訳ではないし、妹も家族と言う関係があります。そう簡単に,連れて帰り、身近な場所で介護をしてやりたいと思いますが、悲しいかな、それは実現不可能です。

一人で思いつめたこともあります。しかしそんな時に自分の体が悲鳴をあげて、家族のお世話だけでも大変なのに、もっと大変なことを担ぎこんで周りに迷惑を掛けることを覚悟しなければなりません。それは出来ません。

私が天涯孤独で、金銭的にもゆとりがあって、働かなくても生活が出来れば・・などと叶わぬ夢ばかり考えてしまいます。それが出来ない言訳となって、、、、、

病気の場合は素人は何も分からないから、表面的に見て元気そうだと快復するのではないかと安易にものごとを考えてしまいます。しかし・・微々たる兆候からでも、希望は持ちたくなるものです、無理なのでしょうか?

何とか治してやりたい。助けてやりたいです。

少しでも改善の兆しがみられると・・ついつい・・欲が出てしまいます。

悩みは尽きない。


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